マダムNの神秘主義的エッセー

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75 ノーベル文学賞の変節、及び古代アレクサンドリアにおけるミューズ

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ムーサ九姉妹と古き三柱のムーサたち (ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ/画、1884–1889)
出典:Pixabay

64 2016年に実質的終焉を告げたノーベル文学賞

75 ノーベル文学賞の変節、及び古代アレクサンドリアにおけるミューズ

カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞の受賞者に選ばれた。NHK NEWSWEBの記事より引用する。

スウェーデンストックホルムにある選考委員会は日本時間の5日午後8時すぎ、ことしのノーベル文学賞の受賞者にカズオ・イシグロ氏を選んだと発表しました。

イシグロ氏は62歳。1954年に長崎で生まれ、5歳のとき、日本人の両親とともにイギリスに渡り、その後、イギリス国籍を取得しました。

1989年に出版された「日の名残り」は、第2次世界大戦後のイギリスの田園地帯にある邸宅を舞台にした作品で、そこで働く執事の回想を通して失われつつある伝統を描き、イギリスで最も権威のある文学賞ブッカー賞を受賞しています。

また、2005年に出版された「わたしを離さないで」は、臓器移植の提供者となるために育てられた若者たちが、運命を受け入れながらも生き続けたいと願うさまを繊細に描いたフィクションで、2010年に映画化され、翌年には日本でも公開されました。

ノーベル文学賞の選考委員会は「カズオ・イシグロ氏の力強い感情の小説は、私たちが世界とつながっているという幻想に隠されている闇を明らかにした」と評価しています。


NHK NEWSWEB(2017年10月5日 20時03分)「ノーベル文学賞カズオ・イシグロ氏 英国の小説家」<http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171005/k10011169111000.html?utm_int=detail_contents_news-related_002>(2017年10月6日アクセス)

ノーベル文学賞の選考委員会がいう「力強い感情の小説」という言葉の意味を、わたしは理解できない。登場人物の感情表現が巧みだということか? それとも、作者の感情が充溢した作品であるということか。

後者であれば、いわゆる文学という芸術作品にはなりにくい感傷小説である可能性がある。

また「私たちが世界とつながっているという幻想に隠されている闇を明らかにした」という文章も解せない表現だ。翻訳の問題なのだろうか。

世界とつながっているというわたしたちの思いが幻想にすぎないことを、作者が何らかの闇を描くことで明らかにした――というのであれば、まだわかるが。

作者は何の闇を描いたのか。そのことがなぜ、世界とつながっているというわたしたちの思いを否定させるのか? こうしたことが納得のいくように伝えられなければ、授賞理由はよくわからないままだ。

Yahoo!ニュースに、「ノーベル賞受賞!カズオ・イシグロ『書くことは生きること、読むことは生きるために必要なこと』」というインタビュー記事があり、その中で、「イシグロ作品は広く読まれていながら『文学』の香りがあるように感じます。ご自身が考える『文学』のあるべき要素とはどんなものですか?」という問いに対して、イシグロ氏は次のように答えている。

それほど堅苦しく考えなくてもいいと思いますよ。つまり「文学」と、「娯楽作」「大衆作」を分け隔てることもないのかなと、私は思っているんです。大学の勉強などでは人工的に線引きをすることもありますが、現代のそういう場所で「文学」と呼ばれているものは、過去においては「ポップ」だったんですから。


Yahoo!ニュース(2017年10月6日12時15分),渥美志保(映画ライター)「ノーベル賞受賞!カズオ・イシグロ『書くことは生きること、読むことは生きるために必要なこと』」<https://news.yahoo.co.jp/byline/atsumishiho/20171006-00076589/>(2017年10月6日アクセス)

2015年まで、ノーベル文学賞は純文学作品を対象としていたが、2016年になって突然ポピュラー音楽の歌詞を対象とし、2017年の今年は娯楽作・大衆作を対象としたようである。

カズオ・イシグロ氏の本は書店の目立つ位置に置かれていることが多いので、わたしは何度となく手にとりながら、読んだことがない。

ぱらぱらとめくってみて、娯楽作・大衆作と思ったのである。

反日左派によって席巻されたわが国の文学界で、世に出られない物書きとして草の根的(?)な創作活動を続けているわたしは読まなければならない純文学作品のことで頭がいっぱいなので、元の位置にそっと戻してきたのだった。

実際に読んでみなくてはわからない――そのうち読んでみたいと思っている――が、前掲のインタビューの内容自体がイシグロ氏の諸作品がジャンルとしては文学(日本流にいえば、いわゆる純文学)に分類されるタイプの作品ではなく、娯楽作・大衆作に分類される性質のものであることを物語っている。

純文学には学術的、芸術的という特徴があるゆえに、ノーベル文学賞は理系のノーベル賞と釣り合いのとれるものであった。ところが、昨年から文学賞に関していえば、人気コンテストになってしまったのだった。

純文学は文学の土台をつくる研究部門といってよい分野だから、純文学が衰退すれば、娯楽作・大衆作も衰退を免れない。

音楽に例えれば、クラシック音楽が衰退してポピュラー音楽だけが存在する世界を想像してみればよい。

純文学が衰退することによって、人々の言語能力や思考能力の低下、また伝統の継承や優れた文化醸成への悪影響なども懸念される。

一体、ノーベル文学賞に何が起きたのか?

産経ニュースの記事によると、イシグロ氏と村上春樹は互いにファンであることを公言しているという。

ノーベル文学賞に決まったカズオ・イシグロ氏。毎年、有力候補に名前が挙がる村上春樹氏とは、互いにファンを“公言”していることでも知られる。


産経ニュース(2017年10月5日21時27分)「カズオ・イシグロ氏と村上春樹氏、互いにファンを公言」<http://www.sankei.com/life/news/171005/lif1710050041-n1.html>(2017年10月6日アクセス)

ところで、芸術は古代、神的な行為であった。

文学が盛んだった古代アレクサンドリアを見てみよう。

モスタファ・エル=アバディ(松本慎二訳)『古代アレクサンドリア図書館(中公新書 1007)』*1によると、紀元前3世紀、エジプトの国際都市アレクサンドリアには研究施設ムーゼイオンと図書館があり、お互いが補い合う存在だった。

ムーゼイオンの計画はアテナイの二つの有名な哲学教育機関プラトンアカデメイアアリストテレスのリセウムをモデルとしていた。

アカデメイアにはミューズの神殿があり、リセウムにもミューズの神殿があって、学院は法的には宗教団体とみなされていたという。

ストラボンが、アレクサンドリアに設立されたムーゼイオンの責任者は国王によって任命される神官だと指摘しているそうだ。「主宰者たる聖職者の存在はこの組織の宗教性をよく表している」*2

また、前掲書には次のように書かれている。

「ムーゼイオン」という呼称もまた暗示的である。というのは、学芸の女神ミューズたちを祀る神殿を設けるのは、アテナイの哲学教育機関の特徴であったからである。哲学的、芸術的な霊感はミューズによるというのが当時の一般的な考えであり、ヴィトルヴィウスは科学上のインスピレーションもそれに含めている。…(略)…リセウムでも、またのちのアレクサンドリアのムーゼイオンでも、科学と文学との完全な融和が見られたのであった。*3

わたしは中学時代から芸術家としての作家――純文学作家――を志してきた。誰に教わるでもなく、ミューズを意識してきた。純文学といわれる分野は求道的で、まるで宗教みたいだと度々思った。

アポロドーロスが伝えるミューズには、恐ろしい一面もある。ミューズと歌の技を競って敗れたタミュリスは両眼とその吟唱の技を奪われたのだ。

ムーゼイオンで開催されていたミューズの祭典(文学コンクール)と比較すれば、今の日本で開催されている文学コンクールは、世俗的な臭気を漂わせているばかりか、左翼思想とはカラーを異にする作家志望者を排除する機関とすらなっている。ミューズはこれをどうご覧になっているのだろうかと考える。

同様に、ノーベル文学賞に関しては、ミューズはどうご覧になっているのだろうかと考える。

私事になるが、過去記事でも書いてきたように、わたしは物心ついたときから神秘主義者であったが、20歳過ぎてから時々オーラが見えるようになり、他の霊的な能力もいくらか目覚めてきた。こうした神秘主義的な能力は、純文学という宗教的体験の中で育まれたものだと考えている。

神秘主義的な傾向を持つ作家は多い。バルザックもその一人である。

ブラヴァツキーは大著『シークレット・ドクトリン』の中で、バルザックのことを「フランス文学界の最高のオカルティスト(本人はそのことに気付かなかったが)」*4といっている。

神智学を創始した新プラトン学派の系譜に連なるブラヴァツキー夫人の諸著に、わたしは目覚めてきた神秘主義的能力に関する科学的な解説を求め、的確と思える回答が得られた。

ただ、ここでいう科学とは、現代科学がまだそうした分野を解明するには至っていないため、ブラヴァツキー夫人が一部公開するまでは秘教とされてきた科学ということだが……。

アンモニウス・サッカスが設立した新プラトン学派は、アレクサンドリア学派に属した一派だった。

彼らがミューズの信者であったと知ったとき、ああだから作家志望者のわたしが神智学の本を読んだときに、何の違和感もなく、むしろ懐かしい感じがしたのだと思ったのだった。

*1:中央公論社、1997・3版

*2:アバディ,1997,p.72

*3:アバディ,1997,pp.72-73

*4:H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』、神智学協会ニッポン・ロッジ、1989、p.281