マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

26 ブラヴァツキー夫人の神智学を誹謗中傷する人々 ①ブラヴァツキー夫人とオウムをくっつける人

ウィキペディア日本語版の「神智学」「神智学協会」はひどい書かれ方をしている。あれではないほうがましなくらいだ。

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出典:Pixabay

コリン・ウィルソン(Colin Wilson,1931 - 2013)、ルネ・ゲノン(René Jean Marie Joseph Guénon, 1886 - 1951)は確たる根拠もなしに――著作からのまともな引用もなしに――ブラヴァツキー夫人を誹謗中傷しているが、彼らの信奉者によって孫引きが繰り返され、日本特有のおぞましい神智学協会像が出来上がっているようだ。

また、SPR(The Society for Psychical Research 心霊現象研究協会)のメンバーであったリチャード・ホジソン(Richard Hodgson,1855 - 1905)によって作成されたホジソン・リポートの虚偽性は1977年にSPRの別のメンバー、ヴァーノン・ジョージ・ウェントワース・ハリソン(Vernon George Wentworth Harrison,1912 - 2001)によって暴かれているにも拘らず、こうした新情報による更新のないまま、ブラヴァツキー夫人と神智学協会に対する誹謗中傷が繰り返されている。

ちなみにSPRの設立に関わったフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤース(Frederick William Henry Myers, 1843 - 1901)は長い間神智学協会の会員だった。

 

SPRが誕生した経緯

SPRが誕生した経緯について、ブラヴァツキー夫人の伝記ハワード・マーフェット*1(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』*2竜王文庫内 神智学協会 ニッポンロッジ,1981)には次のように記されている。

マイヤーズは神智学協会に関係のある超常現象に特別な興味をもっていました。彼もその友人達も皆、博学な人達でしたが、最近、自分達の特殊な協会をつくり、このような現象の研究を始めました。*3

これがSPRと呼ばれるようになった組織なのである。

前掲書『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』、ブラヴァツキー夫人の代表作『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』*4にはホジソンがどのような調査を行ったのか、またその当時の状況について詳細に書かれているのだが、ブラヴァツキー夫人と神智学協会を誹謗中傷する人々はバッシング自体が目的であるのか、ろくに調べもしないようである。

放言し放題の数々のブログを閲覧すると、怒りが湧くのを通り越して哀しくなってくる。ウィキペディアもそれらと同レベルなのである。彼らの多くがウィキペディアを「学習」しているのかもしれないが。

時間があるときに、どんな文献が参考にされたのか検証していきたいと思っている。気になる箇所はほとんど全部だが、その一部分だけでも抜粋してみる(「神智学」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』関係の記述は緑色とした――引用者)。

ウィキペディア日本語版「神智学」を検証する

神智学 - Wikipedia 
「神智学」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2015年9月16日 (水) 01:27 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

英語では一般的な意味での神智学的思想家は theosopher (神智家)といい、神智学協会の追従者を指す Theosophist (神智学徒、神智主義者)とは区別される[9]。伝統主義学派(英語版)の旗手ルネ・ゲノンは、『神智主義 - ある似非宗教の歴史』(1921年)を著して神智学協会を批判し、同協会の教義を「神智主義」(仏: théosophisme テオゾフィスム)と呼んで伝統的な神智学と区別した[10]。*5

空っぽな著作『世界の終末―現代世界の危機』でわたしを驚かせたルネ・ゲノンがさっそく登場する(※エッセー2425を参照されたい)。

出典を見てみる。

910も同じ著作で、アントワーヌ・フェーブル 著 『エゾテリスム - 西洋隠秘学の系譜』(田中義廣訳、白水社文庫クセジュ〉、1995年)。訳者は、ゲノンの空っぽな著作を訳した人と同じである。

ブラヴァツキーらの神智学は、西洋伝統思想が基礎にあり、西洋と東洋の智の融合・統一を目指すものであるとされる[39]。 ヒンドゥー教や仏教の教えが多く取り入れられたが、理解には限界があり、理解可能で利用できる部分だけを摂取して、それから先はユダヤ教の伝統に基づいた神秘思想カバラや、古代ギリシアプロティノス(3世紀)に始まり、万物は一者から流出したもの(流出説)と捉える新プラトン主義で補うという方法がとられた[40](神智学において、魂の構造や再生について多様な解釈が生まれるのは、ブラヴァツキーがそうした点を明確に説明していないからである[40])。*6

ブラヴァツキー夫人の方法論はこうした記述とは異なっている。

前掲のH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)は1978年に神智学協会出版部から出版されたジルコフ版からの訳出である。編集者ボリス・ド・ジルコフBoris Mihailovich de Zirkoff,1902 - 1981)はブラヴァツキー夫人の縁続きで、彼女の諸著作の深い研究家でもあったという。

ブラヴァツキー夫人の方法論

ジルコフは「『シークレット・ドクトリン』の沿革」の中で、「これは世界のいかなる教典から盗用したものではなく、ましてやそれをつなぎ合わせたものではない」*7と記す。

『シークレット・ドクトリン』の魅力とはまさにそうしたところから来ていると思う。わたしのような平凡な知能と乏しい教養の持ち主にも――深く理解することには困難が伴うが――そうした首尾一貫したものは感じられる。首尾一貫したものが最初にあり、それをわかりやすく説明するために多くの文献からの引用がなされているということが感じとれるのである。
ジルコフは適切に述べている。

『シークレット・ドクトリン』の基本的骨組みとはH・P・ブラヴァツキーという伝達者を媒介として、アデプト同胞団の二人以上のイニシエートにより明かされた秘教科学、及び哲学の総合的説明である。
 本文は、神秘知識の学徒であるH・P・ブラヴァツキーによる科学的論争や哲学的論文に始まり、秘伝を受けたオカルティスト、HPBの霊的思想や洞察力あふれる鋭い思考そして予言的説明、その上、時には広大な空間にこだまするオルガンの響きのように、より高いオカルティストの心から直接起こされたかのような感動的な句や高遠な意見まで、異なってはいても相互に関連する水準のものを含んでいる。『シークレット・ドクトリン』の真の姿は、このような複雑な体系を把握しない限り理解されることはない。*8

であるから、当然、参考文献40には明らかに問題がある。

40は、吉村正和 著 『心霊の文化史—スピリチュアルな英国近代』 (河出書房新社、2010)。

ブラヴァツキー夫人の神智学の根幹を探るために彼女の代表作を引用せず(読まずに。読めばこんな出鱈目を書けるわけがないのである)、心霊中心の著作を参考にしているというだけでもこのウィキペディアの執筆者の記事は胡散臭い。

Amazonの内容紹介は次のように書かれている。

商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)

心霊主義と一口に言っても、降霊会、骨相学、神智学など、その裾野は広い。当初は死者との交信から始まった心霊主義だが、やがて科学者や思想家たちの賛同を得ながら、時代の精神へと変容を遂げ、やがて社会改革運動にまで発展していく。本書では心霊主義の軌跡を追いながら、真のスピリチュアルとは何かを検証する。

この本を参考にしたというのか……(絶句)。

神智学の思想は多様な要素が強引に折衷されており、極めて複雑である。1888年に「ジアンの書」というセンザール語で書かれたという(架空の)古代奥義書をブラヴァツキーが翻訳・解説した(という設定の)『秘密教義』(シークレット・ドクトリン、The Secret Doctrine)が発表され、これにより彼女の思想は完全な形で世に出たが、通常の理解力では到底把握できない内容・文体であった[41]。セオドア・ローザクは、『ヴェールを剥がれたイシス』と『秘密教義』の「そのパノラマはあまりに広く、洞察と偏屈な意見が多すぎて容易な論評を許さない」[42]と述べている。ほとんどの人が『秘密教義』を理解できず、わかりやすく大要をまとめた『神智学の鍵』が出版された[41]。深遠さを演出して読者を煙にまく神秘化の手法も用いられ、重厚で難解だったブラヴァツキーの思想が当時の人々にどれほど理解されたかは不明であるが、彼女の思想に含まれる諸要素は、彼女の死後に明確化・具体化されていった[41]。

……

ブラヴァツキーは同時代に流行した心霊主義霊媒として活動していたが、心霊主義の単純な霊魂論に異議を唱え、物的証拠とは無縁の霊魂の存在と、ユダヤキリスト教では否定されていた死後の「再生」を確信し[4]、神智学に新しい心霊学としてインド思想を取り入れた[40]。*9

涙が出て来るほどひどい文章だ。参考文献を見てみる。

4は、ブログの記事で、「松岡正剛の千夜千冊」の『ルドルフ・シュタイナー○遺された黒板絵』である。

……しかし狭義の神智学はヘレーネ・ブラヴァツキー(しばしばマダム・ブラヴァツキーとよばれる)によって唱導されたスピリチュアリズムのことをさしていて、なかでも1875年にアメリカの農場でブラヴァツキーとオルコットによって設立された神智学協会をさすことが多い。
 ブラヴァツキーは1831年のロシアの生まれだが、やがてロシアを出奔して世界各地を放浪し、それぞれの地の神話や伝承や秘教を吸収していった。そこまでは過去の神秘主義者とたいして変わらないオカルト派だったのだが、しだいに英米中心のオカルティストとは異なるヴィジョンをもつようになっていった。「再生」を確信し、精神の根拠を物質的な実証性にもたないようになったのである。
 そのころ、多くのオカルティストは霊媒を信用していて、しきりに降霊術をおこなって、死者の言葉や霊魂がたてる音やエクトプラズム現象に関心を示していた。ブラヴァツキーはこれらに疑問をもち、いっさいの物的証拠とは無縁の霊魂の存在を確信するようになり、さらにユダヤキリスト教では否定されていた「再生」に関心を示した。この再生感覚はむしろ仏教思想に近いものだった。実際にもブラヴァツキーはインドに行ったか、もしくはその近くでのインド仏教体験をしたと推測されている。
 こうして神智学協会が設立されたのだが、その種火は小さなアマチュアリズムに発していたにもかかわらず、ブラヴァツキーが人種・宗教・身分をこえた神秘主義研究を訴えたためか、その影響は大きかった。この神智学協会の後継者ともくされたのがシュタイナーなのである。ついでに言っておくのだが、神智学協会の活動は1930年代には衰退したにもかかわらず、その波及は収まらず、その影響はたとえばカンディンスキーモンドリアンスクリャービンらの芸術活動へ、また日本にも飛び火して鈴木大拙今東光川端康成らになにがしかの灯火をともした。日本の神智学協会運動は三浦関造竜王会が継承しているというふれこみになっている。……

ウィキの記事の執筆者は、神智学の著作にブラヴァツキー夫人の『インド幻想紀行 ヒンドスタンの石窟とジャングルから』を挙げておきながら、「実際にもブラヴァツキーはインドに行ったか、もしくはその近くでのインド仏教体験をしたと推測されている」というようないい加減な記述のあるブログ記事を参考にしたわけである。

しかも、ブログ記事には「ブラヴァツキーは同時代に流行した心霊主義霊媒として活動していた」とは書かれていない。

ブラヴァツキー夫人が愛したインド、活発な報道機関

H・P・ブラヴァツキーによる書信(手紙)形式のエッセー集『インド幻想紀行 ヒンドスタンの石窟とジャングルから』は、29信から成る第一部と、7信から成る第二部で構成されている。

ロシア語の書信原文から英語版に編訳したボリス・ド・ジルコフによると(加藤大典訳『インド幻想紀行』筑摩書房、2003)、第一部のもととなったエッセーははじめ、ラッダ・バイという筆名で、不定期に「モスコヴスキヤ・ヴェドモスチ(モスクワ・ガゼット)」紙へ掲載された。*10

第二部のもととなったエッセーの掲載は、「ルースキー・ヴェストニク(ロシア・メッセンジャー)」誌が引き継いだ。解説の高橋巌氏によると、「ルースキー・ヴェストニク」誌にはトルストイツルゲーネフも寄稿しているそうである。ブラヴァツキー夫人は学術的な論文を書いたが、小説家としての一面もあった。

竜王会東京青年部編『総合ヨガ用語解説集』竜王文庫、1980)の「ブラヴァツキー(Helena Petrpvna Blavatsky) 1831~1891」からインドとの関係を次に引用する。

1873年モリヤ大師の指示によりアメリカへ渡り,1875年11月17日、ニューヨークに,オルコット大佐,W・Q・ジャッジと共に神智学協会を創立する。ブラヴァツキーが幹事,オルコットが会長,ジャッジが副会長であった。(略)1878年12月18日,協会をジャッジに託し,オルコットとインドに渡る。1879年9月,ボンベイにて雑誌「セオソフィスト」を創刊する。1882年12月17日,マドラスのアデュアーに神智学協会国際本部を設置する。又,ベナレスにセントラル・インド大学を創立して社会事業にも奉仕する。1885年11月,ヨーロッパへ旅に出る。(略)1891年5月8日,没。*11

前掲書ハワード・マーフェット『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』によると*12アメリカからインドへ出発したブラヴァツキー夫人を、ニューヨークのデイリー・グラフィック紙が1878年10月10付で報じている。12月19日には、ニューヨーク・サン紙が彼らの乗船を報道した。インドへ行く途中、イギリスへ寄ったときには、1879年1月24日付「ロンドン・スピリチュアリスト」紙がそれを報じた。

インドのボンベイブラヴァツキー夫人の一行が到着すると間もなく、当時のインドで最有力な新聞と見なされていたパイオニア紙のアルフレッド・パーシー・シネット(Alfred Percy Sinnet 1850 - 1921)から手紙を受けとった。シネットはブラヴァツキー夫人のよき理解者の一人となり、1880年からの4年間、モリヤ大師、クートフーミ大師と文通をし、書簡集は後の1923年に「A・P・シネットへのマハトマの手紙」と題して上梓された。

マーフェットによると*13、1885年にブラヴァツキー夫人が愛するインドを離れたのは、転地療養が必要なためだった。マドラスの猛烈な暑さが彼女の心臓に悪影響を与えていて、旅行に耐えられるほどにはなっていたが、船に乗るのに歩いて行くことはできず、病院から借りた車椅子に腰かけたまま、機重機で船に引き上げられた。

ブログ記事に「なにがしかの灯火」「日本の神智学協会運動は三浦関造竜王会が継承しているというふれこみになっている」とあるが、「なにがしか」「ふれこみ」とは何だろう? 

なぜその言葉が必要なのか。一々こんな嫌らしい尾ひれをつけなければ、気がすまないのだろうか。批判するにせよ、自分できちんと調べたことであれば、こんないいかたは逆にできないはずである。調べる価値もないことを印象づけようとしているかのようだ。

40は、前掲の吉村正和 著 『心霊の文化史—スピリチュアルな英国近代』 (河出書房新社、2010)。

41は、大田俊寛 著 『現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇』 (筑摩書房、2013)。

電子マガジン「シドノス」にプロフィールがあった。

大田俊寛(おおた・としひろ)
宗教学
1974年生まれ。一橋大学社会学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了、博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。専攻は宗教学。著書に『グノーシス主義の思想――〈父〉というフィクション』(春秋社)、主な論文に「鏡像段階論とグノーシス主義」(『グノーシス 異端と近代』所収)、「コルブスとは何か」(『大航海』No.62)、「ユンググノーシス主義 その共鳴と齟齬」(『宗教研究』三五四号)、「超人的ユートピアへの抵抗――『鋼の錬金術師』とナチズム」(『ユリイカ』No.589)など。

オウム真理教反日性を一顧だにしない文学博士

オウム真理教事件の真の犯人は「思想」だった」という記事にブラヴァツキー夫人に関係のあることが書かれていた。その部分を引用する。

……現在の私は、オウムとは、「霊性進化論」という思想潮流から生まれた宗教団体の一つであったと考えています。

霊性進化論の源流を作り上げたのは、一九世紀後半に活躍したロシアの霊媒ブラヴァツキー夫人という人物です。当時の世界では、ダーウィンの進化論が広範に普及し、その影響から、旧来のキリスト教信仰が大きな打撃を受けていました。こういう状況のなかでブラヴァツキーは、スピリチュアリズムと進化論を融合させることにより、「神智学」と呼ばれる新たな宗教運動を創始したのです。……*14

ブラヴァツキー夫人の著作からの引用もなければ、参考文献も挙げられていない。麻原がブラヴァツキー夫人の著作を読んだかどうかは知らないが、如何な人間離れしたブラヴァツキー夫人でも読解力のない人間の尻ぬぐいまではできないだろう。

そもそも、これを書いた人物がブラヴァツキー夫人の著作をまるで読んでいないか、読む能力を欠いているのかのどちらかだ。

孫引きで構成されたいい加減な記事しか書けない癖に、なぜかある程度の知名度があって、自身の主張を広く世間に発信する力を持っている――このような人物こそが思想的な混乱を招く大きな一因となっているとわたしは思うのだが、そんなことは夢にも思わないのだろうか。

わたしは、オウム真理教事件の真の犯人は「国語力の不足」だったと考えている。だから、閲覧者が少ないにも拘わらず、拙ブログ『マダムNの覚書』で文学について、読書について書いてきた。

わたしはオカルト情報誌『ムー』の愛読者だった。不思議な話満載、玉石混交、若いわたしをわくわくさせてくれる雑誌だったのだ。麻原の記事は記憶にあり、顔も体も不自然に歪んだ空中浮遊(?)の写真が怪しげなものとして印象に残っている。

竜王会の今は亡き男友達とそれについて話したことがあった。彼は、昔の自分であれば、超能力がほしくて麻原主宰の修行に参加しただろうが、さすがに神智学や三浦先生のヨガの教えを知っていたので、それはできなかったといった。

また、オウム真理教反日テロ組織であったことは明白で、中共のような思想弾圧している一党独裁国家ではない、憲法第20条で信教の自由を規定した日本国において彼らは反日テロを起こすという重大な思想的問題を孕んでいたわけだが、そのことを問題視しないのはどういうわけだろうか。

ブラヴァツキー夫人に関する大田俊寛氏の論考に疑問を抱き、ココログブログ「マダムNの覚書」にノートしているところである。いずれノートをまとめたエッセーにして、当ブログに収録する予定。ここでは、これまでにとったノートへのリンクを張るにとどめる。(2021年2月27日)

2020年8月 5日 (水)
大田俊寛『『現代オカルトの根源』、レイチェル・ストーム『 ニューエイジの歴史と現在 』を読書中。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/08/post-f6fae9.html

2020年8月 7日 (金)
国際的な医学雑誌「ランセット」からの引用が、1889年出版のブラヴァツキー著『神智学の鍵』に登場していた!
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/08/post-232b98.html

2020年8月 8日 (土)
レイチェル・ストーム『ニューエイジの歴史と現在』で紹介された、ブラヴァツキー夫人に対する非難の無邪気すぎる内容
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/08/post-4d7bf9.html

2020年8月20日 (木)
大田俊寛氏はオウム真理教の御用作家なのか?
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/08/post-9fcec2.html

2020年8月28日 (金)
大田俊寛オウム真理教の精神史』から抜け落ちている日本人の宗教観
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/08/post-54f9d7.html

2020年9月 4日 (金)
ブラヴァツキー夫人の伝記にあった引用文を探して。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/09/post-c442c9.html

2020年9月 5日 (土)
ブラヴァツキー夫人の伝記にある引用に関する昨日の続き。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/09/post-fb5a34.html

2020年9月15日 (火)
「原子の無限の分割性」とブラヴァツキー夫人は言う
 →エッセー「106」として公開中。動画版は「107
https://elder.tea-nifty.com/blog/2020/09/post-0656f0.html

42は、セオドア・ローザク『意識と進化と神秘主義』(志村正雄訳、鎌田東解説、紀伊国屋出版社、1978)。

セオドア・ローザクついては、検索の仕方が悪いのか、ほとんど情報が出て来なかった。しかし、『ヴェールを剥がれたイシス』と『秘密教義』について、セオドア・ローザクは「『そのパノラマはあまりに広く、洞察と偏屈な意見が多すぎて容易な論評を許さない』と[42]述べている」とあるところからすると、ローザクは少なくとも、ブラヴァツキー夫人の代表作を読んだのだろうと思われる。

ブラヴァツキー夫人が回答する、神智学と心霊主義の違い

質疑応答形式でまとめられたH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995・改版)の第二章に「神智学と心霊主義の違い」という見出しがあるので、神智学と心霊主義の違いを端的に知りたければ、37頁から44頁を参照されたい。重要な部分を引用しておく。

問 それは、あなたは心霊主義の哲学を全部否定なさるということですか?
答 心霊主義の未熟な学説を「哲学」というのなら否定します。しかし、本当のことを言って心霊主義者達には哲学はありません。
(略)
問 神智学協会はもともと心霊主義と人間の個性が死後に存続するという考えをつぶすために作られたと私は聞きましたが?
答 それは違います。私達の教えはすべて不死の個性に基づいています。あなたは他の人達のように、人格我と個性とを混同しています。西洋の心理学者はこの二つの明白な区別をしていないようです。だが、東洋哲学を理解する鍵を与えるのはまさしくこの違いです。そしてそれはまた神智学と心霊主義の教えとの間の相違のもとです。(略)神智学の教えは霊と物質の同一性を主張し、霊は潜在的な物質であり、物質は結晶した霊にすぎないと言います。例えば氷は固体化した水蒸気であるようにです。しかし、万物の大本で永遠の状態は霊ではなく、いわば超霊(目に見える形体のある物質はその周期的な現れにしかすぎない)なので、私達は霊という言葉は「まことの個性」に適用することができるだけだと主張します。*15

フランス語版ウィキペディアが伝える大戦中の迫害、ペレストロイカ後のロシアで復活したブラヴァツキー

シモーヌ・ヴェイユウィキペディアの記事が日本語版とフランス語版ではずいぶん違っていたので、「神智学協会」をフランス語版ウィキペディアで閲覧してみた。次の写真が使われている。

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Helena Blavatsky (au centre, debout), Henry Steel Olcott (au centre, assis) et Damodar Mavalankar (3e de gauche) à un congrès de la Société de théosophie à Bombay (Mumbai) en 1881.
出典:Wikimedia Commons

同じようなことが書かれていたとしても、ブラヴァツキー夫人を貶めようとする意図が感じられないというだけで、こんなに清々しい印象を受けるものだろうか。

神智学を誹謗中傷したゲノン(エッセー 25ブラヴァツキー批判の代表格ゲノンの空っぽな著作『世界の終末―現代世界の危機』 」を参照されたい)の考えも紹介されているが、冒頭に次のように書かれている。

Parmi les opposants à la théosophie moderne, René Guénon est un des plus virulents.*16

Google先生に訳していただくと、「近代神学の反対者の中でも、ルネ・ゲーノンは最も毒性の強い人のひとりです」と訳されたので、笑ってしまった。

わたしなら、「近代神智学への反対者の中でも、ルネ・ゲノンは最も辛辣な一人です」と訳すところだが、virulent(e) には「意地悪な」「とげとげしい」という意味もあり、それらも魅力的に感じられる。が、ゲノン有毒説は捨てがたい。

いや、冗談だが、ゲノンを辛辣というには、彼のブラヴァツキー夫人批判にそれなりの論拠が必要なはずで、ゲノンにはそれがない。それにも拘らず、誹謗中傷という毒性を持ち、強い伝染性があるのは確かだ。

「Persécutions(迫害)」という項目を読むと、第二次大戦中、ドイツ、フランス、オランダ、スペインといった西欧の国々で、フリーメーソン同様、神智学協会の会員が迫害されたことがわかる。

「ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー」をロシア語版*17で閲覧してみた。ロシア語は全くわからず、辞書もないので、完全にGoogle先生に頼るしかないが、充実した内容に驚かされる。

Google先生が次のように訳された箇所に、特に興味が湧いた。

ロシアの3つの主要な図書館(RSL、NLR、BAN)によって2012年にリリースされた図書館書誌分類では、E. P. Blavatskyの思想は「ロシアの哲学」セクションに割り当てられています。宗教と宗教の哲学科のメンバーを含む哲学と宗教の分野で、多くの専門家が参加しました。モスクワ州立大学の哲学科がこの版の作成にあたりました。

(略)

20世紀の終わりには、科学界でも、神学文献での関心が急増しました。以前は、20世紀半ばの80年代半ばに「ペレストロイカ」の始まりに至るまで、理想的な理由から、E. P. Blavatskyの作品の出版は不可能でした。例えば、1953年の百科事典辞典(The Encyclopedic Dictionary)は、Theosophyを「反動的ブルジョア隠喩の一形態」と呼んでいます。

E.P.Blavatskyの研究のなかには、ロシアの宇宙主義(N.F. Fedorov)の起源であったと主張するロシアの哲学者の研究と比較される研究者もいます。Blavatskyの教義は、ロシアの宇宙論者の理論に反映され、哲学と芸術におけるロシアの前衛に近いものでした。

Google先生の訳はもう一つのようだが、おおまかにわかるところでは、ぺレストロイカ後に、ブラヴァツキーの著作の出版や研究が可能になったようだ。ブラヴァツキー夫人の研究が一気に進むかもしれない。

何しろ、エッセー 82 「18世紀のロシア思想界を魅了したバラ十字思想」で見ていったように、オンライン論文、笠間啓治「『戦争と平和』にあらわれたロシア・フリーメイスン*18には、「中世が生んだこの形而上学的思考方法は、18世紀ロシア思想界を席巻したと言っても過言ではない。というより、まったくの無菌状態のロシアにて異常繁殖したと表現してもよいだろう」と書かれていた。

イルミナティフリーメーソンを侵食しなければ、ロシアは暴力革命に走る代わりに、豪華絢爛な思想を花開かせたかもしれなかった。その影響は哲学的深みのあるロシア文学に見ることができるのだが、ブラヴァツキー夫人が母国ロシアで復活したと考えると、わたしはまばゆいような喜びでいっぱいになる。


マダムNの覚書、2015年9月21日 (月) 05:40 

関連記事:

51 神智学協会の歴史を物語る古い映像を含むドキュメンタリー

79 ブラヴァツキー夫人がニューエイジの祖というのは本当だろうか?

 

*1:Howard Murphet,1906 - 2004

*2:When Daylight Comes: A Biography of Helena Petrovna Blavatsky
 (Theosophical Pub House, June 1, 1975)

*3:マーフェット,田中訳,1981,p.265

*4:田中恵美子&ジェフ・クラーク訳,神智学協会ニッポン・ロッジ,1989,『シークレット・ドクトリン』の沿革

*5:「神智学」広義の神智学と狭義の〈神智学〉

*6:「神智学」ブラヴァツキーと神智学協会(狭義の神智学)

*7:ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,『シークレット・ドクトリン』の沿革p.130

*8:ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,『シークレット・ドクトリン』の沿革p.129

*9:「神智学」ブラヴァツキーと神智学協会(狭義の神智学)、思想、理論・思想

*10:H・P・ブラヴァツキー(加藤大典訳)『インド幻想紀行 下』(筑摩書房、2003)訳者あとがきによると、第一信は1879年11月30日付。

*11:竜王会東京青年部編,1980,p.77

*12:田中訳,1981,pp.206-225

*13:田中訳,1981,pp.298-299

*14:オウム真理教事件の真の犯人は『思想』だった」オウムの思想の根幹は『霊性進化論』

*15:ブラヴァツキー,田中訳,1995,pp.40-42

*16:「Société théosophique(神智学協会)」『フリー百科事典 ウィキペディアフランス語版』。2018年10月1日14:29 UTC、URL: https://fr.wikipedia.org

*17:「Еле́на Петро́вна Блава́тская(ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー)」『フリー百科事典 ウィキペディアロシア語版』。2018年9月19日07:33 UTC、URL: https://ru.wikipedia.org

*18:スラヴ研究(Slavic Studies), 42: 41-59,北海道大学スラブ研究センター,1995,URI: http://hdl.handle.net/2115/5233