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マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

28 二つの神智学協会(追記:初めてヘレナ・レーリッヒの写真を見て)

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「ネオ神智学」という用語を、無知なわたしは昨日知った。
ブラヴァツキー、オルコットと共に神智学協会を設立したウィリアム・クァン・ジャッジ(1851 - 1896)は、ブラヴァツキーの死後、新たに指導者となったアニー・ベザント及びリードビーターと仲違いした。

ジャッジは1886年、アメリカで新しく神智学協会を立ち上げた。ジャッジの協会のほうがアメリカでは通りがいいという。ジャッジが亡くなった1896年にはアメリカ全土で200以上の支部があったそうだ。

ネオ神智学 - Wikipedia を読むと、ジャッジは清廉潔白というイメージだ。そして、アニー・ベザントらの神智学はネオ神智学(Neo-Theosophy)という批判の籠もった用語で呼ばれることもあるという。

脚注で挙げられている文献を見ておきたい。タイトルの訳は、文献の大体の傾向を知るための適当な訳である。

アニー・ベザントが第2代会長を務めた神智学協会をアディヤール派、ジャッジの神智学協会をポイント=ローマ派(現「神智学協会・国際本部〈カリフォルニア州パサディナ〉)と呼ぶらしい。
このことを知るかなり前に、神智学協会ニッポン・ロッジ(アディヤール派ということになるが)からジャッジの著作『オカルティズム対話集』*1が出たので、わたしはジャッジの論文集を読んでいた。

序文を読むと優れた内容であるように紹介されているのだが、率直にいってしまうと、わたしにはそうは思えなかった。
あくまで勉強中であるわたしの個人的な感想にすぎないことを断って放言すると、アニー・ベザントがブラヴァツキーの神智学を要約する場合にもう一つだと思うところがあるが、ベザントの志の高さ、美しさは伝わってくるし、リードビーターの著作にはシュタイナーに似たおかしなところ――空想的キリスト教史観とでもいうべきか――があると思うが、さすがだと思える部分もある。
しかし、アディヤール派ニッポン・ロッジでの評価も高いジャッジの著作を読んでわたしはその単調な雰囲気に失望し(挿入されたブラヴァツキーとの対話の断片だけは貴重だと感じられた)、如何にアニー・ベザントとリードビーターに不満があるといっても、ジャッジの著作を読んで受ける印象からすれば、格が違うという気がしてしまったのだった。
手記「枕許からのレポート」*2を執筆したころから、牛歩の歩みながら本格的に神秘主義的に生き始めたとの自覚のあるわたしには、優れた神秘主義の著作は精神修養書であると同時に実用書でもある。

文学、哲学、神智学といった分野の著作を身に刻むようにして読むことがわたしの修行になっているのかどうかはわからないが、別段身体的な修行をしたわけではないのに――物心ついたときには前世やあの世の仄かな記憶があったわたしは、ありふれた子供を装いながらも変わり者ではあったが――次第に透視力や透聴力といった神秘主義的な内的感覚が目覚めてきたのを自覚するようになった。
肉体感覚では捉えられない現象を内的な感覚でキャッチするようになったのである。そのため、その方面の学習が絶対的に必要となった。
それが何であるかを教えてくれる信頼できる参考書は神智学叢書、ヨガ関係書以外ではほとんど見つからない。
わたしはブラヴァツキー、レーリッヒ夫人*3、また自叙伝で著名なパラマンサ・ヨガナンダ*4の著作*5をよく参考にし、例外的にリードビーターを参考にすることがある。

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パラマンサ・ヨガナンダ
Standard Pose; this image of Paramahansa Yogananda appears in many of his publications. It was very probably taken at approximately the time Yogananda arrived in the USA, in 1920.

From Wikimedia Commons, the free media repository

例外的にというのはリードビーターの著作を全面的には信頼していないからだが、彼はオーラや想念形体の解説を著作で豊富に行っており、オーラの解説は参考になるし、またそんなものが見えるはずがないと思っていたタイプの例えば幾何学的形体を備えた想念形体にしても2度だけだが目撃してなるほどと思ったりしたのだった。
わたしは日記体小説『詩人の死』*6で次のように書いた。

 神秘主義ではよく知られていることだが、霊的に敏感になると、他の生きものの内面的な声(思い)をキャッチしてしまうことがある。人間や動物に限定されたものではない。時には、妖精、妖怪、眷族などという名で呼ばれてきたような、肉眼では見えない生きものの思いも。精神状態が澄明であれば、その発信元の正体が正しくわかるし、自我をコントロールする能力が備わっていれば、不必要なものは感じずに済む。
 普段は、自然にコントロールできているわたしでも、文学賞の応募作品のことで頭がいっぱいになっていたときに、恐ろしいというか、愚かしい体験をしたことがあった。賞に対する期待で狂わんばかりになったわたしは雑念でいっぱいになり、自分で自分の雑念をキャッチするようになってしまったのだった。
 普段であれば、自分の内面の声(思い)と、外部からやってくる声(思い)を混同することはない。例えば、わたしの作品を読んで何か感じてくれている人がいる場合、その思いが強ければ(あるいはわたしと波長が合いやすければ)、どれほど距離を隔てていようが、その声は映像に似た雰囲気を伴って瞬時にわたしの元に届く。わたしはハッとするが、参考程度に留めておく。ところが、雑念でいっぱいになると、わたしは雑念でできた繭に籠もったような状態になり、その繭が外部の声をキャッチするのを妨げる。それどころか、自身の内面の声を、外部からやってきた声と勘違いするようになるのだ。
 賞というものは、世に出る可能性への期待を高めてくれる魅力的な存在である。それだけに、心構えが甘ければ、それは擬似ギャンブルとなり、人を気違いに似た存在にしてしまう危険性を秘めていると思う。
 酔っぱらうことや恋愛も、同様の高度な雑念状態を作り出すという点で、いささか危険なシロモノだと思われる。恋愛は高尚な性質を伴うこともあるから、だめとはいえないものだろうけれど。アルコールは、大方の神秘主義文献では禁じられている。
 わたしは専門家ではないから、統合失調症について、詳しいことはわからない。が、神秘主義的観点から推測できることもある。
 賞への期待で狂わんばかりになったときのわたしと、妄想でいっぱいになり、現実と妄想の区別がつかなくなったときの詔子さんは、構造的に似ている。そんなときの彼女は妄想という繭に籠もっている状態にあり、外部からの働きかけが届かなくなっている。彼女は自らの妄想を通して全てを見る。そうなると、妄想は雪だるま式に膨れ上がって、混乱が混乱を呼び、悪循環を作り上げてしまうのだ。

こうした神秘主義的な考察をするに当たって、何の参考書もなかったとしたら、対照できる事例がないことからくる孤独感や心細さに苛まれたに違いない。

しかし、有益な参考書があれば、解説に共鳴したり、教えられたり、また逆に疑問を深めたりしながら、神秘主義的な体験はこの世でも役に立つエッセンスへと変容していくのだ。
こうした観点から読んでいると、ジャッジの著作はせっかく目覚めてきた透視力や透聴力を圧殺するかのごとき否定と恐怖心の植え付け、抽象的な忠告、その半面マハートマ*7やオカルト能力への好奇心を誘う傾向にあると思われ、それにしてはわたしはジャッジの著作に出てくる「師匠」の言葉から新鮮な自覚を促されることがない。

先に述べたように、これはあくまでわたしの場合がそうだというだけの話である。自分の感じかたに自信があるわけではない。
アニー・ベザントとリードビーターはクリシュナムリティをメシアに育て上げようとして会員たちの反発と脱会を招いたが、マハートマ現象への敷居を低くし、結果的にマハートマ通信ブームの火付け役となったのは著作の内容から判断する限りにおいてはジャッジなのではないだろうか。
ブラヴァツキーを別にすれば、レーリッヒ夫人だけは別格で、著作を通じてマハートマという高貴な存在を感じさせてくれるようにわたしには思われる。
わたしはブラヴァツキーを指導したマハートマたちの存在を疑ったことがなく、だからかむしろマハートマへの好奇心がほとんどない。オカルト能力を求めたこともない。
神秘主義的な感受性は先に述べたように、平凡な人間として生きるなかで出合う試練、真摯な読書や創作を通して自然に目覚めてきた。そして、わたしはブラヴァツキーの著作の哲学的な魅力に浴することができるだけで、大満足なのだ。
仮に英語ができたとしても、ジャッジの著作が苦手なので、ポイント=ローマ派に入ろうとは思わなかっただろう。
アディヤール派の神智学協会ニッポン・ロッジで、ジャッジを含む様々な神智学文献の邦訳論文や解説に触れられることに感謝しつつ勉強させていただいている。
ポイント=ローマ派のホームページを訪問したら、ブラヴァツキー及びジャッジの論文が自由配布されていた。

www.ultindia.org

英語が堪能だったとしても、いきなり読めば、神智学用語や学術用語、また内容の難解さに戸惑うかもしれない。

それにしても、ブラヴァツキーの死後、神智学協会はよくもまあ盛大に分裂したものだ。第2次大戦中にはナチスの迫害もあったようだし、内憂外患というべきか。
だが、分裂、結構ではないか。学術団体だと考えれば、学派がいろいろあるほうがむしろ自然だと思う。

 

〔追記〕

ウィキペディア英語版でヘレナ・レーリッヒ(Helena Ivanovna Roerich  (Russian: Елéна Ивáновна Рéрих; February 12, 1879 – October 5, 1955)を検索し、レーリッヒ夫人の写真を初めて見た。涙が出た。

なぜなら若い頃のレーリッヒ夫人の写真(肖像画?)が、昔わたしが前掲の『枕許からのレポート』を書いてしばらくして塾で見た天使のような人の容貌にそっくりだったから。
正確にいえば、わたしが見た天使のような人をこの世の人間に置き換えれば若い頃のレーリッヒ夫人の容貌そっくりになる。塾での出来事はエッセー27 で書いた。

レーリッヒ夫人の写真がパブリック・ドメインであった。

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Helena Roerich
From Wikimedia Commons, the free media repository

次の写真は後年に撮られたものだろう。

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Helena Ivanovna Roerich. Naggar, India
From Wikimedia Commons, the free media repository

以下はレーリッヒ夫妻によって設立されたアグニ・ヨガ協会のホームページ

www.agniyoga.org

 

マダムNの覚書、2015年9月26日 (土) 07:39

 

関連記事:51 神智学協会の歴史を物語る古い映像を含むドキュメンタリー

*1:田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『オカルティズム対話集』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、平成8年)

*2:当ブログ「34 枕許からのレポート」に収録。Kindle版も出ている。直塚万季『枕許からのレポート(Collected Essays, Volume 4)』(Kindle版、2013年、ASIN: B00BL86Y28)

*3:ヘレナ レーリッヒ(Helena Roerieh) 1979~1955.アグニ ヨガの教えの伝達者。アグニ ヨガの母といわれる。1879年2月16日,ロシアの貴族の家系にエレナ イワノヴナとして生まれる。父は建築家。幼年期,母の妹,プチャチン王女の別荘に過ごす。並外れて感受性が豊かで動物と語らい,又,聖書や哲学の本に親しみ,音楽,絵に対するすばらしい才能もあった。1901年,ニコラス レーリッヒと結婚し,共に考古学の旅をする。その後,ペテルスブルグに定住し,二人の男の子の母となる。この時期に東洋哲学の研究を続ける。1920年代に入って,レーリッヒ夫妻はモリヤ大師から,後にアグニ ヨガの叢書として編集された指示を受け始めた。この指示の多くは,夫妻が,アメリカで自分達のまわりに集めた若い弟子たちに話された。1923年からの中央アジア探検に同道した彼女は沢山な恐ろしい試練に耐えた。“アグニ・ヨガの母の上首尾の結果は,人類の新しい一歩を示すこの教えの伝達を可能にした。探検が終わった1928年,「アグニ ヨガ」という本が出版された。(以下略).(竜王会東京青年部編)『総合ヨガ用語解説集』pp.78-79より抜粋(竜王文庫、昭和55年)

*4:Paramahansa Yogananda - Wikipedia, the free encyclopedia Paramahansa Yogananda (Bengali: পরমহংস যোগানন্দ) (5 January 1893 – 7 March 1952)

*5:パラマンサ・ヨガナンダ『ヨガ行者の一生』関書院新社、昭和35年初版、昭和54年第12版。2015年9月28日現在Amazonで見たところでは、『あるヨギの自叙伝』(森北出版、1983年)として出ているようだ。

*6:直塚万季『詩人の死』(Kindle版、2013年、ASIN: B00C9F6KZI)

*7:マハートマ(Mahātma,梵)文字通りには「偉大な魂」のことで、最高位のアデプトをいう。自らの低級本質を克服した高貴な方で、従って肉体に妨げられずに生きておられる。霊的進化で達した段階に比例した智慧と力をお持ちである。パーリ語ではラハットまたはアルハットと言う。(H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、平成7年改版、用語解説p.61