マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

35 本もオーラを放っている

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出典:Pixabay

寝床で本を読んでいたためか、次のような夢を見た。

知っている文学部の老教授が亡くなる(現実には何年も前の出来事)。

わたしはバンガロー風のカフェにいて、わたしに宛てられたという形見となってしまった2冊の雑誌を渡され(渡したのは感じのよい女性だった気がするが、はっきりしない)、それを見る。

詩を中心に編集された格調高い専門誌で、表紙はどことなくパウル・クレーの絵を想わせる。ワンポイント的に置かれた顔のイラストは、岡本太郎の「太陽の塔*1の顔に似ている。色合いが大変シックで美しくて、1冊はほのかに煌めく焦げ茶色に香るばかりの薔薇色の線があしらわれている。もう1冊は同じデザインだが、薔薇色の部分がパステルブルーになっている。

先生はわたしとその雑誌について素朴に語り合いたいと思っていらしたという。それを聴き、感動のあまり号泣する(目覚めたとき、本当に泣いていた)。

 本の装丁が、この世ではお目にかかれない美しさだった(色合いも線も)。

神秘主義では眠りの世界は死後の世界とつながっているといわれるが、あの世の色合いの美しさといったらない。この世に近い――中間域の――あの世の色合いでさえ、そうなのだ。

でも、この世にいても良質の霊感があれば、人間も皆、否生き物全て、物でさえ、本体は光であることがわかり、それはあの世の状態で物を見ているということなのだ。

本もオーラを放っている、というより本も光なのだが、日本人によって書かれる最近の純文学(ということになっているエンターテイメントともいえない日本語が変な小説)、ファンタジー、児童書も、わたしには肌理の粗い、金属的な、暗い、錯綜した色に感じられるものが多い(比較的良質に感じられるものも勿論あるが)。

そうした本は、傍にあると、ひどく苦痛だ。下層域に引き摺り込まれる気がして恐怖さえ覚えることがある。本は良書を選ばなくては、オーラに悪い影響を与える。もっとも、こうしたことはこの世の言葉では、好みに合わないの一言で片付く。

オーラという言葉をポピュラーにしたのはブラヴァツキーだが(古代からオーラという言葉はある)、本や雑誌、インターネットの記事などで目にするオーラについてのほとんどが嘘っぽい。この世では何て、嘘が横行しているのだろう!*2

 

マダムNの覚書、2013年7月 6日 (土) 18:10

*1:1970年に開催された日本万国博覧会(EXPO'70・大阪万博)のために岡本太郎が制作した作品。

*2:エッセー29「わたしが観察したオーラと想念形体、そしてプライバシーに関わると考える他人のオーラ」を参照されたい。