マダムNの神秘主義的エッセー

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38 シネマ「アレクサンドリア」 ③現代の科学者にすぎなかった映画のヒュパティア

インデックス

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Ambrose Dudley, (fl. 1920s)
The Burning of the Library at Alexandria in 391 AD
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

 

映画「アレクサンドリア*1を観た。

地中海の真珠と謳われた、国際的学術都市であったアレクサンドリア
アレクサンドリアの街並みは、マルタ島のリカゾリ砦に建築された実物大のセットとデジタル技術とが融合したものだという。

よくぞつくられたと思う反面、あまりに狭く混み合った、猥雑で薄汚い印象にがっかりするものを覚えた。町中で破壊行為がなされた時代が時代だから、荒れ果てたような描写は当然にしても、元々の雰囲気があまりに違うのではないか、という疑問が拭えなかった。

わたしは映画のヒロインとなったヒュパティアをマンリー・P・ホール(大沼忠弘・山田耕士・吉村正和訳)『象徴哲学体系 Ⅲカバラと薔薇十字団』(人文書院、1981年)の中の紹介で知ったことから、例えば、その中のヒュパティアが僧侶グループに襲われる下りのむごいが背景のわかる描写から、もっと別の街並みがイメージされていたのだ。

彼らは広々とした街路でアカデミアから自宅へ向かって通り過ぎていくヒュパティアを襲った。無防備の彼女を二輪馬車から引きずり下ろし、カエサル教会へ連行した。*2

失望は他にもあった。この制作者もパンフレットの書き手も、新プラトン派を知らないと感じさせられたことだ。

ヒュパティアはちっとも、新プラトン派の哲学者らしくなかった。あれでは、ただの現代の科学者だ。

プラトンプロティノスの著作を読めばわかることだが、彼らの科学は哲学の中に組み込まれているのだ。というより哲学の一部分なのだ。

そして、その哲学とは、見える世界及び見えない世界についての洗練された探求なのだ。また、それは小宇宙としての人間及び大宇宙としての宇宙の探求でもある。

プラトン派は神秘主義者で、神秘主義の辞書に奇蹟という言葉はないから、元々キリスト教とは相容れない性質のはずだ。

ところが、映画では、あたかも科学者を信仰者の上に置く、現代的価値観からヒュパティアを優位に立たせる描き方で、何か違う。

ホールの前掲書から以下に引用する箇所では、ヒュパティアが如何にも新プラトン派的にキリスト教批判を行っただろうことが、想像できる。

ヒュパティアの教義の神髄はキリスト教的だと考えた著作家は多い。事実、彼女はこの新興宗教を包んでいた神秘のヴェールを取り払い、その最も複雑な原理をまことに明晰に説明したので、キリスト教に帰依したばかりの者が多数、それを捨てて彼女の弟子になったほどだった。ヒュパティアはキリスト教が異教に起源を有することを決定的に論証したばかりでなく、現象界を支配する自然法を明示することにより、当時神の好意を示すものとしてのキリスト教徒が唱導した奇蹟と称するものの正体を暴露した。*3

著者のこの文章がどのソースによるものかは、調べてみなくてはわからないのだが、ここに描かれたヒュパティアには、如何にも新プラトン派らしい、と感じさせるものがある。

パンフレットに、出村みや子アレクサンドリアとヒュパティア』と題されたヒュパティアの紹介文があり、その中に以下のような文章がある。

ヒュパティアの生涯に関する最も古く、信頼できる資料が5世紀の同時代人で、教会史家のソクラテス(Socrates Scholasticus 390年頃-439年以降)の記述であり、そのほかに彼女の弟子のひとりで後に410年ないし412年にキュレネの主教となったシュネシオスの書簡や、アテーナイのプラトンアカデメイアの学頭となったダマスキオスの証言がある。これらの資料においてヒュパティアは当時何より哲学者として名声を得ていたことが知られるが、これを裏付ける彼女の哲学的書物は何も残っていない。この映画では、この世を超えた超越的価値を志向する当時の新プラトン派哲学者を彷彿とさせるヒュパティアの発言が随所に見られる。しかし最近の研究者は彼女の重要性をむしろ、古代世界における最初の女性数学者、天文学者であったことに見ており、この点についてはかなりの情報が伝えられている。(下線は引用者)

下線に注意していただくと、最近の研究者は、ヒュパティアが当時何より哲学者として名声を得ていたことがわかっているにも拘らず、裏付ける資料が残っていないのをいいことに、新プラトン派末期の輝かしい一員としての意義をヒュパティアから奪い、代わりに女性科学者という副次的な価値を賦与していることがわかるだろう。

わたしにいわせれば、最近の研究者も映画制作者も気づいていないのかもしれないが、これこそがキリスト教の影響によるものだ。

ヒュパティアを魔女とするよりは女性科学者という現代的かつ無難な持ち上げ方をする(実は貶めている)ほうが今となってはキリスト教にとってむしろ安全なわけであり、そうすることによってキリスト教は新プラトン派と、神秘主義の内容を競わずに済む――現代的な検証に晒されずに済む――わけだ。

このことは、キリスト教アレクサンドリアの聖カタリナにヒュパティアを吸収させて、キリスト教にとって無難な存在につくり変えたのと事情は同じだ。

勿論、最近の研究者も、映画制作者も、そんなことは意識していないだろうが……。

また、紹介文の中で、映画では「新プラトン派哲学者を彷彿とさせるヒュパティアの発言が随所に見られる」とあるが、そんな発言は、わたしには一つとして発見できなかった。

とはいえ、映画の内容は概ね、史実を辿ったものとなっていた。

4世紀末、ローマ帝国の分裂、解体期におけるエジプトのアレクサンドリアが舞台。
エジプトはローマ帝国の属国であるが、主教とその親衛隊である修道兵士が実権を握るようになる。ローマ帝国衰退の歴史は、キリスト教発展の歴史でもあったのだ。

テオドシウス1世(位379-337)はキリスト教を国教化するが、それはローマ帝国キリスト教にのっとられたことを意味していた。異教が禁止されたということは、学問の自由が禁止されたということでもあり、アレクサンドリア図書館の終焉は、その象徴的出来事といえた。 

モスタファ・エル=アバディ(松本慎二訳)『古代アレクサンドリア図書館』(中央公論社中公新書 1007、1991年初版、1997年第3版)によってアレクサンドリア図書館がどんな性質のものであったかを見ていくと、アレクサンドリアの中心たるべく設立されたのは、ムーゼイオンという名の、大総合図書館を付置した一大研究センターだった。ムーゼイオンの計画はアテナイの二つの有名な哲学教育機関、プラトンアカデメイアアリストテレスのリセウムをモデルにしていた。
ストラボンによると、それは王宮の一部であり、散歩道(ペリパトス)、アーケード(エクセデラ)、会員用大食堂を備えた大きな建物からなる。会員たちはすべてを共有する共同社会を構成し、代々の国王(ローマ帝国領となった今は皇帝)によって任命されるムーゼイオンの責任者である神官が一人いた。

ムーゼイオンという学芸の女神ミューズを祀る神殿で学問ができた会員たち。そこでは、科学と文学との完全な融合がみられたという。
しかし、前48年に王立図書館が消失してからは、セラペウムの神域内に位置していた姉妹図書館がアレクサンドリアの中心的図書館だった。
この姉妹図書館は、王宮からはかなり離れた町の南部のエジプト人街に位置していたらしい。そして、おそらく391年がこの図書館の最期だった。

著名な数学者だったヒュパティアの父テオンが、記録に残る最後のムーゼイオン・メンバーだった(380年頃)。
映画に出てくるテオンは、あまりに平凡なお爺さんだった。

ヒュパティアの死は415年のことだった。

映画のヒュパティアを演じたのは、イギリス生まれのレイチェル・ワイズ。成熟した女性の落ち着きと用心深さ、ほどよいクールさがあり、まあまあだった。難点をいえば、講義にもっと生き生きとした表情を出してほしかった。

架空の人物、奴隷のダオスの葛藤はよく描かれていた。自由を求めてキリスト教徒となったダオスの失望……ヒュパティアに寄せる切ない恋情が哀れだ。

シュネシオスは物足りない。
ヒュパティアの思い出を懐かしそうに手紙に綴って後世に貴重な史料を提供したシュネシオスの存在感と役割が、あんなものでいいわけがない。主教にまでなった男だ。
制作者はヒュパティアの死のときには既にいなかったシュネシオスの寿命を引き延ばしているが、彼がいなかったからこそのヒュパティアの死という描き方もできたろう。

虚実とり混ぜた長官オレステスは、魅力的な人物造形がなされていた。

宇宙衛星から鳥瞰したような地球。視点は、そこからアレクサンドリアへ向かう。その逆もあった。
ズームイン、ズームアウトが繰り返され、闘争を繰り返すキリスト教グループと異教グループは、上空から眺めると、まるで蟻の動きのように見える。

上空から近づいていくと聴こえてくるキリスト教徒たちの叫びが、わたしには「パンを! パンを!」と聴こえた。経済問題と奴隷の問題があるようだった。

大衆の生活に密着したキリスト教のような現世利益的宗教は、どうしたって伸びるのだ。奴隷は、ローマ帝国との戦争で敗れて連れてこられた捕虜たちだろうか?
ヒュパティアに仕えていた奴隷のアスパシウスは、ご主人様に匹敵する鋭い科学的勘を有していて、印象的だった。
ダオスにしても、賢くて科学に適性があったから、キリスト教徒になってみると、地球は平べったいなどというキリスト教には色々と物足りないところが出てきたのだった。   

しかし――繰り返しになるが――、映画で描かれたのは、あくまで新プラトン派の一面だけであり、他の面は無視されている。

現代になっても、ヒュパティアの死で失われた学問の半身は、失われたままだ。新プラトン派は、全く同じ方法で、見える世界と見えない世界を研究したというのに、見える世界の研究については先端科学であったと評価され、見えない世界の研究については擬似科学という不名誉なレッテルが貼り付けられている。

キリスト教の呪縛はいつまで続くのだろう?

ヒュパティアがただの現代の科学者風に描かれているのは、上に書いたような事情によるところが大きい。現代人の自画自賛にすぎないものだ。

と、いろいろと文句をつけながらも、見応えのある映画ではあった。あの時代に現代を当て嵌めた映画として見れば、別の発見があっていいかもしれない。

わたしがヒュパティアの扱いに拘る理由の一つは、わたしが神智学協会の会員で、新プラトン派の哲学者たちや彼らの説に、馴染みがあるからだ。大学時代にプロティノスの哲学に触れて恍惚となったわたしは犬年生まれの特技を生かし、抜群の嗅覚でその薫りを辿っているうちにブラヴァツキーの神智学に出合った。

大学関係から出ている哲学の本は、表面的な解説に終始しているという印象で全く満足できず、自分自身もその哲学に生きている研究者がなまの解説をしている、という印象を与えられたのはブラヴァツキーの著作くらいだった。

ただ、それにはどういうわけか、擬似科学似非科学、などというレッテルがべたべたと貼り付けられていて驚いた。さらに驚いたことには、それら誹謗中傷の輩はブラヴァツキーの著作を本当に読んでいるのかいないのかはっきりしないほど、誹謗中傷の内容から彼女自身の著作の影は薄かった。

実際に当たってみると、ブラヴァツキーの著作は厳正でバランスのとれている印象だった。大学時代から時々オーラが見えるようになっていたわたしの目に、『シークレット・ドクトリン』の原書はサファイアの色合いそっくりのえもいわれぬ光の塊に見えた。美麗という言葉は、この光の色合いを表現するためにあると思えたほどだった。しかしまた、彼女の著作はとてつもなく難解でもあった。そもそも代表作の『シークレット・ドクトリン』ですら、まだ全訳が出ていない。

『シークレット・ドクトリン』の副題は「科学、宗教、哲学の総合」だが、内容はまさにそうしたもので、理系には文系的部分が読めず、文系には理系的部分が読めないといった風の難解さがあった。大学の研究機関にあって当然の著作が、あまり頭のよくない一主婦にすぎないわたしなどの手にある哀れさは、元を辿れば、ヒュパティアの受難に辿り着く。

わたしには比較的読みやすいと感じられた『神智学の鍵』を読んでみると、神々が持っているような神聖な智慧、を意味する神智学という言葉が、新プラトン派から出たものだと書かれていた。

神ではなく神々、というところに注目していただければ、なるほど新プラトン派の背景となった宗教が多神教であることがわかるだろう。『神智学の鍵』には、ピタゴラスプラトンアレクサンドリアの哲学者のことや、その説について考察したものが沢山出てくる。キリスト教の教義との違いも詳細に解説されている。

初めて『神智学の鍵』を読んだ当時、わたしは古代の歴史や思想に無知すぎて、知らない名前や様々な説にめまいを覚えるばかりだった。

それが、今ではかなりわかるようになって、ブラヴツキーの書いていることにどれほど信憑性があり、重要なことであるかを理解できるようになった。新プラトン派の流れは絶えたわけではないのだ。 

夫も『アレクサンドリア』を観たいというので、付き合ってもう1回観ることになりそうだ。映画の生々しさに、帰宅して何度も嘔吐してしまったが、古代アレクサンドリアが舞台というだけで、何度でも観たい気がしてしまう。

 

マダムNの覚書、2011年5月 6日 (金) 20:58

*1:アレクサンドリア AGORA,2009年スペイン映画,日本公開: 2011年3月5日,上映時間: 2時間7分,配給: ギャガ,監督: アレハンドロ・アメナーバル,脚本: アレハンドロ・アメナーバル/マテル・ヒル,キャスト: ヒュパティア=レイチェル・ワイズ/ダオス=マックス・ミンゲラオレステスオスカー・アイザック/アンモニウス=アシュラフ・バルフム/テオン=マイケル・ロンズデール/ジュネシオス=ルパート・エヴァンズ/アスパシウス=ホマユン・エルシャディ/キュリロス=サミ・サミール/メドルス=オシュリ・コーエン

*2:ホール、大沼・山田・吉村訳、1981、p.280

*3:ホール、大沼・山田・吉村訳、1981、pp.278-279