マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

42 レオ・ペルッツが飼っていたレオ・ペルッツ虫と神智学

インデックス

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こんな記事ばかり書いていると、そのうちお叱りを受けるのではないかと怯えているが、また書いてしまう。

でも、わたしのように性格の悪い人間が書かなければ、誰も書かない。神智学徒には知的で奥ゆかしい人が多いので、ブラヴァツキーの神智学が誹謗中傷を受けているのを知った際には心を痛めつつも見て見ぬふりをする習慣のついている人が多いのだ。

夫は神智学には何の興味もない人であるが、わたしの愚痴を聞き、どう考えても辻褄の合わない戦時中の罪――冤罪という言葉がある――を言い立てられて(勿論戦時下特有の罪は犯しただろうが)、中韓にこてんぱんにやられている今の日本に似ているという。角を立てて反論しなくてもそのうち終わると楽観視していたんだよ、と夫。

そうなの、似ているようにわたしにも思えるのよ。とわたしはいったが、所詮他人事という顔つきで、夫は自分で淹れたドイツコーヒー・ダルマイヤープロドモを啜った。全てが――自分のことも――他人事である夫はある意味で凄い人だと思う。

全てを自分のことのように思い、身動きがとれなくなったわたしはあたかも蜘蛛の巣にかかった蝶さながらではあるまいか。あるいは蜘蛛である可能性もあるが……

何年か前の萩旅行で買った茶碗に満たしたコーヒーに、生クリームを思い切りしぼり出して考える。

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ホットミルクを加えて白コーヒーにすればよかった。白コーヒーと訳してあるホットミルク入りコーヒーがペルッツの本に出てきたのだ。

蜘蛛なら、家の中を忍者のように飛び回る、蜘蛛の巣を作らない徘徊性のハエトリグモになりたいものである。ハエトリグモは人間の嫌う小型の虫を退治してくれる益虫とされる。

あまりにもブラヴァツキーの神智学に対する誹謗中傷がひどいので(低レベルなので)、怒りを通り越していささか単調な気分になってきたところではあるが、わたしの分身であるハエトリグモが初見の誹謗中傷虫を見つけてきたので、ピンセットで摘まみ、記事の上に置いてみたところである。

今日捕まえたのはレオ・ペルッツというエンター系作家に棲みついていたので、レオ・ペルッツ虫とでも呼んでおこう。レオ・ペルッツは白コーヒーを飲む人だったらしいから、レオ・ペルッツ虫を飼うつもりなら白コーヒーをスプーンに1杯、それに無責任という息を1日1回吹きつけてやればいい。

ルネ・ゲノン虫のように文明評論家を気取っているわけではなく、コリン・ウィルソン虫のように識者を気取っているわけでもない。ウィリアム・ジェームズ虫のように哲学者・心理学者と自分を勘違いしていたわけでもない。(当ブログにおける過去記事を参照されたい)

レオ・ペルッツ虫はちょっぴり無知で、虚飾癖があり、甚だ無責任であっただけである。甚だ無責任というところが全虫に共通した生態なのだ。

プラハ生まれのユダヤ人作家レオ・ペルッツ(Leo Perutz,1882 - 1957)はレオ・ペルッツ虫の宿主だった。

邦訳版が沢山出ている。『レオナルドのユダ』(エディションq、2001)、『最後の審判の巨匠』(晶文社、2005)、『ウィーン五月の夜 (叢書ウニベルシタス) 』(法政大学出版局、2010)、『夜毎に石の橋の下で』(国書刊行会、2012)、『ボリバル侯爵』(国書刊行会、2013)、『第三の魔弾』(白水社、2015)、『スウェーデンの騎士』(国書刊行会、2015)、『聖ペテロの雪』(国書刊行会、2015)。

神秘主義の本からとってきた宝石を器用に散りばめた空想小説あるいは出鱈目小説を書いた。斜め読みしたら、わたしには面白いとも思え面白くないとも思えた。

本の装幀がどれも美しくて、タイトルも魅力的なので、騙された感がある。筋金入りの神秘主義者が執筆した絢爛豪華な幻想小説と勘違いしたのだ。

小説を読みかけて、ミステリー仕立てだとしても、あまりにも落ち着きがない作風に疑問が湧き、「短編小説・紀行・文芸評論などを収録したアンソロジー」とアマゾンの商品説明にあったレオ・ペルッツ (ハンス=ハラルト・ミュラー編、小泉淳二・田代尚弘訳)『ウィーン五月の夜 (叢書ウニベルシタス) 』(法政大学出版局、2010年)を借りた。

その本に、レオ・ペルッツ虫が丸まって眠っていた。文芸時評「インド」214頁に寝ていて、脚の片方が215頁にかかっていた。虫をちょっと突いてみたら、気炎を吐いた。

「滑稽でグロテスクな面のある神智学のさまざまな観念や見解」

「神智学や心霊学[オカルト]といった余計な添加物」

「神智学やその奥義を究めた師匠たちが、この本のなかでも多少は話題になるが、その扱いかたは、それほどていねいなものとはいいがたい」

この本というのは、一読に値する本とペルッツが言うリヒャルト・シュミット博士の著書『インドにおける苦行者と苦行』のことである。

探し方が足りないのかもしれないが、『ウィーン五月の夜 』で神智学が出てくるのはここだけだ。同じ本に収められた短編「月を狩る」の中で、カタリ派壊滅に至ったアルビジョアの戦いが1箇所だけしか出て来ないように。雰囲気作りのために使ったのだろう。いくら創作のためでも、神秘主義者であれば、そんな使い方はできない。

神智学が出てくる前の頁でペルッツは次のように書いている。

ちょうど西洋が、過去数世紀にわたる幼年時代のたびかさなるひきつけの記憶が呼び起こす、かすかな戦慄を押し隠しながら、懐疑の微笑をようやく習いおぼえたあのころ、インドから奇妙な報告が数多く寄せられてきたのだった。苦行、難行、殉教、隠遁。数々の壮絶な戦いを経て、膨大な犠牲を払ったのちに、ようやく近代精神が手なずける術[すべ]を心得た魂の重苦しい震撼。それらが、あの神秘の国ではいまだにきわめて盛んだというのだ。*1

キリスト教的な直線的進歩史観からすれば、過去は劣ったものでしかないのだろう。インドは未だその過去を生きており、そのインドの思想について多くを書いたブラヴァツキーの神智学もまた過去のものとなるべきだという考えなのだろう。

ブラヴァツキーは苦行、難行、殉教、隠遁にも様々な種類と程度があることを示したのだが。そして、霊的進化は螺旋を描くと教える。

西洋にはブラヴァツキーの神智学に魅了された人々と、否定し嘲る人々がいたようだ。否定しても構わないと思うが、最初に否定が来るのはおかしいのではあるまいか。少なくとも学問的とはいえまい。レオ・ペルッツに神智学を研究した形跡はない。

ではレオ・ペルッツがこうしたことに全く興味がなかったかというと、そうではないようである。

最後の審判の巨匠』(垂野創一郎訳、晶文社、2005年)の「編者による後記」によると、夫人が亡くなったあとで「オカルティズムに傾倒し、前後五回にわたって降霊会を開き亡妻との会話を試みるまでになった」*2とある。

降霊会のようなことこそ、ブラヴァツキーは過去のものとすべきだと主張し、その危険性について詳細に書いている。

レオ・ペルッツが傾倒したのは心霊主義であって、神智学ではない。ペルッツは神智学の何を知ったつもりになっていたのか甚だ疑問である。

だが、ペルッツの本を読む人は、彼が神智学をほとんど知らずに神智学を嘲ったとは思わないだろう。ブラヴァツキーの神智学が悪し様に言われているのに驚いて確かめると、大抵こんな風である。

これを書くうちにレオ・ペルッツ虫は干からびて粉になり、粉はどこかへ飛んでいってしまった。レオ・ペルッツ虫はあと何匹棲息しているのだろう。途方もない数なのだろうか。

 

マダムNの覚書、2016年1月14日 (木) 22:07

*1:Perutz,1996 小泉・田代訳,2010,p.213

*2:Perutz,1923 垂野訳,2005,p.258