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マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

49 絵画に見る様々なマグダラのマリア

インデックス

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Free Images - Pixabay

執筆中の拙児童小説『不思議な接着剤』にはグノーシス主義福音書文書の一つ  『マリアによる福音書』に登場するマグダラのマリアをモデルとした人物を登場させるため、マグダラのマリアについて自分なりに調べてきた。

マグダラのマリアを調べるということは原始キリスト教グノーシス主義について調べるということでもあるが、参考資料を探すうちに神智学徒として馴染んできたH・P・ブラヴァツキーの諸著がこの方面の研究には欠かせないことがはっきりしてきた。

並外れた神秘主義者であったH・P・ブラヴァツキー(1831年8月12日 – 1891年5月8日)は古代思想の優れた研究家であった。

わたしは英語が苦手なので邦訳が出るのを待たなければならないが、特に参考になりそうなのは Isis Unveiled である。

2巻本の原書に対して4冊構成となっている邦訳版はこれまでに2冊が上梓されており、その2冊H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 下』(竜王文庫、2015)にはキリスト教が出てきた背景やグノーシス主義について、多くの記述がある。

キリスト教権威主義が原因でブラヴァツキーの諸著がアカデミズムから閉め出されている現状は、人類の思想史研究にとって大きな損失だと思われる。

マグダラのマリアについて、少しずつまとめながら当ブログにエッセーとして収録していきたいと考えている。手始めに、マグダラのマリアを題材としたパブリック・ドメインの絵画作品を鑑賞してみたい。

聖書の人物によって衣服の色がおおむね定まっており、聖母が青や紺色の衣やマントを着るのに対し、マグダラのマリアは緑色の下衣、朱色のマントを身につける事が多い。*1

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初期フランドル派の画家ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1399年頃 - 1464年6月18日)の聖マグダラのマリア。当時のフランドル女性という感じだが、右手を香油壺にかけている。衣装の左腕の模様が任侠映画に出てきそうな和柄っぽく見える……。

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16世紀に描かれたマグダラのマリア。円光がまるで麦藁帽子のよう。

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ルネサンス期のイタリアの画家ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488年頃 - 1576年8月27日)の『懺悔するマグダラのマリア』(1533年頃)。豊かな髪の毛をショールのように使って中途半端に裸体を隠している。風呂上りかと思ってしまう。傍らに香油壺。

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ルネサンス期のイタリアの画家パオロ・ヴェロネーゼ (1528年 - 1588年)の『マグダラのマリアの改宗』(1547年頃)。1573年7月、ヴェロネーゼ は異端審問に召喚された。サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会の食堂の壁画『最後の晩餐』の型破りな描き方が問題視されたのだった。彼は作品を描き直すようにとの命令に屈せず、タイトルを『レヴィ家の饗宴』と変更して済ませたという。

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マニエリスム期のギリシアの画家エル・グレコ(1541年 - 1614年4月7日)の『悔悛するマグダラのマリア』(1576年 - 1577年)。

画家の筆は悔悛直後のマグダラのマリアを捉えたのだろうか。

髑髏が聖書に置かれている。よくマグダラのマリアと一緒に描かれる髑髏だが、イエスはゴルゴダの丘磔刑死した。

ゴルゴダとはアラム語Golgothaで、頭蓋骨を意味するという。

頭蓋骨の形をした丘でイエスは磔刑に処されたのだ。イエスの死を見届けたマグダラのマリアが頭蓋骨(髑髏)と共に描かれるのは、そうした意味からなのか?

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バロック期のスペインの画家ホセ・デ・リベーラ(1591年1月12日 - 1652年)の『マグダラのマリアの浄化』(1636年)。

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617 年12月31日 - 1682年4月3日)の『無原罪のお宿り(「スルトの無原罪のお宿り」または「ベネラブレスの無原罪のお宿り」と呼ばれる)』(1678年頃)は似た構図。マグダラのマリア聖母マリアというテーマの違いはあるけれど。

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ムリーリョの聖母の絵はクリスマスのカードなどにもよく使われているようだ。

『NHKプラド美術館4 民衆の祈りと美 リベーラ、スルバラン、ムリーリョ』(責任編集 大高保二郎・雪山行二、日本放送出版協会、1992)によると、ムリーリョの妻ベアトリスは産褥熱が原因で40歳で亡くなり、子供たちの多くも亡くなってしまった。娘はフランシスカだけとなったが、彼女は聾者で、ドミニコ会の修道院に入った。パロミーロによれば、ムリーリョは「画才も人柄も天賦の素質に恵まれ、善良温厚で、優しく、謙虚で慎ましい人間であった」という。

前掲の『無原罪のお宿り』は深々とした母性を感じさせ、次に示すそれ以前の1660年~65年頃に制作された『無原罪のお宿り(特に「エスコリアルの無原罪のお宿り」の名で知られる)』は清浄そのものといってよいのか、清純そのものといってよいのかわからないが、比類ない美しさを湛えている。

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ムリーリョは何枚もの無原罪のお宿りを制作しており、マグダラのマリアも複数制作している。

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ムリーリョの聖マグダラのマリア。1650年~55年頃の制作。印象的な作品だが、一般女性の渾身の祈りという感じである。何かに恐怖しているようにも見える。マグダラのマリアの前方に聖書、髑髏、香油壺が配置されている。

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フランス古典主義の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593年3月19日 - 1652年1月30日)。『悔い改めるマグダラのマリア』(1635年頃)、ナショナル・ギャラリー。

光と影が織りなす謎めいたムード。髑髏に左手をかけて瞑想するマグダラのマリアが占い師のように見える。

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同じくジョルジュ・ド・ラ・トゥールの『悔い改めるマグダラのマリア』(1635年頃)、メトロポリタン美術館。これも光と影の使い方が巧妙。膝の上に髑髏あり。髑髏の代わりに猫でもいいような気がする。

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現代女性風だと思ったら、これまでの絵よりは時代が下った19世紀、オランダ生まれのフランスの画家アリ・シェフェール(1795年2月10日 - 1858年6月15日)によるマグダラのマリアだった。

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イギリスのノリッジに生まれたラファエル前派の画家アントニー・オーガスタス・フレデリック・サンズ(1829年 - 1904年)のマグダラのマリア。美しい絵だけれど、香油壺を手にしていなければ、マグダラのマリアとはわからない。

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ロシア帝国の画家ヴィクトル・ミハイロヴィチ・ヴァスネツォフ(1848年5月15日 - 1926年6月23日)の「マグダラのマリア」(1898年)。超然としたムードが神話に登場する女神のようだ。マリアは香油壺を手にしている。

他にも様々なマグダラのマリアが描かれてきたが、次に紹介する東方正教会マグダラのマリアのイコン(14~17世紀)を観たとき、決定版はこれだと思った。

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一般人でない感じが出ているのは、これが一番ではないだろうか。マグダラのマリアがイエスに最後まで付き従った志操堅固な弟子だったことからすると(他の弟子たちは怖じ気づいて逃げてしまった)……場所柄からも……

萬子媛の肖像画を連想してしまった。

西方教会ではベタニアのマリア、罪の女がマグダラのマリアと同一視され、特に悔悛した娼婦というイメージが形成されたのに対して、東方正教会では同一視されなかった。描かれるマグダラのマリアに違いがあるのは伝承の違いによる。

東方正教会マグダラのマリアはどのように語り伝えられているのか、ウィキペディアから引用しておく。

伝説
(……)マグダラのマリアは晩年にイエスの母マリア、使徒ヨハネとともにエフェソに暮らしてそこで没し、後にコンスタンティノポリス(現イスタンブール)に移葬されたと信じられている。

 

正教会での伝承の概略

マグダラのマリアについて、福音書に記載の無い伝承は以下の通りである。

  • 主の升天後、生神女聖母マリア)や使徒達とともに常に祈り、広くエルサレム中に主の復活を伝え、第一の証人となった。
  • 神の道を伝えるために、方々を旅した。
  • ローマへ行き、皇帝ティベリウスに会って紅い鶏卵を献上し、ハリストス(キリスト)の復活を伝え、主の十字架の死を物語り、ピラトによるイイスス・ハリストスの死刑は不法であったと皇帝に訴えた。ユダヤ人には、貧しい者が祝賀・敬意の気持ちを示す際に鶏卵を贈る習慣があり、この習慣に則ってマグダラのマリアが皇帝に紅卵を献上してから、復活の記憶(復活大祭)に鶏卵を贈る習慣が始まった。*2 

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レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐より、部分。 イエスの向かってすぐ左隣に位置する女性的な風貌の人物は使徒ヨハネとされているが、一説ではマグダラのマリアともいわれている。

 

マダムの覚書、2016年2月23日 (火) 19:31

 

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