マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

85 祐徳稲荷神社参詣記 (6)勝本華蓮『尼さんはつらいよ』にみる現代日本の尼僧事情

f:id:madame-nn:20110517103326j:plain

上座部仏教
出典:Pixabay

花山院萬子媛は佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社の創建者として知られている。

祐徳稲荷神社の寺としての前身は祐徳院であった。明治政府によって明治元年(1868)に神仏分離令が出されるまで、神社と寺院は共存共栄していたのだった。祐徳院は黄檗宗の禅寺で、萬子媛が主宰した尼十数輩を領する尼寺であった。

萬子媛は、公卿で前左大臣・花山院定好を父、公卿で前関白・鷹司信尚の娘を母とし、1625年誕生。2歳のとき、母方の祖母である後陽成天皇第三皇女・清子内親王の養女となった。

1662年、37歳で佐賀藩支藩である肥前鹿島藩の第三代藩主・鍋島直朝と結婚。直朝は再婚で41歳、最初の妻・彦千代は1660年に没している。

1664年に文丸(あるいは文麿)を、1667年に藤五郎(式部朝清)を出産した。1673年、文丸(文麿)、10歳で没。

1687年、式部朝清、21歳で没。朝清の突然の死に慟哭した萬子媛は翌年の1988年、剃髪し尼となって祐徳院に入った。このとき、63歳。1705年閏4月10日、80歳で没。


図書館から『尼さんはつらいよ』という本を借りた。

尼さんはつらいよ (新潮新書)
勝本 華蓮 (著)
出版社: 新潮社 (2012/01)
ISBN-10: 4106104539
ISBN-13: 978-4106104534

尼僧の環境がどのようなものであるかを中心に、現代日本における仏教社会の裏事情が活写された、興味深くも脱力感に襲われるような内容だった。

著者は在家出身で、広告関係の仕事で成功していたが、ある仏教者との出会いがきっかけとなって仏教にのめり込む。会社を畳んで比叡山に転居し、佛教大学と叡山学院に学んだ。3年後に、京都の天台宗青蓮院門跡で得度。佛教大学卒業後、尼寺に入り、そこで現実をつぶさに見、幻滅して尼寺を出た。その後、仏教研究者(専攻はパーリ仏教)の道を歩んで現在に至るようである。年齢はわたしと近く、1995年大阪府生まれの著者は三つ上になる。

パーリ仏教は上座仏教(上座部仏教)、南伝仏教ともいわれるようだが、昔は小乗仏教といった気がして「上座部仏教」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版*1を閲覧すると、小乗仏教という呼称はパーリ仏教側の自称でないため、不適切であるということになったらしい。

本には、上座仏教圏のスリランカ、タイ、大乗仏教チベット仏教の話や、尼僧の活動が目立つという台湾、香港の話も出てきた。そういえば、YouTubeで梵唄を検索したとき、台湾か香港からのアップと思われる仏教音楽の動画が沢山出てきて、驚かされたことがあった。

本の核心に触れると、日本の尼寺は絶滅の危機に瀕しているらしい。

尼寺における、あまりにも俗っぽいエピソードの数々が紹介されている。全ての尼寺がそんな風ではないのだろうが、著者自身の体験が報告されているのだから、その一端が描かれていることは間違いない。

尼寺が絶滅の危機に瀕している原因を、著者は「なぜ尼寺に弟子が来ないか、来ても続かないか、その理由は、日本が豊かになったからである。生活や教育目的で寺を頼る必要がないのである。そういった福祉は、国家や公共団体が面倒をみてくれる」*2といった表層的社会事情に帰している。

しかし、いくら物質的に豊かになったとしても(今の日本はもはやそうではなくなっているといえる)、人間が老病死を完全に克服しない限りは宗教は需要があるはずである。

歴史的原因を探れば、明治期の廃仏毀釈、第二次大戦後のGHQによる占領政策フランクフルト学派によるマルクス主義の隠れた強い影響を見過ごすことはできない。これらによって、日本の仏教が壊滅的ダメージを被ったことは間違いないのだ。

本には、著者の神秘主義的能力の萌芽と思われる体験や、心霊現象といったほうがよいようなエピソードがいくつか挟み込まれているが、こうしたことに関する知識は著者が身を置いた世界では全然得られないのだと思われて、この点でも何だか脱力感を覚えた。

江戸中期に亡くなった萬子媛のような筋金入りの尼僧は、今の日本では望むべくもないということか。次に紹介する本では、まだ萬子媛の頃の名残が感じられたのだが……

あやめ艸日記―御寺御所大聖寺門跡花山院慈薫尼公
花山院 慈薫 (著), バーバラ ルーシュ (編集), 桂 美千代 (編集), ジャニーン バイチマン (翻訳), ベス ケーリ (翻訳)
出版社: 淡交社 (2009/1/30)
ISBN-10: 4473035697
ISBN-13: 978-4473035691

『あやめ艸日記―御寺御所大聖寺門跡花山院慈薫尼公』の編者バーバラ・ルーシュは次のように記す。

このような経験を積み重ねてゆくにつれ、尼門跡寺院という制度があることがわかってきました。この制度は、日本の真なる文化財の一つともいえますが、十九世紀の廃仏毀釈令によってほとんど破壊されてしまいました。尼門跡寺院というのは、何かを抑えつけるところではなく、逆に解き放つところといえる存在であり、もしこのような場が存在しなかったら、日本のきわめて高い文化的教養をもった女性たちが幾世紀にもわたって活躍できなかっただろうと思われます。皇室由来の寺院におられた尼僧様たちが、和歌の古典的な形態をみがき上げ、『源氏物語』に関する文化、さらに茶道、華道、香道、年中行事などの保存にお勤めになられたのでございます。

尼門跡とは皇女や貴族の息女が住職となる寺院で、随筆集『あやめ艸日記』の執筆者である花山院慈薫(臨済宗大聖寺二十七代門跡 1910 - 2006)は31代・花山院家正(1834年 - 1840年)の娘。萬子媛は、21代・花山院定好の娘だった。

和歌には、エッセー 78祐徳稲荷神社参詣記 ⑤扇面和歌から明らかになる宗教観」でみたように、日本人の宗教観が薫り高く織り込まれてきたのだ。

その貴い伝統を、左翼歌人俵万智が壊した。

 

マダムNの覚書、2018年9月20日 (木) 04:33

*1:上座部仏教」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2018年7月16日 12:17 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

*2:勝本,2012,p.42

84 ブラヴァツキー(忠源訳)『シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論』を読んで

f:id:madame-nn:20180625132950j:plain

魅力的なフリー画像 · Pixabay

アマゾンに書き込んだ拙レビューを転載します。

シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論 (神智学叢書)
H.P.ブラヴァツキー (著), 忠 源 (翻訳)
出版社: 竜王文庫 (2018/1/1)
ISBN-10: 4897416205
ISBN-13: 978-4897416205

http://www.amazon.co.jp/dp/4897416205

霊(モナド)・魂(知性)・肉の三つの面から総合的に捉えられた人類発生論
★★★★★

まだ読み込んだとはいえませんが、この著作が貴重な、またこの上なく面白いものであることには間違いないと思われますので、おすすめです。

ブラヴァツキーの著作を読むと、人類の知的遺産の薫りがして、作品の中に破壊されたアレクサンドリア図書館までもがまるごと存在しているかのような感動を覚えずにはいられません。

肉体的、物質的な面に限定された観点からではない、霊(モナド)・魂(知性)・肉――七本質――の三つの面から捉えられた人類発生論ですから、宇宙発生論同様、この『第2巻 第1部人類発生論』の内容も深遠です。

『シークレット・ドクトリン』がブラヴァツキーの渾身の執筆作業を通じて、大師がたの監修のもとに人類に贈られた科学、宗教、哲学を統合する一大著作であるとすれば、それは現人類にとって、自分を知るための最高の教科書であるはずで、その記述が深遠、難解であるのも当然のことでしょう。

宇宙発生論を復習すると、目に見える惑星には自分を含めて七つの仲間球があり、一つの惑星チェーンを構成します(四番目のものが最も濃密、目に見える実体のある球体です)。惑星上の生命の源モナドはその七つの球体をまわり――一環(ラウンド)といいます――、七回まわります(七環あります)。

わたしたちは第四環の第四球体である物質地球(D球)上に存在しており、第5〈根本〉人種期にあります。第6、第7と続きます。

「人間は――動物の姿をした神だが――〈物質的自然界〉の進化だけによる結果であり得るのか?」(106頁)というテーマが壮大な宇宙と地球的ドラマを見せながら展開される中でも、月と地球の関係など、本当に神秘的な記述でありながら、なるほどと納得させられるだけの根拠が感じられます。

月から来たモナドである月ピトリ達(月の主方)のアストラル的な影(チャーヤー)であり、自生であった第1人種。滲出生であった第2人種。卵生、二重性(雌雄同体)であった第3人種。その終わりに、性の分離が起きます。

人間の性の分離後における半神的な人間の最初の子孫がアトランティス人で、このアトランティスの巨人達が第4人種でした。

レムリア、アトランティスに関する記述は圧巻です。古代の宗教・哲学、神話、寓話、伝説、伝承がかくもダイナミックに甦るとは。

わたしは昔、学研から出ていたオカルト情報誌「ムー」アトランティス伝説を知り、その後アトランティスについて書かれたプラトンの未完の作品『クリティアス』を読みました。この度、美しい、わかりやすい日本語で、ブラヴァツキーの筆が醸し出す精緻、荘重な雰囲気を味わいながらアトランティスに関することを読める幸福感はまた一入でした。

プラトンは、アトランティスに関することをファンタジーとして書いたわけではありませんでした。新プラトン学派とも呼ばれた古代神智学徒の流れを汲む近代神智学徒ブラヴァツキーにアトランティスに関する記述があったとしても、不思議なことではありません。

初めてこの本を開いたのは、2017年のクリスマスでした。クリスマスに、旧約聖書に登場するノアがアトランティス人として語られるくだりを読むのは、格別の面白さに感じられたものです。

「訳者 あとがき」で『シークレット・ドクトリンの第1巻 宇宙発生論』を平成元年に上梓された第二代竜王文庫社長で綜合ヨガ竜王会第二代会長、神智学協会ニッポン・ロッジ初代会長でもあった田中恵美子先生による訳者はしがきが紹介されており、その中で『シークレット・ドクトリン』の構成について、次のような説明がなされています。

<ここから引用>
『シークレット・ドクトリン』の原典の第一巻は第1部「宇宙発生論」スタンザとその註釈、第2部「シンボリズム」、第3部「補遺」となっています。又、二巻は第1部「人類発生論」スタンザと註釈、第2部「世界の宗教とシンボリズム」、第3部「補遺」となっています。
<ここまで引用>

第1部「宇宙発生論」スタンザとその註釈に関しては、以下の邦訳版をアマゾンで購入できます。

シークレット・ドクトリン 宇宙発生論《上》
H・P・ブラヴァツキー (著), 田中恵美子 (翻訳), ジェフ・クラーク (翻訳)
出版社: 宇宙パブリッシング; 第1版 (2013/4/15)
ISBN-10: 4907255004
ISBN-13: 978-4907255008

https://www.amazon.co.jp/dp/4907255004

83 トルストイ『戦争と平和』… ④フリーメーソンとなったピエールがイルミナティに染まる過程

f:id:madame-nn:20180524200957j:plain

七月蜂起(1917)。ユリウス暦7月4日のペトログラード
From Wikimedia Commons, the free media repository

f:id:madame-nn:20170918191743p:plain

エッセー「トルストイ戦争と平和』に描かれた、フリーメーソンイルミナティに侵食される過程」(エッセー番号80~85)

目次 

  1. 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面(80
  2. ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ81
  3. 18世紀のロシア思想界を魅了したバラ十字思想(82
  4. フリーメーソンとなったピエールがイルミナティに染まる過程(83)
  5. イルミナティ創立者ヴァイスハウプトのこけおどしの哲学講義(84)
  6. テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界(85)

f:id:madame-nn:20170918191743p:plain

話をトルストイの小説『戦争と平和』に戻すと、トルストイは、ロシアのフリーメーソン再興期にバラ十字系フリーメーソンの長老として活動の中心にいた実在した人物を次のように描いている。トルストイ(工藤精一郎訳)『新潮世界文学 17 トルストイⅡ』(新潮社、1970)から引用する。

旅行者は骨太のずんぐりした身体つきの、しわの深い、黄色っぽい顔をした老人で、灰色の垂れた眉のかげから、灰色がかった何色ともつかぬ目がきらきら光っていた。*1

f:id:madame-nn:20170918191713p:plain

その聡明そうな、胸の底まで見透かすような、鋭い眼光が、ピエールをたじろがせた。彼はこの老人と話をしてみたくなった。そして、旅の様子でも聞こうと思ってそちらへ身体を向けると、老人はもう目を閉じて、アダムの首を彫りつけた大きな鋳鉄の指輪を片方の手の指にはめている。年寄りくさいしわだらけの腕を組んで、身じろぎもせずにじっと座っていた。老人は休息しているようでもあり、深いしずかな瞑想にふけっているようにも、ピエールには思われた。*2

f:id:madame-nn:20170918191713p:plain

ピエールが老人に向けていた目をそらしかけると、老人はおもむろに目を開けて、てこでも動かぬ鋭い視線をひたとピエールの顔にあてた。/ピエールは内心の狼狽を感じて、この視線から目をそらそうとしたが、きらきら光る老人の目が抗しがたい力で彼を引き寄せていった。*3

f:id:madame-nn:20170918191713p:plain

「わたしの思い違いでなければ、ベズウーホフ伯爵と言葉を交わす喜びを恵まれたわけですな」と旅の老人はゆっくりと大きな声で言った。*4

そして、老人とピエールの会話が始まる。ピエールは老人の指輪にフリーメーソンのマークであるアダムの首を見てとり、フリーメーソンの会員かと尋ねる。

「そうです、わたしは自由な石工たちの組合に属しております」といよいよ深くピエールの目の中へ視線を透しながら、老人は言った。「だからこうして、わたしからも、組合からも、あなたに兄弟の手をさしのべているのですよ」*5

ピエールはベズウーホフ伯爵の庶子であったが、伯爵は彼を嫡子にすることを嘆願した上奏文と遺言状を残して亡くなり、ピエールは莫大な財産を相続していた。また、妻の不義を疑い決闘するという醜聞沙汰を起こしていた。老人はピエールの噂を耳にしていたのだった。

フリーメーソンの信仰を嘲笑してきたピエールは、老人との議論に惹き込まれる。老人はいう。

誰も一人で真理に到達することはできません。人間の祖アダムにはじまって今にいたる、幾世代にもわたる何百万、何千万という人々が、みんな参加して偉大なる神のお住居[すまい]にふさわしかるべき神殿が築き上げられるのです。*6

それに対して、ピエールは「おことわりしておかねばなりませんが、ぼくは信じてないのですよ、その神とやらを」と返す。老人はしずかに微笑し、諭す。

あなたは神を知らない、伯爵、そのためにあなたはひじょうに不幸なのです。あなたは神を知らない、だが神はここにいるのです、神はわたしの中にいます、神はわたしの言葉の中にいます、神はきみの中にいる、きみがいま口にしたその不遜な言葉の中にすらいるのですぞ。*7

バラ十字系フリーメーソンの長老ヨシフ・アレクセーエフがヤコブベーメやマルチニストの著作に親しんでいたのかどうかはわからないが、その諭しは完全に神秘主義的な内容であり、バラ十字はその流れに属している。

82 で見てきたベーメの著作「シグナトゥーラ・レールム」に、同工異曲の文章がある。

人間は神のなかに神に型どって造られた像であり、在りとし在るもののうちの在るものの似姿であり、被造界ではなく神の威力に包まれている。*8

新約聖書に次のようなイエスの言葉がある。この言葉を、神秘主義者は同じように解するのである。

神の国は、人の目で認められるようにして来るのではありません。「そら、ここにある。」とか、「あそこにある。」とか言えるようなものではありません。いいですか、神の国はあなたがたのただ中にあるのです。*9

ちなみに、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書中、『ヨハネ福音書』がグノーシス的とは一般にもいわれているところだが、ヨハネ福音書ヨハネによって書かれたものでなく、プラトン主義者あるいは新プラトン学派に属するグノーシス主義者の一人によって書かれたものだとブラヴァツキーはいっている。

それでは次に、ピエールがフリーメーソンとなり、さらにはイルミナティに染まる過程を追ってみたい。


ピエールはバラ十字系フリーメーソンの長老に惹かれて、フリーメーソンになる。

8182 で採り上げたトルストイ戦争と平和』に関するオンライン論文、笠間啓治「『戦争と平和』にあらわれたロシア・フリーメイスン*10によると、この長老はどうやら実在の人物である。タロットカードの「隠者」を髣髴させる、真理の探究に命を捧げた、人間的にも思想的にも深みを感じさせる人物であるといってよい。

ただ、長老ヨシフ・アレクセーエヴィチは別格といってよい人物で、その長老は病気で隠棲してしまう。ピエールはペテルブルク支部の指導者にされてしまうのだが、支部にもピエールの生活にも世俗臭が漂い始める。

フリーメーソンの奥義を究めるために外国に出かけたピエールがイルミナティ(啓明結社と訳されている)に染まって帰国したために、支部は弾劾と支持をめぐって沢山の派にわれた。

長老に判断を仰ぎに行ったピエールは、長老に批判される。肉体の苦痛の中、生を恨まず、死を愛し、内なる人間が清らかさと高さの極みにある長老の言葉にピエールは内省を促がされたのだった。ピエールは日記に綴る。

ヨシフ・アレクセーエヴィチは貧しい暮らしをしてもう三年も水腫という苦しい業病に悩まされている。呻きも苦情も、誰も一度も彼の口から聞いたことがないそうだ。朝から夜ふけまで、ごく粗末な食事をとる時間以外は研究に打ち込んでいる。彼はやさしくわたしを迎えて、自分が寝ている寝台にかけるようにすすめた。(……)彼は、フリーメーソンの三つの目的が何であるか、おぼえているかときいて、わたしを驚かせた。(一)秘密の保持と認識、(二)それを受け入れるための自己の浄化と矯正、(三)その浄化への努力を通じての人類の矯正、この三つである。この三つのうちもっとも主要な第一の目的はどれであるか? もちろん、自己の矯正と浄化である。(……)啓明結社が純粋な教えでないのは、社会活動に熱中し、思い上がりもはなはだしいからである。(……)話がわたしの家庭問題にふれると、彼は言った、『真のフリーメーソン会員の最大の義務は、あなたに言ったように自己の完成にある。ところが、われわれは、生活上の困難をすべて遠ざけてしまえば、早くこの目的を達せられそうにしばしば思いがちだ。ところがそうではないのだ。浮世の波風の中にあってこそ、はじめてわれわれはこの三つの主要目的を達することができるのだよ。(一)自己認識、なぜなら人間は比較によってのみ人生を知ることができるからだし、(二)完成、これはたたかいによってのみ達せられるものだし、そして、(三)最大の善徳――死への愛が達成されるのだ。世の無常のみがわれわれに生活のむなしさを見せてくれることができるし、死に対する生まれながらの愛を、言いかえれば新生への復活を助成することができるのだよ』*11

次いで、長老は世界の偉大な四角形の意味をすっかり説明してくれ、三と七の数字がすべてのものの基礎であることを教える。

世界の偉大な四角形というのは、ピタゴラス派のテトラクチュス(Tetraktys)のことだろう。

テトラクチュスは、水地宗明訳によるイアンブリコス『ピタゴラス的生き方』(京都大学学術出版会、2011)、ポルピュリオスピタゴラスの生涯』(晃洋書房、2007)によると、ギリシア語で四つ数、四数という意味で、1、2、3、4 という 1 から 4 までの自然数をいう。その和は 10 である。

それはすべての数の(ひいてはまた万有の)始元とみなされた。*12

ピタゴラス派は、テトラクチュスを10点からなる三角形にシンボライズした。

イアンブリコスはピタゴラスが、神々の本質は数によって規定されているという思想をオルペウス教徒から採り入れたといっている。また、イタリアに移住する前にピタゴラスが滞在し研修した外地として、フェニキア(あるいはシリア)のシドン、ビュブロス、テュロス、カルメル山、エジプトの各地(の神殿など)、バビュロン、トラキアのリベトラを挙げている。

ポルピュリオスピタゴラス幾何学エジプト人から、数と計算についての学問をフェニキア人から、天文学カルデア人から学んだという。

また、ポルピュリオスが紹介するディオゲネスの説では、ピタゴラスエジプト人、アラビア人、カルデア人ヘブライ人のもとへ留学し、ヘブライ人から夢判断について、エジプトでは神官たちに多くを学び、バビロンではザラトス(ゾロアスター)から前世の汚れを清められ、高尚な人が清浄であるための心得を身につけた。また自然についての理論と、万有の始元は何であるかも聴講したという。

イアンブリコス『ピタゴラス的生き方』の解説を読むと、ピタゴラスがインドの智者たちから教えを受けたという伝説もあるようだ。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)にはテトラクチュスがあちこちに出てくるが、スタンザⅣの註9 に次のようなことが書かれている。

オカルト数字で、テトラクチュス即ち神聖な或いは完全な正方形によって代表される“4”は、あらゆる国民と人種の神秘家たちに神聖な数とされる。それはバラモン教カバラ、エジプト、カルデア及びその他の数の体系において同じ意味である。*13

ピエールに長老が「三と七の数字がすべてのものの基礎」といった意味は、バラ十字であったと思われるバルザックの小説に記述されているのではないだろうか。オノレ・ド・バルザック(加藤尚宏&水野亮訳)『バルザック全集 第21巻』(東京創元社、1994・7版)所収「ルイ・ランベール」の中の断章から引用しておこう。

     十三
されば宇宙は単一における多様である。運動は手段であり、数は結果である。終局は、神であるところの単一への万物の帰還である。

     十四

「三」と「七」は最も大きい精神的数である。
     十五

「三」はもろもろの創られた世界の公式である。それは円周の物質的符号でもあり、天地創造の精神的符号でもある。事実、円を描くような線による創造が、神のやり方であった。直線は無限の属性である。されば無限を予感する人間はおのれの作品に直線を再現する。「二」は産出の数である。「三」は存在の数で、産出と産物を含む。これに四の数を加えれば、天の公式である「七」を得る。神はその上にいて、単一である。*14

『シークレット・ドクトリン』スタンザⅤの註9 には、次のようなことが書かれている。

3、5、7 は神秘主義的な数であり、7 と 3 はフリーメーソンと同様に拝火教徒で大いに尊敬された数である。*15

ただ、世界の偉大な四角形だとか、三と七の数字がすべてのものの基礎だとかいうような神秘主義の基礎といってよい初級のレッスンを、ピエールが長老からこのような遅きに失した局面で受けるとはおよそ考えられない。このことから、わたしはトルストイフリーメーソンではなかったと推測する。

1812年、ナポレオンはロシアに侵攻した。

生活が改善しない中、ピエールはフリーメーソンの同志の一人からナポレオンに関する予言を知らされる。カバラ数秘術で計算すると、ナポレオンはヨハネ黙示録に記された反キリスト666になり、彼の権威の限界は42歳になった年の1812年に来るのだと。予言に興奮するピエール。自分の名も666になるよう「L'」を加えてみたりする。

やがてピエールは、売国奴フリーメーソンと疑われ、モスクワから追放される。モスクワに戻った彼は、亡き長老の褪せた書斎で長時間過ごし、ナポレオンの暗殺を決意した。トルストイ(工藤精一郎訳)『新潮世界文学 18 トルストイⅢ』(新潮社、1970)から引用する。

モスクワは炎上し、暗殺は果たせず、ピエールは放火犯の容疑でフランス軍に捕まる。捕虜仲間となった農民兵プラトン・カラターエフの、生活と信仰が一体となった、純真で素朴な生き方に打たれる。カラターエフは「善良なまどかなすべてのロシア的なものの化身として、永久にピエールの心の中にのこったのである」*16

ピエールは慈善だけに限定せず、独立と行動を加えて結社の拡張をはかろうとしている。そのピエールに強烈なあこがれを抱く、少年ニコーレンカ(ボロジノの会戦で負傷し死亡したアンドレイ侯爵の子)が印象的に描かれて壮大な物語は終わる。

神秘主義的な観点から読むと、『戦争と平和』はまさにロシアのフリーメーソンが急進的な政治結社イルミナティに侵される過程を描いた作品であるかに映る。

「(……)ペテルブルクの状態は、つまりあんなわけで、皇帝はいっさい口出ししない。皇帝は例の神秘主義ってやつに溺れきっている有様だ(神秘主義を信じる者は、いまのピエールは誰であろうと容赦をしなかった)。(……)」*17

あれほど神秘主義的な長老を敬慕していたピエールの、完全にイルミナティに染まりきった姿である。ロシア革命が起きたのは、1910年のトルストイの死から7年後のことだった。

ロシア革命の定義と結果について、ウィキペディアロシア革命*18から引用しておく。

ロシア革命(ロシアかくめい, 露: Российская революция ラシースカヤ・レヴァリューツィヤ, 英: Russian Revolution)とは、1917年にロシア帝国で起きた2度の革命のことを指す名称である。特に史上初の社会主義国家樹立につながったことに重点を置く場合には、十月革命のことを意味している。また逆に、広義には1905年のロシア第一革命も含めた長期の諸革命運動を意味する。

f:id:madame-nn:20170918191713p:plain

結果
ボリシェヴィキの勝利。ソヴィエト連邦の成立
ニコライ2世の退位
三月革命によるロシア帝国の崩壊
十一月革命による臨時政府の崩壊
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の成立
ロシア内戦の開始

 

マダムNの覚書、2016年9月 8日 (木) 19:06、2016年9月12日 (月) 17:55

*1:トルストイ,工藤訳,1970,Ⅱp.407

*2:トルストイ,工藤訳,1970,Ⅱpp.407-408

*3:トルストイ,工藤訳,1970,Ⅱp.408

*4:トルストイ,工藤訳,1970,Ⅱp.408

*5:トルストイ,工藤訳,1970,Ⅱp.409

*6:トルストイ,工藤訳,1970,Ⅱp.410

*7:トルストイ,工藤訳,1970,Ⅱp.410

*8:ベーメ,南原訳,1989,pp.28-29)

*9:新改訳聖書刊行会訳『聖書』日本聖書刊行会、1978・2版、ルカ17.21

*10:スラヴ研究(Slavic Studies), 42: 41-59,北海道大学スラブ研究センター,1995,URI: http://hdl.handle.net/2115/5233

*11:トルストイ,工藤訳,1970,Ⅱpp.508-509

*12:イアンブリコス,水地訳,2011,p.163

*13:ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1939,p.311・Ⅳ・註9

*14:バルザック,水野訳,1994,p.318

*15:ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1939,p.343・Ⅴ・註9

*16:トルストイ,工藤訳,1970,Ⅲpp.419

*17:トルストイ,工藤訳,1970,Ⅲpp.638-639

*18:ウィキペディアの執筆者. “ロシア革命”. ウィキペディア日本語版. 2018-05-23. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E9%9D%A9%E5%91%BD&oldid=68653574, (参照 2018-05-23).