10 心臓の発作のあとで空想した、あの世のシステム
出典:Pixabay
死後人間がどうなるかについては、わたしは神秘主義者なので、それなりの経験と知識から、少なくとも死んで1週間のあいだの人間がどんな状態に置かれるかをこちら側から描き尽くすことはできる(あちら側からの観点というのは、わかりようがない)。
だが、だからといって、そのことが死への恐怖を減じてくれるということはない。
生きているときと同じように、死んでからも何らかの管理下に置かれることは確かなようなのだが、この世やあの世の個々の人間の小さな営みを超えたシステムがあることは安心感を誘うと同時に、その正体がわからないことへの不安感をも掻き立てるのだ。
どちらにしても、死ぬということは未知の世界への旅立ちであることに間違いない。慣れ親しんできた世界、人々とのお別れなのだ。この世に生きていたときの思い出をスーツケースにいっぱい詰めて、さようならをいわなければならない。
そして、おそらくその言葉は、生きている普通の人々には聴こえないだろう。この世で築いた関係全てとのお別れが、ひどい寂しさを伴わないとしたら、そのほうがどうかしている。死者の試練の一つは、この寂しさをどう乗り切るかということであるに違いない。
肉親が肉親であるということも、わたしが今の形のわたしであるということも、この世限りのことだと思えば、それぞれに対して募る日常的次元の不満などどうでもよくなり、かけがえのない、満ち足りた思いでいっぱいになる。
とりあえずは、今日をどう生き延び、明日をどう生き延びるかだ。同じように生き延びようとする身近な人々と、どう助け合っていくかだ。
マダムNの覚書、2006年10月29日 (日) 18:02