マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

47 アルコールの害について(成仏した義祖父の話)

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わたしはアルコールや煙草が死後どのような影響を及ぼすかについて義祖父(夫の父方の祖父)を通して貴重な考察を行ったので、それについて書きたいと思う。わたしの個人的な考察にすぎないため、誤りが含まれている可能性があることをお断わりしておきたい。

 

アルコールの欠乏に苦しむ死者たち

ヘレナ・レーレッヒの著作にアルコールと阿片に関する記述があり、これらは死後にまで――死後にこそというべきか――恐ろしい影響力を発揮するようである。

ヘレナ・レーレッヒ*1によれば、酒飲みは死後、精妙界と呼ばれる霊の世界と物質界の中間にある世界*2でアルコールの欠乏に苦しむ。

それだけではない。火の世界と呼ばれる霊の世界へ渡ろうとするとき、精妙体はもう役に立たぬ殻としてパッと燃え上がり、本人に解放感をもたらすそうだが、酒飲みにはトラブルがあるようだ。酒飲みが不自然に呼び起こした火(サイキック・エネルギー)は彼を強化する代わりに、分解すべき時を前にして彼の組織を焼きつくすというのである。

それで結果的に酒飲みがどうなるのか、わたしにはわからないが、酒飲みは物質界から霊の世界への移行が円滑にはいかないということだけはいえるのではないだろうか。

霊の世界への移行に際して酒飲みに起きるらしいヘレナ・レーリッヒのいう決定的なトラブルは、どの程度の酒飲みに、どの割合で起きることなのだろうか。

大酒飲みはあの世を奪われる

別の方面から考えてみても、酒飲みが問題を抱えているとの想像はつく。

神秘主義者であれば、眠りが小さな死であることを熟知している。アルコールや煙草、ある種の薬物――麻薬はいうに及ばず、眠剤などもそうではないだろうか――が本物の眠りを奪うことを考えてみた。

大酒飲みの睡眠は本当の睡眠ではなく、「前後不覚の無感覚状態」であるとブラヴァツキーはいっている。*3

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本物の眠りを奪われ続けた人間は、つまりあの世を奪われるとはいえないだろうか?

自然に眠ることのできる人間は死後、自然にあの世で目覚めることができるだろう。しかし、「前後不覚の無感覚状態」を重ねるばかりの人間は、この世で本物の眠りが得られないがために、あの世で目覚めることができない。目覚めるには、眠らなければならないからだ。

また、酒飲みはあの世で新生活を始めるのに適した精妙な感覚を発達させるどころか退化させてしまい、その結果として、あの世への適性を欠いた――あの世の存在を感じることのできない――亡者となってしまうことも考えられる。
まさに義祖父がそうだった。

あの世とこの世の中間域に身を置いていたであろう義祖父には、この世しか存在していないようだった。夫が中学生のころに亡くなったはずの彼は臨終を告げられ葬られてから本当の意味で死ぬのに、何と 50 年もかかった!

世の中には酒飲み、ヘビースモーカー、薬物中毒者が大勢いることを考えると、義祖父のような例は珍しいというわけではないに違いない。

酒好きだったという義祖父だが、アルコール中毒だったという話は聞かない。孫を可愛がる、ちょっと遊び好きな普通の老人として通っていた。それなのに、亡者となってしまったのだ。

バンパイアのような亡者たち

死んだはずなのに死んでいない亡者は、当然ながら愉快な存在ではない。

神智学協会第二代会長だったアニー・ベサント(Annie Besant,1847 - 1933)は、このような、肉体をなくしたものの高級性質との結びつきが全然破壊されていない存在を「殻」と区別して、「亡霊」あるいは「カーマ・ローカの住人」と呼ぶ。カーマ・ローカとは、スコラ神学のいうリムバス(地獄と天国の間にある所)、昔の人たちのいう黄泉の国のことである。

生きていたときから性格異常者であった亡者もいるだろうが、この世に生きているときには好ましい人間が、宙ぶらりんの世界で不自然な時間を重ねるうちに人格が荒廃してしまうことはありえよう。

幸い、これまでにわたしが関係を持たざるをえなかった亡者は義祖父だけだし(初七日までに挨拶に来た死者たちとははっきり区別できる)、二度と亡者と関わるのは御免である。

亡者を成仏させることが、わたしには修行の一つだったのだと思っている。

そういえば、初七日までに自らの意志で挨拶に来た 3 人の死者たちも、生前のある時期まで揃いも揃って、とてもお酒が好きな人たちだった。
そのうちの  1 人は亡くなる数年前に断酒し、残る 2 人も癌に罹って病院に入っていたお陰で断酒の期間があった。

そしてこれは大事なことだと思うが、 1 人は神秘主義の研究者であり、残る 2 人も自らの宗教―― 1 人はキリスト者で、もう 1 人は浄土真宗の信者であった――を通して、生前からあの世のことにまで洞察力を働かせていたということである。

もっとも彼らが無事に成仏した先のあの世で、アルコールの欠乏に苦しむ期間があったかどうかは知らない。

神秘主義者たちの報告からわたしが想像するに、あの世におけるこの世に近い層には食べ物に似たものはある。そっくりなものをあの世の精妙な素材から生成できるのではないかと思う。

ところがアルコール、煙草、麻薬の類はこの世、すなわち物質界にしか存在できない有害物質で、あの世では存在できず、それに類したものを生成することもできないに違いない(ノンアルコールのアルコールを模した飲料がこの世にはあるが、それに似たものなら生成可能だろう)。

だから強くそれら有害物質を欲すれば、死んでもなおこの世に執着し、この世との接点を保つしかないのだろう。アルコール、煙草、有害な薬物を好む人間が減り、この世とあの世の中間域で愚かしい、空しい、無駄な時間を過ごす死者が少なくなることを願わずにはいられない。

亡者たちは生きている者に憑依してアルコールや煙草を摂取し、そうすることで自分たちの仲間を増やしてしまうのだ。亡者にとっても中間域での暮らしなどちっとも楽しくないために、墓場の陰鬱なムードを拡散しながら。

義祖父は夫に憑依していたので、アルコールとニコチンを多く摂取して眠り目覚めたときの夫は夫というより義祖父であり(夫が二重人格に思えたのも道理である)、彼の発散する墓場のようなムードがわたしにはおぞましかった。

結婚後間もなく義祖父が亡者として存在するのに気づいたが、長年どうしていいのかわからず、徒に悪霊扱いしていた(事実、悪霊的な存在に陥っていたのだとは思うが、過度にそう捉えていた)。

義祖父を成仏させるための格闘

自分の誤解に気づき、義祖父を正しく捉え直して対策を練った。夫に協力して貰う必要があったが、世俗的権威とは無縁の一神秘主義者の忠告を聞いてくれる人など、めったにいない。しかも、わたしは夫がおそらくこの世で一番我儘になれる妻である。

ところが不幸中の幸いというべきか、夫の不倫問題が浮上し(相手がストーカーであることが後にわかり、警察に相談する事態にまで発展した)、夫はその罪を償うためにアルコールと煙草を控える約束を自ら行ったのであった。

加えて、義祖父に対するわたしの渾身の説得――心の中で語りかければ死者にはともかくも通じる――が功を奏したのか、晴れて義祖父は成仏した。

成仏の様子は夢として見たにすぎなかったのだが、目覚めてからの爽快感はたとえようもなく、いわゆる霊夢といってよい性質のものだったと確信している。

義祖父はミイラと見紛うくらい長い間あの世では植物人間状態だったために、あの世の住人は誰も義祖父を相手にしなくなっていたようだ。

義祖父の目覚めにあの世の住人たちは驚き、ささやかな祝宴を開いていたようである――そのような夢を見た。


マダムNの覚書、2016年4月26日 (火) 17:19 

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基幹ブログ「マダムNの覚書」に、夢から覚めて書いた記事がある。世間ではよくある、私的事情がぱんぱんに詰め込まれたこの覚書は、物書きとしての、また神秘主義者としての丹念な記録となっているので、あえて転載しておく(加筆あり)。

「マダムNの覚書」から『夢で会えた義祖父』(1)

「マダムNの覚書」2015年7月21日 (火)

夢で会えた義祖父  おじいさんと本物の家族になれた喜び
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/07/post-96f5.html

義祖父の目覚め

義祖父(夫の父方のおじいさん)の夢を見ていたのだった。わずか 1 時間の間に、とても長く感じる充実した夢だった。

夢の中で、わたしがおじいさんを発見する。おじいさんはずいぶん長い間、部屋の隅で寝ていたらしい。まるでミイラになったみたいに。

誰もそれに気づかず、義父母なんかは薄情にも死んだことにしてしまって、しかも親を亡くしたことすら忘れ、思い出しもしなかったようだ。

しかし、発見者のわたしも、自分の見つけた老人が夫の父方のおじいさんなのか、母方のおじいさんなのか区別がなく、ただおじいさんだと思っていた。正体がわかるまでは怖かった。

夢の中で、おじいさんと一緒にいるうちに、おじいさんが大好きになった。夢であろうとなかろうと、あんなに優しい人をわたしは未だ知らない。

目覚めてから夫に尋ねると、優しい人だったそうだ。前にも夫はそういったが、わたしには信じられなかった。本来が優しかったところへ、成仏して菩薩のような優しさが加わっていたのだろう。

この世の人で、あれほど無条件に優しい人はいない。この世の人の過剰な優しさは何か足りないものを感じさせるが、充実した実りのような優しさだった(うまく表現できない)。

そして、現実には義祖父を写真で観て、義祖父が夫にも夫のおとうさん(舅)にも似ていないと思っていたのだが、夢で会った義祖父には舅を想わせるところと夫を想わせるところがあり、自然の造形の妙に打たれた。

わたしは夢の中で夫と喧嘩して、おじいさんの背中の後ろに隠れ、甘えたりした。
「おじいさんがもっと早く目を覚ましてくれていたら、わたしは婚家でいじめられることも、夫と喧嘩することもなかったのに。おじいさん、おじいさん、大好き……」と、わたしは夢の中でおじいさんにそういったようでもあり、思っていただけのようでもあった。

おじいさんはどうしてあんなところで、長い間、眠っていたのだろうとわたしは不思議だった。わたしの知らない親戚の人々――現実に会ったことのある夫の親戚の人々とは異なる知らない人々――がいて、その人々は戸惑いがちに御祝いをしようとしていた。
わたしはただおじいさんの優しい雰囲気にうっとりとして、甘えていた。

おじいさん、成仏おめでとう

結婚して 34 年になるが、新婚時代からわたしはこの義祖父の成仏を願ってきた。成仏していないと確信していた。反発したり、悪霊扱いしたり、妄想だろうか、とわが脳味噌を疑ったりしながら。

これが、わたしの今生の課題の一つだと感じていた。

義祖父に関する夢は、雑念が作り出した条件反射的、生理的な夢ではなく、霊的な夢だと感じている。おじいさんは成仏したのだ。この世に囚われていたために、あの世の人としては昏睡状態にあったのだと思う。

自分の生きているうちに義祖父を成仏させることに成功しなければ、わたしは自分が死ぬときに彼を連れて行くつもりだった。もしそれに失敗して自分も成仏できなかったらと思うと、怖かった。そこまでつき合うつもりはないが、何せあの世の細かいことはもう一度死んでみなくてはわからない。

毎日ではないけれど、心の中で語りかけたり、あの世の魅力を語ったり、夫に憑依しないよう夫の依存体質を改善しようといろいろやってみたが、どうもおじいさんが成仏できたようには思えなかった。

義祖父が幸福でいるという感じが伝わってこなかった。

義祖父は酒好き、遊び好きな人であったという。映画や競輪が好きで、蛍狩りにも夫は連れて行って貰った。

あの世はもっと壮大な遊び場であることを、わたしは義祖父に心の中で説いた。死んだばかりの人のために、あの世にもお酒に似たものはあると思うと語りかけた。
孫を愛するあまり、心配してくれているのだとしたら、あの世からのほうがもっと効果的に見守れるはず、といって安心させようとした。
義祖父の成仏を確信できないまま、何年も経ったが、今日確信した。
たぶん、義祖父は成仏した。おめでとう!
義祖父の夢を見たのは初めてだった。

まあ、全てがわたしの妄想と思っていただいても構わない。本当にこれまでのわたしの努力は妄想の中で行われ、すばらしい夢もただの夢だったのかもしれないのだから。

ただ、わたしは神秘主義者で、神智学協会の会員でもある。きちんと書き残しておきたいと思うのだ。

「マダムNの覚書」から『夢で会えた義祖父』(2)

「マダムNの覚書」2015年8月23日 (日)
夢で会えた、夫のおじいさん (2)死後のおじいさんの環境
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/08/post-d9b1.html

婚家では宗教の儀式が希薄だった

ブラヴァツキーの『神智学の鍵』か『実践的オカルティズム』に無神論者の描写があって、彼が死んだあとで霊界で意識を回復せず、自分がいる霊界に気づかないまま、そこでの滞在を終える様子が描かれていたと思う。

義祖父を成仏させるのに 34 年かかった。お祓いして、ちょちょいのちょいというわけにはいかないのが実態ではないかと思う。

植物人間になった人を回復させるのが難しいのと同じで、普通の愛情や宗教的な儀式くらいではまじないにもならないだろう。

お盆を前に誤解がないように追記しておくと、宗教的な儀式が無用なものなどといったわけでは更々ない。

わたしがリポートしたのは、自分の意志で成仏しなかった霊の事例なのだ。頑固なお年寄りが「わしゃどこにもいかん」といって、心配して連れ出そうとする人に、廃屋のようになった家から出るのを拒むというようなケースを見聞きすることがあるが、死んだあとで霊界に赴くことを拒み、それと同じ状態に陥った「頑固」なケースについて述べているのである。

心を籠めて行われる宗教の儀式は有益であるはずだ。

婚家には義祖父母の位牌があるが、供養は義父母だけでお坊様を呼び、執り行っていた(誰の位牌があるのかさえ、夫は無頓着だった)。

義祖父母の位牌は本家にあって、分家である婚家に位牌分けしたようだ。最期を看取ったのが義父母だからだそうで、なぜ義父が引き取ったかというと、義祖母が後妻であり、末っ子の義父はそのひとりっ子だったためだという。

わたしの実家では、盆正月には父の実家に家族で出かけていた。船員の父は留守のときも多かったが、帰宅すると、すぐに本家に出かけていた。

父の実家に行くと、まず仏壇の前で手を合わせ、ご先祖様に挨拶をする。

その部屋には、ご先祖様の写真がずらりと並んでいた。そこに一族が集まり、お坊様が呼ばれ、お経が唱えられた。儀式が済むと、皆でご馳走をいただいた。

そういうものだと思っていたので、何もないというのが不思議な感じがした。位牌があるのだから、盆正月にわたしたち家族も一緒に――婚家に半同居していた義妹の家族も一緒に――供養する習慣があれば、義祖父母も喜んでくれたに違いないと思う。

親戚の絆がご先祖様を通して深まっただろうし(義祖父の成仏ももっと早かったかもしれない)、各人のエゴイズムは抑えられただろう。わたしの嫁としての自覚もしっかりしたものとなったに違いない。

こちらから「ご供養のときはご一緒させてください」といえばよかったと思うが、新婚当初は何しろ事情がわからず、出すぎた真似はしにくいとあって、引っかかったままだった。

その程度にはわたしは古風な人間なのだ。長男である夫の妻となったとき、夫が跡取りとなって義父母の面倒を見るだろうことは承知の上だった。

亡者となっていた義祖父に最初に気づいたのは、初めて婚家に泊まった夜、2 階にある仏壇の前で手を合わせたときだった。仏壇の奥からこちらを凝視するように見てほくそ笑んだ何者かの存在を感じたのだった。このような体験は生まれて初めてだった。

その存在が義祖父であり、夫に憑依していると確信したのは何年も観察を続けた後だったが、婚家に行くたびに嫁いびりがひどくなったので、わたしは仏壇に巣食っている悪霊の仕業だと決め込んだ。

義妹の仕業を悪霊、否、義祖父のせいにしていた

だが、おそらく、それは濡れ衣だっただろう。というのも、嫁いびりがエスカレートした陰には、まるで通奏低音のようにいつも義妹の存在があったからである。

義妹はわたしより五つ上である。

新婚時代、婚家に行くと、義母は家の鍵を握らせて「あなたたちの家だから」といい、ことあるごとにわたしたちが跡取りであることを自覚させようとした。今思えば、娘夫婦の我が物顔のふるまいをそう悪くは思っていなかったにせよ、義母なりに彼らが居ついてしまうのを懼れていたのかもしれない。

とにかく、そこにはいつも義妹一家がいて、わたしは親思いだなと思っていたが、ひそかに義妹一家がまだ来ていなければいいなと思ったりしていた。

共に旧帝大出で――女子が大学に行くのは難しかったころに、義妹は 2 浪している――、夫が大手の商社マンをしている彼らは、自分たちが上位の人間であるかのように振る舞う。

わたしたちが夫の実家に着いても、義妹の夫はソファにかけたままだ。出迎えないまでも、ソファから立ち上がって挨拶くらいするのが普通ではないだろうか。

義妹一家が来ていないときは、義母から色々と教わることはあっても嫁いびりなどはあまり感じられず、義父母といくらかでも親密になれる気がしたからだった。何より、子供たちに興味を持ってくれることが嬉しかった。

ところが、いつのまにか婚家には義妹の部屋ができ(夫と義妹が巣立ってから義父母は家を購入した)、半ば同居しているような格好になった。そして、義妹の夫の海外への転勤をきっかけとして別居し、実家に子供と住むようになった。

エスカレートした嫁いびり

嫁いびりは当たり前のものとなり、エスカレートしていった。

いきなり「公文をやらせなさんな」と義母に激昂した口調でいわれて驚き、教育にまで干渉されるとなると、もう距離を置くしかないなと思っていたところへ、小学校の高学年になっていた娘から「ママがいないと、皆でママの悪口をいっているよ」と忠告された。

成人した娘は、それをいえば子供ながら断絶を招く結果となることがわかっていたので、いうべきかいわざるべきかひどく迷ったといった。

娘にいわれるくらいひどいのなら互いのためによくないと思い、距離を置くことにしたのだったが、公文のことなど義妹がいわなければ、義母が気にとめるはずもなく、義妹が公文のことを悪くいったに違いない。

わたしは結婚前に公文教室で助手をしていた。重い病気から生還した母を見る必要があり、午後 2 時くらいから夜 8 時か 9 時くらいまでの公文教室での仕事は都合がよかった。

公文公先生の著書は勿論読んだし、教室が一つから三つに増えたとき、その準備を手伝いながら、もう少し数学ができれば、わたしも教室をするんだけどなと思ったほど、公文の教育理念には共鳴していた。

経済的に苦しい中では公文しかないと思っていた。あのとき無責任な言葉に折れていたら、子供たちは国公立に行けただろうか。

公文式をいいと思わない理由があったのなら、快活なはずの義妹はなぜわたしに直接いわなかったのだろう。類似の思い当たることが沢山ある。

よく叱責されたが、その内容はあまりに思いがけないことが多くて用心は役に立たず、誤解を解くだけの心理的余裕も持てなかった。何かいったとしても、聞いて貰えなかった。

わたしが意味のわからない叱責を受けているとき、なぜかいつも義妹が近くにいて、うつむき加減に様子を窺っていた。わたしを助けてくれようとしたことはなかった。

今思えば、実態はたぶんその逆で、叱責の原因となることを吹き込んだのは彼女だったに違いない。義父母と仲違いさせることでわたしたちを婚家から遠ざけることが目的だったのではないだろうか。

実家を賄いつき別荘にしておきたかった義妹

その後に起きたことを考えると、義妹にとって婚家は甘えられる大切な場所というより、そして自分が親の面倒を見たいというより(わたしはそうなのかと勘違いしていた)、賄い付別荘として使いたかったというのが本当のところではなかったかと思う。

義妹夫婦は複数の家を所有する、少なくとも我が家よりは遙かに裕福な人たちだから、夫が継ぐはずの家がほしかったわけではないだろう。

それに比べ、いずれは義父母と暮らすつもりだったわたしたちは、転勤族ということもあって家を買うことはしなかった。バブルが弾ける前は、高い家賃を払うくらいなら家を買うことを中小企業のサラリーマンでも考えたことだった。

しかし、長い時間をかけて育むはずの関係は育めず、わたしたち一家は根無し草のまま不安定な日々を送っている。友人達は一人、また一人と老いた親と同居を始めている。

義妹夫婦は現在、都会から U ターンして福岡市に家を建て、義父母用の 6 畳の部屋を作り、そこに外から出入りできるドアをつけているそうだ。

夫は感心していたが、わたしには意味不明のドア設置である。耄碌でもすれば、かえってそのドアは危ない気がする。実家で好き放題振る舞ってきたのだから、自分の両親にも自分の家で好き放題に振る舞って貰えばいいではないか。

夫の話では、義父母は義妹夫婦に見て貰うつもりはないそうで、見て貰うとすれば、わたしたちだという。しかし、ここまでこじれた仲となった今、精神的にも体力的にもわたしには自信がない。

義妹に責任をとって貰いたいが、現実問題として我が儘で家事のセンスが絶望的にない彼女に介護ができるとは思えない。浅知恵で動く人間に良心を求めても無駄だとこの年齢になるとわかる。

義父母には馴染んだ場所から動きたくないという思いもあるようだ。

幸い、今のところは高齢ながら共に元気で、ふたりでカラオケに行ったり、市民講座に通ったりしているそうだ。
さあ、どうすべきか。時の流れに任せよう。

いずれにせよ、嫁いびりの原因を成仏しない義祖父のせいだと考えていた時期がわたしにはあった。

だが、もしそうであれば、義祖父は嫁いびりで盛り上がっているその場所に透明な姿ながらいて、影の采配を揮っていなければならなかったはずだ。
優しかった祖父に夫は大層なついていたくらいだから、むしろそうした場に馴染めず、1 階の居間ではなく、ひとり 2 階の部屋の仏壇にいたのだろう。 

その人がそう望んだので、そうなっただけの話

一端亡者となった人間を、成仏させるのは難しい。わたしには前世は僧侶だったというほのかな記憶が物心ついたころからあったので、自分ではこうしたことに関しては全くの素人とは思っていないのだが、僧侶だった前世で亡者を成仏させる技法を学んだのかどうかの記憶すらなく、試行錯誤を繰り返すしかなかった。

それこそ人が本来は完全に自由である証拠ではないだろうか。その人がそう望んだので、そうなっただけの話なのだから。

もし縛られると感じられるものがあるとすれば、それはカルマという宇宙的なプーメラン作用による結果にすぎない。

ブラヴァツキーの著作に明快な解説があるはずだが、見つけ出せないので、正確でない表現かもしれないが、地獄状態からその人を救うのは本人の自覚以外ないそうである。
その予防や治療薬に当たるのが芸術や本物の神秘主義なのだろう。しかし、この地上はある意味では地獄なので、デヴァチャン(天国)的価値観は通用しにくい。

地上が客観的な世界であり、霊界が主観的な世界であるとは神秘主義ではよくいわれることで、ブラヴァツキーの著書にも他の神秘主義者たちの著書にも繰り返し出てくる。芸術的、創造的な人間が霊界でどれだけ楽しめるかは想像もつかないくらいだという。

今ではすまないと思っているが、義祖父を負担に感じるあまり、悪霊扱いして、何でもかんでも義祖父のせいにしていた時期がわたしにはあった。

亡者の義祖父との生活が長かったので、生前の義祖父を知っていたかのような錯覚に陥る。夫が中学校のときに亡くなったので、わたしの知る義祖父は浮かばれない霊としての義祖父なのだ。

わたしの神秘主義的体験の数々

幽霊を姿として見たことは一度もないが、目に見えない何かの存在を感じることはたまに体験するようになった。オーラや想念形体といった美しすぎるものを見る――包まれるというべきか――機会に比べたら、まれなことではある。

何年か前に小鬼のような老婆を見たことがあった。老婆は強烈な汗の臭いを発散させ、「ケケケ……」と哄笑しながら走り去った。それをわたしは内的な目で見、内的な耳で聴いたのだった。心のスクリーンに映るのを見たといえばいいだろうか。想像とはまた違うリアリティがあるのだ。もっとも、普通はここまではっきりと見えることは少ない。

小鬼のような老婆は、背丈が 3 歳児の半分くらいしかなかった。物凄く額が広くて、頬がぷっくり膨らんでおり、細い目、白髪を無造作に束ね、草鞋を履き、絣の着物を着ていた。そして空中を蹴って、どこへともなく走り去ったのだ。
あれは亡者ではなく、神智学でエレメンタルといわれる妖精――妖怪というべきか――の類いに違いない。

その妖怪を目撃したのは、社交的に近づいてきて性的に誘惑しようとした男性を撥ねつけたときだった。剣を手にしていたら、斬ったかもしれないというほど、わたしは怒っていた。文学の手ほどきを受けたいという純なムードで近づいてきたので、すっかり信頼してしまったのだった。

その男性のよこしまな心の隙に小鬼が入り込んで、悪さをしていたのだろう。あんなものが存在するなんて、驚きだった。今も誰かの心の隙に入り込んで、悪さをしているのかもしれない。不倫している人はご用心! 

おとぎ話は作り話とは限らないと、このときつくづく悟った。

相手が生きていようといまいと、思いが伝わってくることはよくある。

この追加の文章は昨日公開した記事に加筆しているのであるが、昨日―― 8 月 22 日――公開したあと、おそらくお酒が好きな人々に違いない……怒りや憤慨、不安や訝るような感じが伝わってきた。こうした否定的な感情は似通っているので、わたしはその感情の発信者を特定できないことのほうが多い。

わたしは、別にお酒に恨みがあるわけではない。アルコールが惹き起こしがちな現象について、そのまま書いているだけなのだ。

それとは対照的な、わたしが書いたことに共鳴した人々の爽やかな思いも伝わってきた。その方々には、知的な理解の仕方をしていただけたに違いない。

美しい思いには不思議と個性があり、どこのどなたかはわからなくても、その人がどんな人かが内的なスクリーンに描けるのである。清らかな心の持ち主は霊的にはとても目立つので、自然と高級霊には知られるはずで、そのような人々は高級霊から目をかけられているのではないかと思う。

もっとも、同じ人間であっても、天使と悪魔の間を振り子のように揺れているのが一般的ではないだろうか。少なくもわたしはそうだ。美しい心持ちになることもあれば、低級な人間になることも日常茶飯事である。

関連記事:60「憑依と、成仏した義祖父の後日談(お酒好きな人々への野暮な警告)」 

mysterious-essays.hatenablog.jp

*1:ヘレナ・レーリッヒ(田中 恵美子訳)『アグニ・ヨガの教え』竜王文庫(コピー本)、1996、p.58

*2:ヘレナ・レーリッヒは霊の世界を火の世界と呼び、火の世界と物質界の中間にある魂の世界を精妙界と呼ぶ。

*3:H・P・ブラヴァツキー(田中 恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、1995、p.225