マダムNの神秘主義的エッセー

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77 前世療法は、ブラヴァツキー夫人が危険性を警告した降霊術にすぎない

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Darkmoon_ArtによるPixabayからの画像

 

 

心霊主義者による神智学協会への迫害、非難

アマゾンに出ていたはずの『神智学の鍵』にまだレビューを書いていなかったと思い、そちらへ行ってみると、中古品の出品が1冊あるだけで、その本には20万円もの高値がついていた(2017年11月10日の時点)。

『神智学の鍵』は、近代神智学運動の母H・P・ブラヴァツキーの代表作の一つで、神智学の入門書とされてきた。

ブラヴァツキー夫人の著作の実際の価値は値段がつけられないような高価なものに違いないとはいえ、今やブラヴァツキー夫人がゲームのキャラにまでなっていることを考えれば、これは何か皮肉な現象で、彼女の著作に真面目な興味を持つ人が本当に限られてきている現状を思わせられ、そのことを残念に思う。

エッセー 70 で紹介した、勉強会の様子が収められた動画でジェフ・クラークさんがおっしゃっていることからすると、神智学協会の会員数は今は三万人くらい。

大師の御足のもとに①(神智学協会 the Theosophical Society in Japan)
動画のURL https://youtu.be/UQj6-0zJenQ

1907年から1933年にかけて第二代神智学協会会長を務めたアニー・ベサントが生きていたころは世界的な運動で、何十万人もいたそうだ。

クリシュナムルティをめぐって協会が分裂したことも会員減少の原因となっただろうが、それよりも第二次世界大戦の起きたことが大きかったのではないだろうか。

神智学運動の担い手となっていたのが貴族や知識人だったことから考えると、戦争でそうした階層が没落したことは大きな痛手となったに違いない。

神智学協会の会員はヨーロッパで迫害を受けたことがあったようだし、戦後、唯物主義が優勢になったことなども会員の減少につながっただろう。

H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)の中の編者ジルコフ「前書きにかえて」によると、1877年に『ベールをとったイシス』が出版された当時、この本は高い評価を受けた。

発行人はニューヨークのブートン。『ベールをとったイシス』は、ブラヴァツキー夫人の著作の中で最も有名な『シークレット・ドクトリン』の前に書かれた、これも代表作の一つである。

ジルコフ「前書きにかえて」には、当時の報道機関の反応が複数引用されている。その中のトップに来ている、当時の最も有能な文芸評論家の一人シェルトン・マッケンジー博士は『フィラデルフィア・プレス』に次のように書いたという。

それは,考えの独創性,研究の徹底性,哲学的説明の深さ,学識の多彩さと広がりといった点で,遠い過去まで遡っても最高に非凡な著作の一つである。*1

こうもまともな批評に接すると、むしろ驚く。

全体的に好意的な報道機関の反応の中で、「批評のなかには,批評家がこの書を読んでいないことがはっきりわかるほど軽薄で偏見に満ちているものもあった」*2という。

この批評傾向は、日本語版ウィキペディア「ヘレナ・P・ブラヴァツキー」「神智学協会」の記述や、そこに参考文献として挙げられた大田俊寛吉永進一の文章などを連想させられる。次のエッセーを参照していただきたい。

26 ブラヴァツキー夫人の神智学を誹謗中傷する人々 ①ブラヴァツキー夫人とオウムをくっつける人

56 ブラヴァツキー夫人の神智学を誹謗中傷する人々 ➆吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」から連想したオカルト情報誌とW・ジェームズ

57 ブラヴァツキー夫人の神智学を誹謗中傷する人々 ⑧吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」の中で印象操作される三浦関造

『ベールをとったイシス』が出版されて大成功を収めたのが、1877年。

しかし、質疑応答形式で著されたH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987初版、1995改版)には、1875年にアメリカの心霊主義者による神智学協会への迫害、非難が始まったと書かれている。

英国、フランスの心霊主義者たちもそれに倣った。また牧師達が「『自分に同意しない者は自分の反対者である』という一般原理」により、そしてインドの宣教師達は「キリスト教にほとんど改宗しないインドの教育のある粒ぞろいのバラモン達の多くが協会に入会する様子を見」、憎み、つぶそうとした。

英国の心霊研究会による攻撃は有名だが、『神智学の鍵』にはそれについて、次のように書かれている。

初めは私達は心霊研究会の指導者達とたいへんよい友達でした。しかし、神智学者の現象についての攻撃が『クリスチャン・カレッジ・マガジン』に出て、ある下女の偽りの摘発に支えられた時、心霊研究会は神智学協会で起こった現象をあまりに多く議事録に掲載していたので、身に累を及ぼしたことを知りました。彼等の野心は研究会を権威のある厳密に科学的な団体に見せかけることでした。だから彼等は神智学協会を見捨てることにより、さらに協会を破滅させても自分の位置を保つか、または上流階級の「サドカイ派」即ち物質主義者達によって、だまされやすい神智学徒や心霊主義者達と十把一からげにされるかを、選択せねばなりませんでした。研究会には二つの選択の外に道はなく、私達を捨てることを選びました。*3

英国の心霊研究会に属してブラヴァツキー夫人を攻撃した人々がなぜ神智学協会と接点を持てたかといえば、ブラヴァツキー夫人の集まりにはオープンな、サロンのような雰囲気があったからだと想像できる。ブラヴァツキー夫人は書いている。

神智学協会の会員は一般に、もし、協会の三つの目的に共鳴し実行しようとするならば、どんな宗教や哲学を好もうと好むまいと自由です。この協会は理論的な面ではなく、実践的な面で同胞団という考えを宣布するための博愛的、学術的な団体です。会員達はキリスト教徒であっても、イスラム教徒であっても、ユダヤ教徒、パルシー教徒、仏教徒バラモン心霊主義者、唯物論者であっても、少しもかまいません。*4

これほど思想的にオープンであったのは、ほとんどの人々が真に自覚的に何かの思想に生きているわけではなく、その時々の優勢な思潮に染まっているにすぎないとの判断があったからではないだろうか。

唯物主義者といっても、思潮の変化によっては、ある宗教の熱心な信者になるかもしれない。戦前、戦後の日本人の思想的変化を見れば、そのことがよくわかるというものだ。

尤も、『神智学の鍵』でいわれているように、「神智学はあらゆる宗教、絶対的真理のエッセンス」*5であるから、どんな宗教や哲学も、神智学とは接点があるといえる。

古代神智学徒は新プラトン派ともいわれたが、「新プラトン派は大きな団体でいろいろな宗教哲学者達が属していました。私達神智学徒もそうです」*6ブラヴァツキー夫人は書いている。

そして、政治については次のように述べている。

協会としては、政治に関係することを注意深く避けています。(略)神智学協会は最高の意味での国際的な組織です。協会の会員は人類の改善という唯一の目的で協力して働く、あらゆる人種、宗教、思想の男女から成っています。しかし、協会としては国民的、党派政治には絶対に参加しません。(略)国際的な組織ですから。その上、政治活動は必然的に、時や個人の特異性でいろいろと変わらなければなりません。神智学協会の会員は神智学徒として当然、神智学の原則を承認しています。でなければ、彼等は協会に入るはずはありません。しかし、会員達はすべての問題で意見が一致するということにはなりません。協会としては、会員全体に共通のこと、即ち神智学自体と関係するものだけを一緒に実行することができます。個人としては、神智学の原理に違反せず、協会を傷つけない限り、政治的思想や活動は完全に各自の自由に任せられています。*7

スピリチュアルブームに乗った前世療法の流行

エッセー 20バルザック神秘主義と現代」で書いたように、わが国では第二次大戦後のGHQ占領政策によってマルクス主義の影響力が高まった。公職追放によって空きのできた教育、研究、行政機関などのポストにフランクフルト学派の流れを汲むラディカルなマルキストたちが大勢ついたといわれる。

その結果として、日本では唯物主義、物質主義が優勢だが、その反動からかその流れからかスピリチュアルブームが過熱しているようだ。

スピリチュアルブームがいつ、どこで、どのようにして起こったのか、その内容、またわが国でブームとなったプロセスなどについては、よく調べる必要があると思っている。

近年、このスピリチュアルブームに乗って退行催眠による前世療法が流行し、退行催眠を行うピプノセラピストが増えているらしい。サイトや動画でその様子がわかり、わたしは戦慄を禁じ得なかった。

『神智学の鍵』の「用語解説」では、「催眠術(Hhpnotism,希)」について、次のように端的に解説されている。

強い意志力をもった者が、心の弱い者を一種のトランス状態に入れるプロセスに、ブレイド博士がつけた名称。この状態にある者は、催眠術師が暗示する通りになる。有益な目的のために為されない限り、オカルティストはこれを黒魔術と呼ぶであろう。神経の流体の流れを妨げるので、道徳的にも肉体的にもたいへん危険なことである。*8

オカルティズム――オカルトという言葉はダークなイメージを伴うようになってしまったが、神智学用語ではオカルティズムは神聖な科学、秘教科学という意味である――に精通していない限り、有益な目的が何であるかの判断もできないはずで、そこから考えると、現代、巷間で行われている催眠術は全て黒魔術といえる。

催眠療法の歴史と資格などに関する現状がウィキペディア日本語版にまとめられているので、次に引用する。

催眠療法(さいみんりょうほう、英語: hypnotherapy)とは、催眠を用いる精神療法の一種である。
催眠療法は1955年に英国医師会 (British Medical Association) が有効な治療法として認めている。米国医師会 (American Medical Association) も1958年に催眠を有効な治療法として認めている。アメリカ心理学会 (American Psychological Association) と米国歯科医師会もまた催眠を有効な治療法として認めている。日本医師会からの承認は現在は行われていないのが実情である。(略)催眠はそれ自体安全なため欧米でも国家資格はない。欧米では、催眠療法家が協会を結成し、催眠療法士 (hypnotherapist) を認定する仕組みが一般的になっている。(略)日本では2日間の講座に対して発行されるABH認定「ヒプノセラピスト」を保持しているセラピストが多く存在するが、一般的にこれはプロ資格としては認識されていない。
日本の医師免許取得に催眠療法の理論や技能等は必要とされないが、米国には催眠療法の博士号が存在する。一方、日本では資格としては、日本催眠医学心理学会認定の「催眠技能士」等がある。*9

米国の精神科医ブライアン・L・ワイスが前世療法の代表的な提唱者であるようだ。「催眠はそれ自体安全なため」とウィキの解説にあるが、ブラヴァツキー夫人の見解はそれとは異なる。「ヒプノセラピスト」という資格が、民間資格とはいえ、たった2日間で取得できるというのだから恐ろしい。

催眠術がどこで行われようが、どのような科学的な装いを凝らされようが、如何に善意であろうが、それはその危険性を熟知しない人々が恣意的に行っているというのがどうやら実態である。

そして、民間資格を取得したピプノセラピストの多くが前世療法を行っているようで、それに関する沢山のサイトや動画を閲覧できる。

前世療法がどのようなものであるかを、ウィキペディア「前世療法」から引用する。

前世療法(ぜんせりょうほう、英: past life therapy)とは、催眠療法の一種であり、人間は死後人間に生まれ変わるという転生論を前提とする。退行催眠により患者の記憶を本人の出産以前まで誘導(=過去生退行)し、心的外傷等を取り除くと主張されている。*10

前世療法は装いを変えた降霊術

ある一連の動画では、はじめはごく普通に見えた女性がセラピストの退行催眠によって次第に異常体質を強めていき(霊性を弱められ)、霊媒になっていく過程をつぶさに確認できた。

退行催眠中に「あの世にいるマスター」が側に出現するようになり、彼女を通じて前世の細かな様子を語り、忠告などを行う。

しかし、神智学的にいえば、この「マスター」というのはおそらく、霊媒になってしまった彼女の異常体質に引きつけられた死者の影(神智学ではカーマ・ルーパという)だろう。

霊媒の末路は悲惨であることも珍しくないようだ。前世療法を行うセラピストにその責任がとれるとは思えない。

前世療法が、装いを変えた降霊術であることは間違いない。

ブラヴァツキー夫人の諸著では催眠術と降霊術に関する深い考察が行われている。彼女は古代から魔術という分野で催眠術も降霊術も行われてきたといった歴史と豊富な事例を示しつつ理論の変遷を語り、また人間の七重の性質といった側面に光を当てて催眠術と降霊術の正体を解き明かし、その危険性を警告しているのである。

『神智学の鍵』の「用語解説」の中の「カーマ・ルーパ(Kãma-rūpa,梵)」「物質化(Materialization)」という項目では、降霊術についてわかりやすい解説がなされている。

ここでは、「物質化(Materialization)」から、後半部分を引用しておく。

死者の「影」即ち「幽霊」についても同じことが言える。影達は我々の周囲にいるが、別の世界にいるから我々が彼等に気づかぬように彼等も我々に気づかない。だが生きている人間の強い願望と、霊媒の異常体質によって状態が整えられると、これらの影は引きつけられる。というより、彼等の世界から我々の世界へ引き下ろされて、客観化される。これが降霊術[ネクロマンシー]である。これは死者にとってよいことではない。これが自然法則を妨げるということに加えて、生きている人間に大きな害を与える。生きている人間のアストラル体、即ちエーテル複体の物質化は、これとは全く別のことである。このような「アストラル体」は、度々死者の幽霊と間違えられる。というのは、この世の人々の「生き霊[エレメンタリー]」及び肉体化身していないものや、宇宙エレメンタル達のアストラル形体はカメレオンのように、度々、我々の思いの中に最も強く印象づけられたイメージの形をとって現れるからである。簡単に言うと、いわゆる物質化が行われる降霊術の会では、その現象のイメージを作り出すのはそこに出席している者達と霊媒である。自ら現れる現象は別種のサイキック現象に属する。*11

ところで、ブラヴァツキー夫人を霊媒であるかのように解説している文章をよく見かけるが、これはとんでもない誤りである。

『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)の中の編者ボリス・デ・ジルコフ「前書きにかえて」で、ジルコフ霊媒ブラヴァツキー夫人のような媒介者とを厳密に区別している。両者は対極にある。少し長い引用になるが、重要な事柄であるので、引用しておきたい。

 H・P・ブラヴァツキーが通常の霊媒の状態にあると考え,彼女のオカルト現象をトランス降霊術と解釈した批評家たちの意見は,そこに含まれている諸要素に対する無知と単なる外見についての表面的判断にもとづいている。H・P・ブラヴァツキーが見せたある現象は,ほんものの霊媒が見せるそれに似ていたが,それらの外見の類似性は,次のようなふたりの人間の間に存在する類似性になぞらえることができる。すなわち,自発的な意志や意図で通りを歩いている人と,何が起きているかまったく知らずに夢中遊行している人と,である。ともかく,どちらも歩いていることにかわりはない。
 それゆえ,〈オカルティズム〉においては,単なる霊媒と媒介者をはっきりと区別する。前者は,一貫性のない気まぐれな星辰的諸力の不幸で無力な道具であることが多く,後者は,〈熟達者[アデプト]たちの同胞団〉とふつうの人間の間に立つ,完全に自発的でありながらまったく従順かつ協力的で自覚を持った仲介者である。したがって,媒介者は,高度に進化し訓練された人間で,強靭さや生き生きとした活力や霊的な洞察力の備わった個性を持っており,たいていは説得力のある肯定的な人格を通して機能する。H・P・ブラヴァツキーの場合も,きっとそうだったのだろう。(略)通常の霊媒は,多かれ少なかれ調子の悪い心霊学的[心理学的]装置が備わった人間で,星辰的な潮流やエネルギーがたまたま彼ないし彼女に向かってくれば,いつも無意識的に,あるいはせいぜい半意識的に,その餌食や犠牲者になっている。じつのところ,霊媒は,その体の諸原理が高次の霊的な意志や精神[マインド]のコントロール下にない者,あるいは部分的にしかそうでない者である。そのため,彼の体の低次の部分は,多かれ少なかれ一貫性を欠き,他者の考えや感情によって容易に揺らぐものになってしまう。
 一方、媒介者は,少なくとも自分の意志に関しては自由行為者であり,そのなかで内なる神からの霊的な流れが多少とも不断に働いている者である。それゆえ,そしてまた定義からしても,媒介者は,他のいかなるものの意志にも隷属したり服従したりしない高度なオカルト的訓練を積んだ人であり,心霊化にも自己心霊化にも苦しむことがない。そんなことがあるなら,媒介者でいるにはふさわしくないだろう。何をなすにせよ,彼は自己決定と自由選択の結果としてそれをなす。そして,彼が媒介者として活動することは,本質的に,高次の霊的〈原因〉に対する積極的な奉仕の最も壮大にして崇高な部分である。*12

神聖な本質との霊交は、催眠術のような「物理的、化学的手段」では達成できない

『神智学の鍵』における次のブラヴァツキー夫人の説明だけでも、聡明な人には通じる気がする(下線は引用者)。

古代神智学徒は、無限なものは有限なものには分からない、即ち、有限我には感じられない、しかし、高級な霊的我はエクスタシーの状態で神聖な本質と霊交できると言明しました。近代神智学徒もそう言います。この状態は催眠術のような「物理的、化学的手段」では達成できるものではありません。 *13

物質主義に偏重した現代社会の原因を探っていくと、わたしはどうしてもアリストテレスに行き着く。

大学時代にプラトンに心酔したあとで、彼の弟子と思って読んだアリストテレスの著作が師プラトンの著作と全く異なるだけでなく、アリストテレスの哲学に依拠した思想が主流となってしまったお粗末な内実を知ったときの衝撃を、今も忘れられない。

ブラヴァツキー夫人は『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』の中で、「彼はプラトンのことを不正確に伝え、ピタゴラスの教えをほとんど戯画化してしまった」*14といい、長くなるので引用はできないが、その理由を詳しく述べている。

プラトンの説は『シークレット・ドクトリン』『べールをとったイシス』では至るところに出てくる。古代神智学徒が新プラトン派ともいわれたことを思い出そう。プラトンの説は勿論必要があって出てくるのだから、プラトンを知らずにこれらを読むのは無理だとわたしは思うのである。

プラトンに限らず、哲学書も旧・新約聖書もろくに読んだことのない人がブラヴァツキー夫人の著作を読んでも、時間の無駄かもしれない。それでも、ブラヴァツキー夫人の著作に触発されて、そこに引用された本を読むきっかけとなることはあるだろう。それだけでも有意義で、楽しいことだ。

いずれにせよ、ブラヴァツキー夫人の諸著は「人類の改善」という目的を果たすためには必読の書と思える。

ブラヴァツキー夫人は日本でいえば江戸時代から明治時代にかけて生きた人であるが、『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』で、現代社会の物質主義に警鐘を鳴らしていると受けとることもできる、次のようなことを書いている。

彼は忘れているのだ。あらゆる科学のなかで普遍から特殊へと進む唯一のものである幾何学こそ,プラトンが自分の哲学に用いた方法だった,ということを。精密科学がその観察対象を物質的な諸条件に限定してアリストテレスのように進んでいくかぎりは,失敗することはありえない。しかし物質世界は,私たちにとってはてしないものであるにもかかわらず,やはり限定的である。それゆえ,物質主義は,この価値下げされた円のなかを永遠に巡り続けるだろう。その円周が許すところより高くは飛べないのである。ピタゴラスがエジプトの秘義司祭たちから習った宇宙論的な数の理論だけが,この二つの単位を,すなわち物質と霊を和解させ,一方に他方を数学的に証明させることができる。*15

『神智学の鍵』には「神智学の教えは霊と物質の同一性を主張し、霊は潜在的な物質であり、物質は結晶化した霊にすぎないと言います*16とあって、これは神智学の基本的な考え方である。 


マダムNの覚書、2017年11月13日 (月) 20:06

 

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*1:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,前書きにかえてp.2

*2:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,前書きにかえてp.3

*3:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.265

*4:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.29

*5:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.65

*6:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.16

*7:ブラヴァツキー,田中訳,1995,pp.227-228

*8:ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説pp.32-33

*9:催眠療法」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。 2017年11月1日 (水) 11:50 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

*10:「前世療法」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。 2017年10月17日 (火) 06:04 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

*11:ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説pp.53-54

*12:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,前書きにかえてpp.17-18

*13:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.21

*14:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,ベールの前でp.xix

*15:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.8

*16:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.42