マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

82 トルストイ『戦争と平和』… ➂18世紀のロシア思想界を魅了したバラ十字思想

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『薔薇十字の目に見えない学院』(The Temple of the Rose Cross),テオフィルス・シュヴァイクハルト,1628年
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エッセー「トルストイ戦争と平和』に描かれた、フリーメーソンイルミナティに侵食される過程」

目次 

  1. 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面(80
  2. ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ81
  3. 18世紀のロシア思想界を魅了したバラ十字思想(82)
  4. フリーメーソンとなったピエールがイルミナティに染まる過程(83
  5. イルミナティ創立者ヴァイスハウプトのこけおどしの哲学講義(104
  6. テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界(105

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ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ(Johann Valentin Andreae, 1586 - 1654)。ドイツの著述家、神学者
バラ十字団の始祖クリスチャン・ローゼンクロイツを主役とした小説『化学の結婚』(原題:Chymische Hochzeit,Christiani Rosencreütz,1616)を著した。
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 81 で採り上げたトルストイの『戦争と平和』に関するオンライン論文、笠間啓治「『戦争と平和』にあらわれたロシア・フリーメイスン*1には、バラ十字思想とロシア思想界について、「中世が生んだこの形而上学的思考方法は、18世紀ロシア思想界を席巻したと言っても過言ではない。というより、まったくの無菌状態のロシアにて異常繁殖したと表現してもよいだろう」と書かれている。

バラ十字の思想とは、どのようなものであったのだろうか。

バラ十字団について、竜王会東京青年部編『総合ヨガ解説集』(竜王文庫、1980)には、端的に次のように解説されている。

起源は,中世に教会から禁じられた学問を研究する知識人達が作ったギルド(同業組合)のような秘密組織。1614年から三年間にわたって三つの著作が著わされ,その存在を公然と明らかにした。三著作とは「世界の改革」「同志会の伝承」「同志会の告白」であり,「同志会の伝承」では,バラ十字団の始祖といわれるクリスチャン・ローゼンクロイツというドイツの貴族の生涯について書かれている。*2

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)には、バラ十字への言及が所々にあって、わたしの目にはまるで花壇のあちこちに咲く薔薇の花のように甘美に映る。

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The Rose and the Cross: 薔薇が象徴的に描かれた薔薇十字文書『至高善』の扉絵
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例えば、この本のプロエム(緒論)210頁と301頁には、バラ十字会員の最もよく知られているシンボル――七羽の雛達を養うために胸を引き裂いているペリカン――がバラ十字団の本当の信条を表し、それが東洋の秘密の教えから直接きたものであること、テウルギストの後継者達であったバラ十字や後世の火の哲学者達はマギと拝火教徒達から神秘的かつ神聖な元素の火に関する教えを得た――と書かれている。

議事録685頁には、ブラヴァツキー夫人の次のようなうっとりするような言葉がある。

植物などの様々な種は、一条の光線が分裂して生まれた光線です。光線は七つの世界を通る時に、各世界で弱められ、何千も何百万もの光線になり、そうした光線はそれぞれ、自分の世界で一つの有知者になります。だから、各植物には有知者があり、いわば、生命の目的があり、ある程度の自由意志があるということがわかります。とにかく私はそのように理解しています。植物には感受性の強いものも弱いものもありますが、例外なく、どの植物もものを感じるし、それ自体の意識があります。その上、オカルトの教えによると、巨木から最小のシダや草の葉に到るまで、どの植物にもエレメンタル実在がおり、目に見える植物は物質界でのその外的な装いです。だから、カバリストと中世のバラ十字派はいつもエレメンタル即ち四大元素の霊の話をするのが好きでした。彼等によれば、すべてのものにはエレメンタルの精がいます。

このように、バラ十字に関係した記述はブラヴァツキー夫人の論文には沢山出てくる。ただ、それはバラ十字という組織に関するまとまった記述としてではなく、上に引用したような採り上げかたなのだ。

ところで、1970年刊行の新潮社版トルストイ戦争と平和』を改めて注意深く読むと、主人公がフリーメーソンとなるきっかけをつくるフリーメーソンの長老について、この長老が「ノヴィコフの時代からの有名なフリーメーソンの会員で、マルチニストの一人であった」と書かれている。

植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)にノヴィコフとマルチネス派についての記述がある。

マルチネス派は、マルティネス・ド・パスカーリ(1717 - 1774)とその弟子ルイ・クロード・ド・サンマルタン(1743 - 1803)の思想をさすが、のちにはサン・マルタンの思想を指すようになったそうだ。

サン・マルタンはバラ十字の祖の一人であるそうで、サン・マルタンといえば、フランスの文豪オノレ・ド・バルザック(1799 - 1850)である。

E・R・クルティウス(大矢タカヤス監修、小竹澄栄訳)『バルザック論』(みすず書房、1990)によると、キリスト教古代および中世の異端は聖書の言葉を拠りどころとしていた。

それらはキリスト教神秘主義最後の全盛期、17世紀に再び蘇った。神秘的生の豊かさ、多様さの点で、14世紀と充分張り合うに足る時代であった。*3

17世紀の神秘主義には二つの潮流が併存していた。一方はヤコブベーメを祖とする流れで、ドイツとイギリスで成功を収めた。他方はロマンス語諸国を揺籃としており、カトリック内部で生まれてきた。18世紀になると、これら異端神秘主義は二人の強い影響力のある人物を輩出した。スウェーデンボリサン・マルタンである。

バルザックは両者の影響を受けているが、スウェーデンボリの教説については意図的に我流の解釈を行った節が窺える。カバラ魔術の信奉者パカスリス(パスカーリ)の弟子であったサン・マルタンベーメの影響を色濃く受けていた。

バルザックサン・マルタンの信奉者だった。おそらくバラ十字でもあった。クルティウスは、バルザックの作品で展開される原因と結果、大宇宙と小宇宙、意志と欲望、数の神秘論、磁気論などがよく似た形態、よく似た文体でサン・マルタンの著作に見出されるという。

 18世紀ロシア思想界を席巻したというバラ十字思想。それがどのようなものだったかを具体的に知る手がかりとして、バラ十字の思想形成に強い影響を及ぼしたヤコブベーメについて見ていきたい。

ヤコブベーメについて、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)の用語解説では「ベーメ(Jacob Boehme」に1頁丸ごと割かれている。そこから抜粋してみる。

神秘家であって、偉大な哲学者であり、最も優れた神智学徒の一人である。1575年頃、ドイツのゲルリッツ市の近くに生まれ、1624年に50歳近くで没した。村の学校で読み書きを習ったあと、ゲルリッツの貧しい靴屋の徒弟となった。全く驚嘆すべき力のある天性の透視家であった。科学教育を受けず、その知識もなかったが、多くの本を書いた。今、それらの著作には科学的真理がたくさん含まれているのが証明されている。…(略)…この偉大な神智学徒が300年後に生まれていたとすれば、それを別の言い方で表現したであろう。*4

わたしはヤコブベーメの邦訳版著作を1冊だけ、所有している。教文館刊行の「キリスト教神秘主義著作集」の中の1冊で、第13巻がヤコブベーメである。この『キリスト教神秘主義著作集 第13巻』は次のような構成になっている。

● 「シグナトゥーラ・レールム――万物の誕生としるしについて――」
● 「プリンキピアの表(図式ならびに神の顕現の三つの表についての説明)」
● 「フィロソフィアの球――あるいは永遠の奇跡の目――:魂に関する四十の問いから(№102-226
● 自然の輪:三重の生命から(№53-67;74-111)
● J・ベーメの各作品に寄せられたフィギュア(1682年J・G・ギヒテル版J・ベーメ全集から)
● ウィリアム・ロー「ドイツの神智学者ヤコブベーメの深遠なプリンキピアについて」
● 神智学書簡
アブラハム・フォン・フランケンベルク「ベーメの生涯と作品」

私事になるが、めったに邦訳版の出ることのないベーメの貴重な著作であることは、これを購入した30年ほど前のわたしにもわかっていた。が、わたしは2人の子供の子育て真っ最中、純文学の賞狙いで熱くなっていたころだったので、当時5,000円というのは高額に感じられ――今もそうだが――、もう1冊同じシリーズの17巻に入っているサン・マルタンとどちらにすべきか、大いに迷った。

どちらか1冊しか買えないとなると、ベーメだろうか。神秘家、錬金術師として有名なベーメの著作がどんなものであるのか、触れてみたい。サン・マルタンはまたの機会に。作家の端くれにでもなれたら、自分の小遣いくらいは稼げるようになるだろうから――と当時のわたしは思った。

作家の端くれにもなれなかったわたしには今でも購入できるサン・マルタンはやはり高価だが(アマゾンで見ると、7,020円)、ベーメは中古品しかないから、ベーメを買っておいて正解だっただろうか。この街にある県立図書館には、このシリーズは置かれていない。

ロシア文学のすばらしさを知らない文学好きはいないと思うが、そのすばらしさがどこから来ているのか、わたしにはずっと謎だった。

今、ロシア思想界を席巻したといわれるほどにバラ十字系フリーメーソンの影響が強かったことを思うとき、ロシア文学の研究にはバラ十字の研究も加えられるべきではないかと思う。

いずれにせよ、世界的文豪とされる作家の純文学作品にはほぼ例外なく、神秘主義の芳香がある。純文学から神秘主義的要素を削ぎ落してしまっては、純文学自体が死んでしまうように思われる。

これまでにも書いてきたことだが、第二次大戦後の日本では、GHQによる公職追放によって21万人もの各界の保守層が追放された結果として左翼が勢力を伸ばし、学術研究においても彼らが主導的立場をとることになった。彼らの唯物史観に障る分野の研究はなおざりにされてきたという実情があるのだ。

エッセー 20バルザック神秘主義と現代」でも引用させていただいたが、『バルザック全集 弟三巻』(東京創元社、1994・8版)の解説で、安土正夫氏が次のようなことをお書きになっている。

従来バルザックは最もすぐれた近代社会の解説者とのみ認められ、「哲学小説」 は無視せられがちであり、特にいわゆる神秘主義が無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている現代においてその傾向が強かろうと想われるが、バルザックのリアリズムは彼の神秘世界観と密接な関係を有するものであり、この意味においても彼の「哲学小説」は無視すべからざるものであることをここで注意しておきたい。

神秘主義に対するマルクス主義者の誹謗中傷は、今やそっくり彼らに返っていったのではないだろうか。彼らの影響下に、わが国の純文学が瀕死の状態となった現状を思うとき……

話をヤコブベーメに戻そう。

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ヤコブベーメ(1575年 - 1624年)
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キリスト教神秘主義著作集 第13巻』所収「神智学書簡」を読むと、ベーメの作品がどのように書かれたのか、また最初は単なる覚書として、次には方々の質問に答えようとして何冊か本を書いたがために、誹謗中傷や迫害を受けたことがわかる。

第12の手紙には次のように書かれている。

私の書いたのは、いろんな本を勉強して学んだ知識や学問によるのではなく、わたしの内部に開かれた私自身という本から書いたものです。つまり、神の高貴な像(すなわち神の似姿である人間)という本を読む恵みが与えられたのでした。…(略)…
主の霊がそのうちに働かない者が、神に関する事柄をどうして判断できましょうか。…(略)…社会的な地位などに関係なく人間のうちにあって判断を下す神の霊、目に見ることのない神の霊の助けなしには、だれひとり真理と主の御心をとらえることはできません。素人もドクトルも同じことです。*5

べーメはごく平凡に日々を過ごしていたわけではなく、イエス・キリストの御心を一途に求めた人であった。ある日、それに対する応答を自らのうちに得たということのようである。

神のミステリウムについて何か知ろうとは、少しも望まなかったし、いわんや如何に探し如何にして求めたらよいか、何一つわかりませんでした。何一つわきまえぬ素人のように、私は、無知そのものでした。私が求めたのは、ひたすらイエス・キリストの御心だけ。…(略)…こうして心をつくして探し求めるうちに(はげしい苦悩におちいりましたが、そこから逃げ出してすべてを放棄するよりはむしろ死んだ方がましだとまで思ううちに)、扉が開き、15分間のうちに、大学で何年も学ぶよりもはるかに多くのことを見、そして知ったのでした。まことに不思議なことで、なぜまたそうなったのか自分でも分からなかった。私の心は、ただ神の御業をたたえるばかりでした。*6

ゲルリッツ市参議宛の第54の手紙には、自分や妻子に加えられる迫害から守ってほしいという切実な訴えが綴られている。ベーメの書いたものは巷で評判になり、賛否を巻き起こしたのだろう。

このささやかな本のなかで、神から賜物を授かった私の個人的ないきさつが記されておりますが、それは身分も高く、学問もある方々の依頼を断り切れず書きましたもので、いくたりかの方々の心を動かすことがあったとみえて、さる高貴な貴族の方が、愛の心から印刷させたのでございます。*7

ベーメを理解し、支援したのは、バラ十字であった人々が中心であっただろう。というのも、一般人にはベーメの作品は凡そ理解できないものであったに違いないからである。

バラ十字の最初の著作は1614年に神聖ローマ帝国(現ドイツ)のカッセルで、第二の著作は1615年にやはりカッセルで、第三の著作は1616年にシュトララースブルクで上梓されている。バラ十字がその存在を世に知らしめ、活動を表立って活発化させた時期と、ベーメの著作が世に出た時期とが重なる。

『神智学の鍵』の用語解説「拝火哲学者(Fire philosopher)」(p.57)には、バラ十字会員はテウルギー師の後継者だと書かれている。

H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010、ベールの前でIv)によると、キリスト教時代の神動術(theurgy)の最初の一派は、アレクサンドリアの新プラトン主義者イアンブリコスによって創設された。

しかし、エジプト、アッシリアバビロニアの神殿では聖なる秘儀において神々の召喚が行われ、その役割を荷った司祭は最早期の太古の時代から神働術師と呼ばれていたという。もしそうだとすると、バラ十字の起源は太古に遡ることになる。

神働術師はあらゆる偉大な国々の〈至聖所〉の秘教的教えに関する専門家だったという。

『神智学の鍵』の用語解説「イアンブリコス(Iamblichus)」には、イアンブリコスは「たいへんな苦行をし、清浄で真剣な生活を送った。…(略)…地面から約5メートルの高さまで空中浮遊したと言われている」*8とある。

『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』によると、神智学の創始者アンモニオス・サッカスの直弟子達プロティノスポルフィリオスはテウルギーは危険であるとして、懸念を抱いたらしい。

イアンブリコスの一派は、プロティノスポルフィリオスの一派とは違っていた。このふたりの高名な人物は、典礼魔術も神働術も堅く信じてはいたが,危険であるとして強く反対した。*9

イアンブリコスはピタゴラスについて、多くを書き残している。ピタゴラス派の日々の生活がどのようであったかがイアンブリコス(水地宗明訳)『ピタゴラス的生き方(西洋古典叢書 2011 第3回配本)』(京都大学学術出版会、2011)を読むと、細かにわかる。

共同食事を解散する前に最年長者が神に献酒した後で唱える戒告が印象的なので、引用しておこう。ちなみに共同食事の献立はワイン、大麦パン、小麦パン、おかずは煮たのと生のままの野菜。神々に供えられた動物の肉も――時には――添えられた。

栽培され果実を産する植物を傷つけるなかれ、あやめるなかれ。同じく、人類に有害でない動物を傷つけるなかれ、あやめるなかれ。なおまた、神とダイモーンとへーロースのたぐいについては言葉を慎み、よい心情を抱け。また両親と恩人についても同様の心情を持て。法に味方せよ。違法と戦え。*10

キリスト教神秘主義著作集 第13巻』所収「シグナトゥーラ・レールム――万物の誕生としるしについて――」の文章は、読者への語りかけとなっている。

「親愛なる読書諸君」「愛する求道者よ」と始まる語りかけは、途中から錬金術師、医師への教訓、助言となることが多い。ベーメの著作の読者が概ねこういった人々であったからだろう。錬金術師はしばしば医師であり、彼らは求道者であったようである。

ALCHEMIST(錬金術師)はアラビア語に由来し、「これはたぶん、Kemet あるいは Kem,つまりエジプトという名前がもとになっている」*11ブラヴァツキーは解説する。

ロベルトゥス・デ・フルクティブス(ロバート・フラッド)、パラケルスス、トマス・ヴォーン(エウゲニウス・フィラレテス)、ファン・ヘルモントらのような中世の薔薇十字団の団員たちは皆、錬金術師で、彼らはあらゆる無機物の中に隠された霊を探し求めた。

錬金術師を大法螺吹きのペテン師だと悪くいう者もいたが、ロジャー・ベーコン、アグリッパ、ヘンリー・クーンラート、化学の秘密のいくつかをヨーロッパに伝えたアラビア人ゲベルのような人たちに対しては詐欺師扱いも愚か者扱いもできまい。デモクリトスの原子論を基礎として物理科学を改革しつつある科学者たちは、アプデラのデモクリトス錬金術師だったことを都合よく忘れている――とブラヴァツキ夫人ーはいう。

また、ブラヴァツキー夫人は次のようにもいって、錬金術師たちがどのような人々であったかに注意を促す。

自然に関する秘密の作業に一定方向にあれほど入り込んでいける人は,すばらしい理性の持主であり,研究を重ねてヘルメス哲学者になったに違いない,ということも都合よく忘れているのである。*12

前述したように、ベーメの最初の著作『Aurorat(アウローラ)』は1612年に著された。切々と訴える具体的な文面から、ベーメが大変な日々を過ごしたことがわかる。

はじめて書いた本(アウローラ)は天からの授かりもので、私ひとりのために覚え書きのつもりで書き綴り、ひとには見せる考えはなかったところ、神のかくれたるおぼしめしか、いつか手許を離れ、牧師長様のお目に触れることとなったその次第は、尊敬おく能わざる参議のよく御存じのところと愚考します。私自身そのころ何一つわきまえず、たどたどしい言葉で、哲学、錬金術、神智学の根底について書き記し、それが人の目にふれるとは夢にも思いませんでした。牧師長様は、まさに他ならぬこの本を、私の意図に反してとり上げ、中傷してとどまるところを知らず、私は、キリストの名を辱めないために、ひたすら忍耐を重ねたのでございます。
しかるにお役所に呼ばれ、理由を述べて申し開きをせざるを得ない羽目になりましたとき、牧師長様は、今後一切筆をとり、ものを書かぬよう命ぜられ、私もそれをよしとしたのでございます。神がこの私を用いて何を為さんとおぼしめしているのか、その神の道がそのころの私にはまだわからなかったのでございます。とまれ、私の沈黙とひきかえに、牧師長様ならびに副牧師の方々は説教壇では私のことを言わぬと御約束なさったにもかかわらず、その後もひきつゞき中傷を受け、およそ根も葉もないあらぬことを申され、そのため町中の人々はそれを信じて、私ばかりか妻子も、さらし物となり、気違い同様の扱いを受けたのでこざいます。…(略)…
私の授かったものを検証するには、一般の人々ではなく、博士、牧師、学問のある貴族の方々が必要なのでございます。*13

ベーメの生涯については、のちほど見ていきたい。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)「用語解説」の「錬金術(Alchemy)」ではアルケミーの語源、概要、歴史、近代化学的解釈などについて解説されている。以下は抜粋である。

アルケミーは、自然の精妙な諸力と、それらのエネルギーが働いている物質の様々な状態を扱う。イニシエーションを受けていない利己的な世間の人々が手に入れても危険にならない程度に大神秘を伝えようとしてアルケミストは、多少人工的な言葉で地水火風という四大元素の基本となる等質の質量の中には、ある種の普遍的溶剤が存在することをアルケミーの第一原理として仮定する。この等質の質量をアルケミストは純金、即ち最高の物質[マテリア]という。普遍的溶媒とも言われるこの溶剤には、人体からあらゆる病気の種を取り除き、若さを取り戻し、長寿にする力がある。これが哲人の石である。…(略)…アルケミーを学ぶには、三つの異なる面、即ち宇宙的、人間的、俗世的面があるが、それにはいろいろな解釈が可能である。
 この三つの面は、硫黄、水銀、塩という三つの錬金術的特性によって代表されていた。…(略)…アルケミーにはただ一つの目的があるという点で、著者達はみな一致している。それは卑金属を純金に変質させることである。だが、これはただアルケミーの一つの面にすぎなく、つまり、俗世での純粋に心理的で霊的な象徴的意味がある。*14

カバリストの錬金術師は、錬金術の物質的側面を追求するが、オカルティストの錬金術師は、低級四つ組を人間の神聖な高級四つ組に変質させる方向へのみあらゆる注意を向け、努力を尽すという。低級四つ組と高級三つ組がついに融合すると、両者は一つとなる。

この錬金術の解説とも響き合うブラヴァツキー夫人の言葉を引用して、神智学協会ニッポンロッジの初代会長、翻訳家であり、神智学の優れた研究家・解説者であった田中恵美子先生は竜王会の機関誌「至上我の光」の中で、次のようにお書きになっている。

もし、すべてのカーマを殺し、これをすべて上向きの清浄な欲求に置きかえることが出来た場合には、七重の構成体に驚くべき変化がおきます。つまり、アートマ・ブディー、マナスの三つ組みは浄化した低級マナスを受け入れ四つ組みになります。一方死すべき四つ組みはカーマが消えて、肉体と複体とプラーナで三つ組みになります。これが解脱した人の様子であるとH・P・Bは言っています。*15

カーマとは、サンスクリット語で欲望のことである。釈迦の解脱が仏教の核心であることを考えると、錬金術の核心的技法は仏教の奥義に一致するということだと思われる。

現代化学はその最大の発見を錬金術に負っているのだが、宇宙にはただ一つの元素しかないというのが錬金術の否定し難い公理にもかかわらず、化学は金属類を元素類の部に入れてしまった――と、ブラヴァツキー夫人はいう。

以上のような、錬金術に関する予備知識があるのとないのとでは、難解なベーメの著作の理解度に著しい差が出る。

また、ベーメの著作「シグナトゥーラ・レールム ――万物の誕生としるしについて――」は難解であるが、錬金術的要素を別にすれば、グノーシス文書を連想させる。

マグダラのマリアが印象的に登場する「マリア福音書」をはじめとするグノーシス文書を色々と読んできた目でこの著作を読むと、これがグノーシス文書群に混じっていたとしても何の違和感も起きないだろうと思うほどだ。

ベーメの思想はキリスト教グノーシスといっていいと思うが、同じくグノーシス的であった異端カタリ派のような悲観的、厭世的なところが全くない。グノーシス思想といっても複雑だが、本来はこのようなものではないかとわたしは思う。ベーメの思想は二元論的だが、根本は汎神論的である。

ベーメによると、神はミステリウム(神秘)であり、無である。

「唯一の存在のことである“永遠の非存在”という概念は、私達が存在の概念を自分達の現在の存在意識に限定していることを忘れている者には逆説と考えられるだろう」*16と『シークレット・ドクトリン』の中でブラヴァツキーはいうが、この文章はまるで、ベーメのいう神=無の解説さながらではあるまいか。

ベーメに戻ると、無は永遠の目、底なしの目である。この目は意志――あらわれ出て無を見出したいというあこがれ――であるが、意志のまえには何もないから自分自身のなかに入って自然を通して自分を見出す。

自然の外のミステリウムのなかには二つの姿がある。第一の姿は自然へと、奇跡の目の顕現へ向かう。第二の姿は第一の意志の子で、大いなるよろこびの欲である。

よろこびの欲は意志と欲のガイストとして内から外へ出ていく。ガイストは命の機〔はた〕を織り、欲はガイストのなかに姿をつくり、はてしないミステリウムはさまざまな形となってあらわれる。姿をとった全体が神性の永遠の智である。

ベーメのいうガイストとは、精神、聖霊、霊、気といった、「かみ」の意味範囲にまたがる、目にみえず、五感ではつかめない純粋な運動をいう。

万物は唯一人の母から出て来て、永遠の本体にもとづき、二つの本体、すなわち、死と不死の本体、生と死、ガイストとからだの二つに分かれた。ガイストは生命であり、からだは死であり、すなわちガイストの家である。外にむかっての出産は、三位一体の誕生に似ている。四つのエレメントからなるこの外の世界のフィギュアとおなじく、天にもまた、本体とガイストがあり、もともと一つのエレメントであったのが、上に述べたように、外の世界において、火、風、水、地の四つの性質に分裂する。
 さらにこの世界の創造については、次のようなことがみられる。すなわち、この世界の浮かぶ宇宙空間〔ロクス〕のうちに、永遠の世界の全本体が動いて、姿全体に火がつき、蠕動しはじめる。こうしたことが、顕現へとむかう欲のうちに起こったのである。このとき、誕生したものは、燃え出した火の衝撃を受けて四つの部分にわかれた。すなわち、火、風、水、地。*17

そして、万物の第一の母、欲をともなう自由な意志は、主として七つの姿に移行し、それぞれ固有の飢えの性質のままに、からだをつくるのだとベーメはいう。

前述したように、ブラヴァツキー夫人の『シークレット・ドクトリン』によると、バラ十字派はマギと拝火教徒達から元素の火に関する教えを得たのだが、彼らはその教えを洗練、発展させ、定義づけしたようで、彼女は同書の別の箇所で「あらゆる神秘主義者やカバリストの中で、火を一番正確に定義したのは、バラ十字会員達であった」*18と述べている。

バラ十字派が火をどのように定義づけたかが、『神智学の鍵』の用語解説「拝火哲学者(Fire philosopher)」に端的に解説されている。

バラ十字会員は、火を神性の象徴と見た。火は物質的原子の根源であるだけでなく、原子にエネルギーを与える霊的、サイキック的な力を含んでいるものでもあった。火は三つの本質から成り立っている。秘教的には、他のあらゆる元素と同じく、七つの本質から成る。人間は、霊、魂、体と四つの相で構成されているが、火もまた同じである。有名なバラ十字会員の一人であるロバート・フラットの著作によると、火は第一に見える炎(体)を含み、第二に見えないアストラルの火(魂)を、第三に霊を含むという。四つの相とは(a)熱(生命)、(b)光(心)、(c)電気(カーマ的、分子的力)、(d)霊を超えた総合的本質、つまりその存在と顕現の根本原因。*19

ベーメは、自然の中心には三つの姿が宿るという。すべての根源である第一プリンキピウム(原理)ではガイスト、第二プリンキピウムでは愛、第三プリンキピウムでは本体と呼ばれる。そして第三プリンキピウムのなかで、三つの姿はスルフル(硫黄)、メルクリウス(水銀)、サル(塩)と呼ばれる。

人間は神、あるいは在りとし在るもののうちの在るものをかたどって造られていればこそ、人間のうちには三つの世界すべての姿がことごとくひそんでいる。この三つの世界に対応して、三人の工匠、トリオのフィアット(創造への意志、欲)が人間のなかにいて、主導権争いをする。どの工匠が主導権を握るかによって、リュートは異なる音を出し、残りの二人は退いてバックグラウンドのひびきとなる。

つまり、人間の生命は三つのプリンキピアに、すなわち三種類のエッセンスにまたがる。第一には永遠の自然、火の性質のガイスト。第二には永遠の光、神の本性の性質のガイスト。第三には外なる世界の性質のガイスト。

このような三重のガイスト、三重のエッセンスと意志の性質、そしてこれらのエッセンス、ガイストがたがいに争って生ずる病気、癒す薬、療法が何であるかをベーメは考察していくのである。

錬金術独特の表現とみられる文章を、次に引用しておきたい。

こうして、錬金術師の観察すべきことは――三人の殺害者、すなわちサトゥルヌス、マルス、メルクリウスがライオンの葡萄色の血のなかで溺れ死ぬとき、三人は、消え失せるのではなく、その罪が許されるのであって、すなわち、かれらの憤怒は、愛の欲へと変容される。すなわち、ヴェーヌスからソルへの変容が行われる。火の欲が水の欲のなかに入って行くとき、水のなかから、そしてまた水のなかに光、つまり輝きがあらわれる。すなわちヴェーヌスは、白く、火の欲は、赤い。そして、ここに色の変容が起こって黄色が生じる。つまり、黄色は、白と赤とが同時に存在すると生じる色であって、王者の色である。すなわち、メルクリウスがよろこびの力に変容すると、増殖[ムルチプリカチオーン]がはじまる。死んだまま母のなかに閉じ込められていたメルクリウスは、母をソルに変容する。メルクリウスは、地上的なものをことごとく天上的なものとなし、かつて乙女がそうであった一つの性質とする。すなわち、このとき乙女もまたその名を失う。なぜなら、乙女は、その愛と真珠を騎士に与えるからである。そして、この騎士がここでは白いライオンと呼ばれるのであって、イスラエルダビデの家の獅子と聖書に記されているとおりである。*20

延々と続くこのような文章には唖然とさせられるが、よく読めば、実験の過程で生じる様々な現象が語られているのだとの察しはつく。

ベーメは科学教育を受けていなかったため、科学分野の知識に乏しかったというだけでなく、科学的思考自体がキリスト教によって抑圧されていた、17世紀初頭のドイツにおける著作であることを念頭に置いておかなければならない。

上山安敏『魔女とキリスト教』によると、ヨーロッパではドイツを含めて魔女裁判の最盛期は16世紀、17世紀であった。*21

ちなみに、ベーメが亡くなった1624年イングランドに生まれたアイザック・ニュートン(Isacc Newton, 1624 - 1727)は錬金術師であったし、1627年、アイルランドに生まれたロバート・ボイル(Sir Robert Boyle、1627 - 1691)は近代科学の祖といわれるが、彼もまた錬金術師であった。

ベーメの著作では、一つの単語が重層的な意味を持っていることもあって、異様にわかりにくい表現となっている。

例えば、メルクリウス,水星(Mercurius)は、「すべての生命と運動のもと」「目に見えない力を形あるものとなす工匠、棟梁」「万物の誕生の輪」「不安の輪」「分節化によって、音、ひびき、ことばをもたらす」「聖なる内なるメルクリウスは神の息吹、言葉」「メルクリウスの毒に対抗できるのはメルクリウス自身の子キリスト」「メリクルウス固有の性質は毒の生命」「メルクリウスの毒の輪」「毒のメリクルウスのうちにこそ大きな真珠がひそむ」「メリクルウスの水は水銀」「パリサイ人」……といった使いかたがなされる。 

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ピーテル・ブリューゲル作『錬金術師』16世紀の錬金術師の実験室。
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キリスト教神秘主義著作集 第13巻』所収、アブラハム・フォン・ブランゲンベルク「ベーメの生涯と作品」を読むと、温かみと敬愛に満ちたその文章からベーメの人となりが、また人生における主要な出来事が生き生きと伝わってくる。

アブラハム・フォン・ブランゲンベルクはベーメの友人で、貴族であった。次のような文章で始まっている。

大いなる恩寵を授かった神の証人にして独逸の奇跡の人ヤコブベーメの輝かしい生涯に就いて書き記すならば、賢明な文章家を俟たねばならぬ。然るに未だひとりとして其の故国の人すらも斯かる企てを試みぬ故、才能乏しきを顧みず彼の近くにあった者の一人として、神の祝福のうちに死去したベーメが一千六百ニ十三年から一千六百二十四年にかけて親しく語った事を思い起こすまま短く簡潔とはいえ確かな真実に基づきお知らせしたい。*22

評伝が書かれた当時の雰囲気が伝わってくる南原実氏による邦訳の言葉、文章を引用させていただきながら、ベーメの生涯で起きた主要な出来事を拾ってみたい。

ヤコブベーメは1575年にアルト=ザイデンベルク、ゲルリッツ近郊の村に生まれた。小農業を営む父ヤコブ、母ウルズラは善良なドイツ人の気質に恵まれていた。この貧しい二人のキリストの御心に叶う汚れない夫婦の交わりから、ベーメはこの世に誕生した。

少年になったヤコブは村の男の子に混じって野原で家畜の番をし、両親の言葉を守り、よくその手助けをした。

ある日、いつの間にか他の子供たちから離れ、近くの山「国の冠[ランデスクローネ]」を登っている自分に気づいた。赤い石が幾重にも重なった陰に隠れた入口を見つけて何気なく中に入ると、金銭の詰まった樽があった。ベーメは恐怖に襲われ、何一つとることなく、外へ急ぎ出た。その後仲間と一緒にその山に登ったが、入口は見つからなかった。「これは、神と自然の知恵と神秘の宝庫を後に発見する精神的預言とも言い得よう」*23。当時、地中に宝を隠した山の発見はよくあったことだという。

ベーメの両親は、息子が繊細にして善良、また霊的な資質を有していることを知り、日々の祈りに加えて行儀作法と最低の読み書きを覚えさせるために学校に通わせ、次いで靴業を修めさせた。

陰日向なく勉強し、修業の旅に上ったベーメは1594年に親方となると共に、ゲルリッツ市民にして有名な肉屋ハンス・クンシュマンの娘、操髙き乙女カタリーナを嫁に迎えた。その後、平穏な30年の結婚生活を送り、4人の息子を授かった。長男は彫金師、次男は靴屋、三男、四男はまた別の職人になった。

宗教の様々な抗争があったが、ベーメはこれに加わろうとはしなかった。教会の説教には熱心に参加した。主の慰めある言葉「天にいます父は求め来る者に聖霊を与え給わぬ筈がない」(ルカ11・13)によって自己に目覚め、真理を認識せんと心貧しきままに祈り求め続け戸を叩き、遂に彼の願いは成就した。「斯くて、(彼自らの告白に依れば)神の光に囲まれて七日の間神と相対しつゝ大いなる喜びのうちにあった」*24

徒弟時代のある日、ベーメには次のようなことがあったという。簡素な身なりながら気品のある男が店頭に現れ、靴を一足求めた。親方もおかみも留守だったので、ベーメは自分で売るのを躊躇した。客の再三にわたる求めを断りきれなくなって正値を遥かに超える値をいうと、男はその値で靴を買い、出て行った。

その男は外から「ヤコブ、出て来い」とベーメを呼んだ。怖気づきながらもベーメがその男の許へ行くと、「真面目で親切そうな其の男は彼の手を握り火花の散る目を以て彼の目を真直ぐ強く覗き込み言った――ヤコブ、お前はまだ小さい、しかし、やがて大きくなり、そればかりか全く別の人間、男となって皆の驚異の的となるだろう。だから信仰厚く、神を虞れ神の言葉を敬え、特に聖書を読め。そこに慰めを見出し、何を為すべきかを知るだろう。なぜならば将来汝は迫害を受け貧苦に苦しむであろうから。併し、心配せず、平静に努めよ、神に好まれる汝には恵みがあるであろう、と」*25

ベーメはその男の言葉を心に刻み、青年の愚かな快楽を遠避けた。聖書を精読して、正しく実践した。真の至福と徳を目指して勤しみ引き籠った。世間の慣習に合わないその態度が仲間の嘲笑を買い、親方の家をも去ることとなった。

間もなく一人前の職人となったベーメは1600年、25歳のとき、再び神の光に捉えられた。「錫の皿を熟視するうち、溢れるばかりの星を頂く彼の魂の霊は、隠れた自然の底の底、或いは其の中心に這入って行った。幻影の類いかと思い其の妄想を追い払うべくゲルリッツ市のナイセ川の門から(その橋の袂に彼の住まいは在った)緑の郊外へと出て行ったが、与えられた目差は愈々明瞭となり失われる事無く、其のまなこに映じた標[しるし]乃至フィギュア又形と色彩を通じて万物の心臓と自然の最奥へと分け入り(彼のまなこに刻み付けられた此の底はシグナトゥーラ・レールム――万物のしるし――と命名された彼の著作に剰す所なく明瞭に描かれて居る)、魂は振り注ぐ大きな喜びに浴し、彼は唯々沈黙して静かに独り神を誉め称え家業に精を出して子らの教育に当たり誰とも分け隔てなく付き合い、与えられた彼の光の裡に在って神と自然と共に歩み、誰彼を悪く思う事は些かもなかった」*26

それから10年後の1610年、聖書の御翼に覆われて神との三回目の触れ合いがあった。その恩寵を記憶に留めるため、斯くも神々しく慰め多い神の心に背かぬため、ベーメは自身のために僅かの手立てを用い、聖書のみを頼りに本を書いた。

1062年のベーメの最初の書『立ち昇る曙光(のちにバルタザール・ヴァルター博士によりアウローラと命名)』がさる高名な貴族の目に留まったことから、この書を知る人が一人二人と出てきて広まり、遂にゲルリッツの牧師長リヒターの知るところとなった。

そして、前掲のベーメの書簡の訴えに見られるような、牧師長の誹謗中傷、ゲルリッツ市会による執筆禁止へと大問題に発展したのだった。

7年の謹慎後、再び神の恩寵が下り、ベーメは勇気を得て、神を依り頼み、神に凡てを委ねる心を固めた。神を畏れ自然を愛する人々の勧めもあって、執筆を再開した。

ベーメの著作は書簡集を含めて全31冊である。

ベーメは焦らずに、時間をかけて、悠々次々と本を書いた。彼はラテン語の術語を援用したが、それらは学識ある人、学者、医者、錬金術師、哲学者との会話や文通で聞き知ったものだった。「彼は遅筆ではあったとは言え、その筆跡は明瞭でよく読め一度書いた字を消し又直すことなく心の裡に神の霊の語るまま、人のものを書き写すことなく真直ぐ書いたことを記しておきたい。今日の多くの学者に欠けている点である! 真の博士、弁論家の依るべきは神の智と真理の精神と慰めであるにもかかわらず自らの智を依り頼む昨今のこざかしき輩は斯かる事に殆ど或いは全く耳を貸さず知ろうとも信じようともせぬ為、秘められたる智と隠されたる真理の真に奥深い認識と無縁なのも故無き事ではない」*27

ベーメの風采は上がらず、背は低く、猫背だった。目は灰色あるいは空色を帯びて光った。声は小さかったが、話しかたは優雅だった。立ち居振舞は礼儀正しく、言葉は慎み深く、行いは謙虚、困苦によく耐え、心から柔和だった。

1624年、高熱に襲われたベーメは大量の水を飲み、体が浮腫んだ。亡くなる前に息子のトビーアスを呼び、あの美しい音楽が聴こえるかと尋ねた。息子が否というと、もっとよく聴こえるように扉を開けよといった。朝の6時になるかならぬころ、妻と息子に別れを告げ、彼らを祝福し、今天国に向かうといい残すと、息子に後ろを向かせ深く一息を吐き、永遠の眠りに就いた。享年50歳。

ベーメの遺骸は丁寧に清められ、粗相なく布で包まれ、納棺された。キリスト教の伝統に従って葬儀が行われ、埋葬された。牧師長はなおも死人を辱めて止まなかった。ベーメの墓には死人を称える碑が立てられたが、日ならずして糞尿をかけられ、打ち壊された。註にある、ラウジッツ史第二部36頁によれば、壊されたのはわずか数時間後のことだったらしい。

評伝の著者ブランゲンベルクは「聖なる恩寵と恵みの光を知らぬ単なる錬金術、自然学となる時、甘く優しい内なるものへの志向は忘れられ益々外面的にぎすぎすと党派的になり規則を好むカトリック的、プロテスタント的となる」*28と書く。

さらにブランゲンブルクは、ベーメの著作が「聖霊自体に関しても神や霊とは無縁なアリストテレス流の小賢しい弁証法、冗舌な弁論術、小手先のみ器用な形而上学を以て研究し大胆にも粗探しを為し自己の利発さを競い合う」*29ような専門家の検証や論証の対象となることに警戒感を示している。

ベーメを誹謗中傷したのは、イルミナティ創立者アダム・ヴァイスハウプトのような人々であったに違いない。

アダム・ヴァイスハウプト(芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』(KKベストセラーズ、2013)の第4章はタイトルが「神秘主義に傾倒するすべての成員に告ぐ」となっていて、その内容は批評や批判といえるようなまともなものではない。

あたかも神秘主義の歴史的モニュメントに糞尿をかけ、打ち壊す所業であると感じさせるほど、ひどいものなのだ。教授だったとはとても思えない、悪口雑言の限りを尽くしている。ヴァイスハウプトの誹謗中傷の対象には、当然ながらベーメベーメの思想を取り入れたバラ十字が含まれている。

*1:スラヴ研究(Slavic Studies), 42: 41-59,北海道大学スラブ研究センター,1995,URI: http://hdl.handle.net/2115/5233

*2:竜王会東京青年部編,1980,p.48

*3:(クルティウス,大矢監修、小竹訳、1990,p.212)

*4:ブラヴァツキー,田中訳、1995,用語解説pp.56-57

*5:ベーメ,南原,1989,pp.276-278

*6:ベーメ,南原,1989,p.274

*7:ベーメ,南原,1989,p.298

*8:ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説p.17

*9:ブラヴァツキー,老松訳,2010,ベールの前でlvi

*10:イアンブリコス,水地訳,2011,p.108

*11:ブラヴァツキー,老松訳,2010,ベールの前でxxxi

*12:ブラヴァツキー,老松訳,2010,ベールの前でxxxii

*13:ベーメ,南原,1989,pp.296-300

*14:ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説pp.67-68

*15:綜合ヨガ機関誌「至上我の光」374・5号、7・8月合併号、竜王文庫、1985、ハートの神秘pp.37-38

*16:田中恵美子&ジェフ・クラーク訳『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』神智学協会ニッポン・ロッジ、1989、スタンザⅠp.251

*17:ベーメ,南原訳,1989,p.38

*18:田中恵美子&ジェフ・クラーク訳『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』神智学協会ニッポン・ロッジ、1989、スタンザⅤp.354

*19:ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説pp.47-48

*20:ベーメ,南原訳,1989,p.164

*21:『魔女とキリスト教講談社講談社学術文庫]、1998、p.221

*22:ベーメ,南原訳,1989,p.313

*23:ベーメ,南原訳,1989,p.314

*24:ベーメ,南原訳,1989,p.315

*25:ベーメ,南原訳,1989,p.316

*26:ベーメ,南原訳,1989,p.316

*27:ベーメ,南原訳,1989,p.323

*28:ベーメ,南原訳,1989,p.325

*29:ベーメ,南原訳,1989,p.325