マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

92 胸の中にもある光源

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出典:Pixabay

 

はじめに

当エッセーは、12年前の2007年1月 1日、拙基幹ブログ「マダムNの覚書」にアップした記事だった。「The Essays of Maki Naotsuka」にアップしようと思い再読したところ、この記事は当ブログに収録すべきだと考えた。自分では気づかなかったが、12年前には、胸の中から迸る光――ハートの光――に浴する機会は今より少なかったようだ。

「追記」にその旨を書くことで、霊的状態の変化を記録したエッセーになると思われたので、当ブログに収録したいと考えたのだった。

帰省した息子との会話

除夜の鐘を聴いたあとで、皆でお屠蘇を呑んだ。これまでは正午近くになって、おせちを並べたところでお屠蘇……だったのだが、娘がもう今日――元旦――が初出勤なので、お屠蘇の時間を早めたわけだった。

娘は出勤に備えて寝に行き、ほろ酔い加減になった夫と息子とわたしで、干し柿やおつまみを食べながら話していた。夫が寝に行った後もわたしと息子は話し続け、5時過ぎまでいろいろと話していた。

小動物の話で盛り上がった。生き物が好きなところも、長所も欠点も、わたしたちはそっくりだ。違うところといえば、息子が理系、わたしが文系なところくらいだろうか。

夫がよく団欒をひっくり返すことよりも、それに対するわたしのデリケートすぎる反応のほうが息子にはいたたまれないという。わたしはわたしで、父親の態度に傷つく息子がたまらないといった。

卵が先か鶏が先かみたいな話の展開となったのだが、要するに、わたしたちはこんなにも似ているというわけなのだ。それを再認識した会話となった。

ついでに、「どうしておまえは、わたしに完璧であることを求めるの? パパやお姉ちゃんには鷹揚なのに」と訊くと、「それは、どうしたって……」と漠然と、ひどく素直な顔で息子はいった。

「まだそんな年頃だってことかしら。長男で末っ子だものね」というと、

「ママが(と確かにいった。おふくろというようになっていたはずの息子が)、子供に甘い親であることは確かだと思う。だから、ちゃらんぽらんになったんだよ」というので、

「あら、結構ちゃんとやっているじゃない。やっぱり、わたしの育て方は間違ってなかったのよ」と、変な会話になった。

今回息子と話してみて、新しくわかったことがいろいろとあった。第一には、息子にはわたしが幸福でないのを見るのが耐えられないということだ。こんなところまで息子はわたしに似ている……。わたしが以前書いた記事(「The Essays of Maki Naotsuka」エッセー 6「児童文学作品を通して見る母親の幸不幸」を参照)を読んでいただければ、それがわかって貰えると思う。
息子とわたしの関係は、わたしと亡き母の関係にそっくりだ。歴史は繰り返すというが、その卑近な例をこんなかたちで見るとは意外だった。わたしは母が亡くなったとき、深く哀しみながらも、どこかでホッとしたものだった。母がこの世ではもう、それ以上幸福にはなれないような気がしていたからだ。

ただわたしは、母が生きていてくれたら、どんなにか孫たちを可愛がってくれただろうと思い、せつなくなる。母が生きていたとしても、婚家の人々はわたしをあれほどいびっただろうか。卑劣な人間には手厳しかった母だった。

ここまで書いたとき、予感がして通路に出たところ、ちょうど太陽が昇りかけたところだった。太陽の姿がはっきりと見えた。7時半頃だ。

ところで、『台風』という題のわたしの小説のフィナーレは、初日の出の描写となっている。

 央子[ひさこ]が家の前の道路に立つと、正面の建物のあいだから、空が陣痛でも起こしているように波打つ光を投げかけていて、薔薇色やオレンジ色や純白や黄金色が水色を背景に漣のようにひろがっている。

そのような色彩の乱舞がいよいよ澄んだ強い光に晒される頃になって、ようやく坊や――太陽――がそっと空に産み落とされた。

太陽というとダイナミックなイメージがあるが、日の出の頃の太陽はまた何と初々しい、かよわい感じがあるのだろう。

でも、人間の胸の中にも光源があるのだ。わたしは抽象的に物をいっているわけではない。そのダイナミックな情景を捉えることに成功したことがあった。その痕跡は、昭和55年に書いた手記「枕元からのレポート」( 34「枕許からのレポート」を参照)にある。手記は、母が危篤に陥った晩の記録である(一旦回復した母は、58年に亡くなった)。

その夜、母の悲惨さはピークに達しました。それまでわたしは木偶のぼうのようでしたが、母が奇妙な呻き声をあげて、自分の離れようとする魂に取りすがろうとするかのようにベッドに起き上がりかけた時、わたしは一変しました。

わたしはわたしではなくなってしまったのです。神秘的な感情がわたしの胸の中心部から、とめどもなく母に注がれるのです。力強く奥深く、しかも穏やかでデリケートな感情がとめどもなくそのあらわれを強めてゆきながら母に注がれるうつくしい情景は、視覚化さえできるようでした。

 物心ついたときからわたしには神秘主義的な傾向があったのだが、オーラがときどき見えるようになったのは、このときからだった。この胸の中にある光源のことを、わたしは長年忘れていたような気がする。

追記

2019年のこの時点では、胸の中の光源を忘れることはまずない。ハートの光に浴することは、ありふれたこととなっているためだ。特に創作中、読書中。12年前、「マダムNの覚書」に記事を書いた時点では、そうではなかったのだろう。

家庭的な変化もあった。当時と比較すれば、定年後に再就職した夫はそれまでの強い拘束感やストレスから解放され、時間ができたせいか、柔和に家庭的になった。

息子とは、このときのように洗いざらい話すことは久しくない気がするので、こんな話をしたのかと記事を再読しながら驚いた。

現在わたしは子供たちに、神智学を学んでほしい気が切にしている。これまでは自分だけでそうしてきたし、他人に強いることを何より懼れる自分があった。それが今、子供たちには神智学を学ぶ適性があると判断したため、考えが変わったのだ。

時代の風潮はずっと、神智学的考えかたの持主にとっては逆風となっていた。少し、それが変わり始めたような気がしているから、わたしの考えも変わったのかもしれない。しかし、自分の大切な思いを綺麗なまま、率直に伝えることは難しい。世間風に無視されてしまうことや、不機嫌にさせてしまうことを何より懼れている自分がいる。

母の不幸にはいくつかの原因があったように思う。そのうちの一つは、時代的なものである。同様に、わたしの不幸にもいくつかの原因があるが、そのうちの一つは明らかに時代的なものだ。