マダムNの神秘主義的エッセー

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93 詩人と呼んだ女友達の命日が近づいたこのときに書く、死者たちに関する断章

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出典:Pixabay

 

詩人と呼んだ女友達の死

わたしが詩人と呼んだ女友達は、2012 年 2 月 1 日の夜から 2 日正午までのどこかで事切れた。起床が遅いので、ご家族が部屋に行ったところ、もう亡くなっていたそうだ。優しい、穏やかな死に顔だったとのことだった。

彼女から最後に電話のあったのが 1 日だった。わたしたちは普通の会話をした。彼女があの世に赴いてから、まる 2 年になろうとしている。その間、彼女について何か感じたことは一度もない。

死後、初七日までにわが家を訪問した 4 人の死者たち

エッセー 6 「死者の行動について、ちょっとだけ」で、死後、初七日までにわが家を訪問した死者たちについて書いた。あの世に旅立つ前の死者ということに限定すれば、わたしはこれまでに 4 人の訪問を受けた。その中に、詩人と呼んだ女友達は含まれない。

4 人の訪問――と書いたのは、彼らの出現の仕方に訪問としか表現しようのない形式があったからだ。

4 人のうちの 2 人は絵に描いたような知識人で、そのうちの1 人は神智学徒だった。別れの挨拶をするために、わたしを訪れた。もう 1 人はキリスト者だったが、こっそりと――わたしにばれているとはおそらく気づかずに――わが家を訪問した。本棚を訪問したといったほうが正確かもしれない。わたしの読書傾向を探りに見えた様子だったからだ。

神智学徒の別れの挨拶は初七日の間、間歇的に繰り返され、その内容は高級感を伴った親愛の繊細な表現と、迫り来る本当の別れを意識した叱咤激励や、焦燥の念が混じったものだった。

本棚を訪問したキリスト者のことは、短編『昼下がりのカタルシス*1』のモデルにした。まああれはフィクションである。受けた恩恵は大きく、シビアな齟齬は小さかったのだが、あるテーマを追究するために、小説ではその割合を逆転させてみたのだった。

他の 1 人は教育に生涯を捧げた人で、この人が 4 人の中では死んで自由の身となったことに最も歓喜していた。彼の葬儀で、仏教の敬虔な信者だったと知った。

しかし、今時、仏教の信者というだけで、死後、あれほどすぐに死んだ状況に慣れ、わたしについては死者と意思疎通ができると疑わず、あの世に赴いた後は示唆的な夢に適切な現れかたをする――などといった霊的熟練者になれるものなのだろうか。

彼は葬儀場でわたしを見つけると、帰宅するわたしについてきた。日田市を訪問してみたかったのだろう。わたしが大分県日田市に住んでいたときに、彼は亡くなったのだった。シャガールの絵のようにわたしの上を漂ったりして、ついて来た。地面がトランポリンの役目でもするのか、唐突に浮き上がり、大木の梢あたりから楽しげな笑い声を響かせたりもした。姿が見えるわけではないが、動きはなぜかわかるのだ。

音声を使ったこの世のコミュニケーションとは異なり、死者とのコミュニケーションは、互いの思い(言葉)を一時的に共有し合うような形式で行われる。相手のことを知るためには互いの光(オーラ)を読む。たまたま読む機会が与えられた――といった形をとることが、わたしの場合はほとんどだ。

死んだばかりで、彼はまだこの世に対する関心も旺盛だった。何と、日田市の人口を訊いてきたのである!

彼の死後、年月が流れ、わたしが萬子媛をモデルにした初の歴史小説を書こうと思い立ったころ、彼の夢を見た。夢の舞台は講堂で、黒い垂れ幕のある入り口付近に、燕尾服姿の彼は連れの男性と立っていた。わたしを待っていてくれた様子で、とても深みのある瞳でわたしを見つめた。それなのに、すぐに連れの男性と来賓席へ行ってしまった。

萬子媛に関する取材を始めてすぐに壁にぶち当たったわたしは、幸運にも優秀な郷土史家から沢山の資料を提供していただくことができた。彼と郷土史家が生前知り合いだった可能性は充分にある。

あの夢は、そのことを知らせるものだったのかもしれない。そういえば、彼の死後しばらくして見た夢があった。わたしは夢の中で登山して難所を乗り越え、苦労して彼をあの世に訪ねた。

夢の中の彼は、萬子媛が創建された神社近くに引っ越してきていた。仏教徒だったのに、なぜ神社の近くに住んでいるのだろう……と目覚めてから不思議に思ったのだが、神仏習合の江戸初期から中期にかけて生きられた萬子媛が筋金入りの仏教徒でもあったと知った今、謎が解けた思いだ。

そのとき、彼は「もう少し身長を高くしたほうがいいかな? 君も知っているように、ここでは皆、自分が好きなように外観を変えることができるんだよ」といった。

この方々 3 人は、神智学徒、キリスト者仏教徒で、今も彼らはわたしの夢で印象的な姿を見せたり、意味ありげなことをしたりする。彼らがこの世に生きていたとき以上に活発な交流があるといったら変かもしれないが、仮にそれがわたしの妄想だったにせよ、その妄想は生き生きとしていて発展性があり、わたしの人生と深い関連性を持っているのだ。

夢は、この世における内的、外的な出来事ばかりか、あの世における出来事をも、時系列を無視してごっちゃに映し出す、性能のよくないテレビ画面のようなものなのだ。

近代神智学の母ブラヴァツキーの論文によれば、この世とあの世の空間は重なり合っており、わたしたちが意識していなくとも、わたしたちはこの世で生きているのと同時にあの世でもそれに適した媒体を用いて生きている。わたしたちは宇宙と同じように、七重構造になっているらしい。

わが家を訪れた残る 1 人は、夫の叔父さんだった。叔父さんも、葬儀場から夫について来たのだった。優しい、面白い人だったが、死んだことに納得していない様子で、死んだ実感がないのか、生前同様のもてなしを受けられないことに怒った様子だった。ぷいっと出て行って、それきりだった。

死者はアポイントをとって現れるわけではないので(死後の知識がないままに死んだ人の行動は殊に性急である)、こちらとしても礼を失してしまうのは致し方ない。

美意識高き唯物論者だった、詩人と呼んだ女友達

ところで、詩人と呼んだ女友達が亡くなってからのまる 2 年というもの、わたしたちの間には完全な静寂がある。距離――あるいは空白――という言葉に置き換えてもいいかもしれない。

わたしたちは別々の世界に生きていて、干渉し合わない。たぶん、わたしが想像していたよりずっと、彼女は生前、この世だけに生きていたのだろう。そして、今ではあの世だけに生きているのだと思われる。

彼女の哲学色の濃い、芸術性の香気を放つ詩からは信じがたいことではあるが、彼女は徹底した唯物論者だった可能性がある。だから、わたしは彼女に神秘主義的な話をする気になれなかったのだろう。

そのことと彼女の精神疾患がどう関係し合っていたのか、わたしにはわからない。

統合失調症は降って湧いた災難のように彼女を襲い制限をもたらしたのか、それとも彼女の制限を帯びた思想が病気を招く結果となってしまったのかは知りようがないが、その制限の中で彼女は驚くべき忍耐と輝きを見せたのだった。

苦行僧のような生き方は美しくも、痛ましかった。この世のくびきから逃れ、死後の彼女は、あの世で平安に過ごしているに違いないと想像している。一般の人々は概ねそのようであると思うのだ。

彼女の最期の日々をモデルとして、わたしは日記形式の短編小説『詩人の死*2』を書いた。

彼女が執筆した詩や断章を、わたしは保管している。彼女がこのことを、わたしが彼女の子供たちを拉致していると感じるのか、保護していると感じるのか、あるいは全く別種の感じ方をするのかは全くわからない。

作品ができるとすぐに送ってくれ、元原稿は棄ててしまっていた生前の彼女の癖を考えれば、一応はわたしを信頼して作品の管理をゆだねてくれたと解釈しているのだが……。

次の章で、詩人と呼んだ女友達――行織沢子――の詩を紹介したい。

行織沢子小詩集

わたしが詩人と呼んだ女友達は福岡大学文芸部の先輩で、行織沢子という筆名を一貫して用いていた。

今回紹介する行織沢子の詩 4 編は、詩部門機関誌「シャバ」及び掲載の主眼を小説においた「福大文学」に発表された作品である。発表誌、掲載年は次のようになっている。

あこがれ ・・・・・・・ シャバ13号、1975年
盲人 ・・・・・・・・・ シャバ13号、1975年
現身[うつそみ]・・・・ 福大文学34号、1976年
赦し ・・・・・・・・・ シャバ14号、1977年

 行織沢子小詩集・作品 1 「あこがれ」

 

  あこがれ

あこがれの
はるか下界に
吹きあれていた
見えざる者の身ぶりは
いつもの
思わせぶりの突風か
出発の
支度づかれのあと
ホームの伝言板に置かれてあった
あこがれよ

雪解け水に映る
夕陽とわたしのすき間にも
おまえがひそんだものだ
身をかがめ覗きこんだ時の
おまえのまばゆさは
化粧する少年の
うすい唇に塗られた夕陽のかたちだった
すこやかにくれてゆく落日を背に
飴色の鞄をたずさえた わたしと夕陽のあいだを
遠く隔てた白い道 あこがれ

かれをかたどって
半透明の柱を建てたものよ
丘の上を焔白くするまで
幾柱も
幾柱も
だが
巷のさざめきにうたれたままでいた
あこがれを
握りしめた群れの手垢は
柱に怒りの深みを流し込むだろう

    

行織沢子小詩集・作品 2 「盲人」

 

  盲人


暗い谷間に日の昇る
わたしを見つけて君は云う
はるかな幻影と没落を祈り
うたうはさびしく絶えた公会堂の人ごみ
天主堂で乱れちる
君に自我の責苦を覗かせよう
アイのギラギラする爪で
君の土色の肌を抱きながら
分裂とコンプレックスにあえぎながら
ことばがわたしたちのものであった時代に向けて
脳波を焦がし
わたしでしかないわたしのために
純粋理性と神話のトンネルをくぐりぬけ
祈りを誰にも相続させずにわたしは
発狂していく
ことばはさかのぼり
ああ
いまわたしを処刑するつもりか
長い坂
流転の谷
真理なんてあってはこまるから
動物たちのことばをおしえてください
クリスマスがわたしのはばたきです
映画を見ない風を見よう
汗のストーリーに耳垢をそえて
君の食卓にパイプで決闘
わたしの明日は
ペーパーナイフ・ライター

 

行織沢子小詩集・作品 3 「現身[うつそみ]」

 

  現身[うつそみ]


意しき いぜんに森羅万象を
察知する
そんなわたしにわたしは気づかない

ことば の発生するとおい彼方を
うごめく 具象[かたち]をもたないちきゅうがある
そこにあって
 わたしとはきずかぬわたしが
   いげんじつのことばでもって
意しきするよりはやく察知して
のちにおちてきたところのそれら
ことばの〈ふしぎなさわぎ〉と〈つぶやき〉

それらでもって
わたしである と想定しつづけ
にんしきしてしまったところの自己は
かがみのおもてにだけ 構想せよ
ひとり てんしなら
あなたは道化やくしゃ
であるというざっくばらんな堕落がある
人称のうちそとでありふれた
客体化をきざみながら
あなたもいつしか死者である
ことばのうまれるとおい彼方で蠢く
具象[かたち]をもたないちきゅうの空で
ひとり体現者であり死者である

もしも ひとりてんしなら
 あなたは光であったかもしれぬ
ならば
影のみがわたしにふさわしかろう
そんなさんねんかんがわたしにあった
とおい いちにちのように苦しげに
眼を閉じたままで

 

行織沢子小詩集・作品 4 「赦し」

 

  赦し


  ・・・・・・・・
君は悪い鏡のなかの
燃える菓子皿だ
君は不当に視つめられた
赤い歯ブラシだ
君は恋する人の
あの非凡な速力だ
影のように付き纏う
君の翳りのような言葉
それとは裏腹の
愛のたえ間ない手
君は信じる以前
の荒地の生命だ
君の忘却の深さから
夢みられた赤い本立
耳に囁かれる風
散歩路で出遇う焼けた空
テーブルが出迎える街
羊水の中の国境のない昨日
朝のメモワール
日の墓
岸辺のなぞり
いのりの

 

 

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*1:直塚万季『昼下がりのカタルシスKindle版、2版・2013、ASIN: B00EJ7A5LY

*2:直塚万季『詩人の死Kindle版、2013、ASIN: B00C9F6KZI