マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

95 H・P・ブラヴァツキーの病気と貧乏、また瞑想についての貴重な警告

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魅力的なフリー画像 - Pixabay

 

五十肩を自己治療して、チャクラを意識する

五十肩が再発した。

左肩で、無理な動かしかたをしたのか、再発の数日前からおかしかった。用心すればよかったのだが、忙しさの中で、注意を怠った。その結果、左肩が激しく痛み出し、腕がほんの少ししか上がらなくなった。

家事に手間取る。皿を食器棚の上の棚に上げるとき、洗濯物を干すときは踏み台が必要。着衣に手間取る。就寝時は、左肩が落ちると痛いので、クッションがいる。
炎症が悪化するのも時間の問題と思われた。今回のはひどくなりそうだとの予感がした。

わたしは一旦五十肩を発症して成り行きに任せれば、下手をすれば、2年ぐらい整形外科に通う羽目になるのだ。重症といわれ、手術が検討されたこともあった。

このことと、骨に異常が表れやすい副甲状腺機能亢進症の疑いで内科で経過観察していただいていることとが関係あるのかどうかは不明。

五十肩の最初の発症は2006年だった。後に右肩もなったが、左肩から始まったようだ。*1

別件で年に一度、整形外科で経過観察していただいており、それが来月の予定なのだが、受診日まで我慢できそうにないと思い、「どうしよう?」と夫に相談した。「うーん、受診したら?」と夫。「そうだ、あれ、やってみようかな」とわたし。「あれって?」と夫。「あれったら、あれよ」とわたし。夫にはわたしの試みがわかっている。

拙基幹ブログ「マダムNの覚書」で何度か書いたように、想像の白い光を患部に放射するのだ。*2

昔確認したように *3、ハートが清浄な光の源泉であることは確かである。

光源と書くべきかもしれないが、光が水のように迸るさま、溢れて充満するさまには、源泉という表現のほうが合う。その光は単純な肉体的不具合にとてもよく効く。

放射してしばらくは、あまり効き目が感じられなかった。徐々に回復してきて、数時間後には夫に左腕を上げてみせることができた。調子に乗ってブンブン振り回したら、また少しおかしくなったので、再度放射。翌日には普通に戻っていた。

いい加減に、この辺で、回復した経緯をヨガの本で確認しておくべきだと思った。

ヘレナ・レーリッヒ『ハート』、三浦関造『マニ光明ヨガ』の教え

ヘレナ・レーリッヒの著作は示唆的で、精神的に昂揚してくるような美しい表現で著されているが、霊的治療に関しては抽象的だ。

治療者は二つのグループに分かれる。一つは手を当てたり直接見たりして治療する。もう一つは、ハートの流れを遠方に送る。もちろん、未来の建設のためには、二番目の方法が優先する。(略)ハートの流れによる治療者は、肉体と同様精妙体にも作用する。人生の現象的な面に注意を払うべきだ。それは、思ったよりもずっと本質的である。*4

他に、具体的に技法を解説した本はなかっただろうか……長尾雅人編『中公バックス 世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』(中央公論社、1979)所収、パタンジャリ「ヨーガ根本聖典(ヨーガ・スートラ)」を読んだ。

うーん。そうだ、三浦先生の本だと思い、本棚を漁る(漁らなくてはならないほど不勉強だった。反省……)。

序に「本書『大直感力』はヨガの聖典をもととし、且つヨガの代表的文献を実証とし、初歩の呼吸から説いて、ヨガ(統一)瞑想の最高級までを説くものであります」と書かれているように、三浦関造『大直感力』(竜王文庫、1959・初版、1979・11版)は、ヨガの教則本であり、ヨガの奥義書である。

これほど本格的なヨガの本は、日本には他にない。世界的に見ても、貴重だろう 。

だからこそ、わたしは三浦先生のような師匠にこの世で出会わない限り、この中の技法を試みる勇気はないが、竜王会には、教えを受け継ぎ、綜合ヨガのヨギ――実践者――の育成を行っている会員がおられる。

わたしがハートの光を患部に放射するやりかたは、痛みに耐えられないと思う中でいつしか自分で自然に行うようになったものなので、このやりかたの裏付けとなる文章を三浦先生の著作の中で見つけられたら、これが科学的な原理に則ったものであることがわかり、安心できるような気がする。そして、それをブログに書くくらいのことは、三浦先生に許していただけるのではないだろうか。

次に記すことは、あくまでわたしのやりかたにすぎない。

前述したように、ハートが清浄な光の源泉であることは確かだ。胸の奥から白い光が部屋いっぱいに溢れ出て、その光に浴していることは、わたしにはよくあることだから。

アニー ベサント&C.W.リードビーター(田中恵美子訳)『思いは生きている(原題: Thought - Forms)』(神智学協会 ニッポンロッジ、1983)に書かれているように、「思いはものである」から、想像の光はオーラに影響を与えるのである。

思いはものであるということを我々は度々聞いた。これが真実であると信じている人も多い。しかし、思いは果たしてどんな種類のものであるか、はっきり知っている人は先ずない。この本の目的は、このことを知らせることである。*5

あらゆる想念形体が出来る場合には、三つの一般的原則があるという。 

1、思いの特性は、色を決定する。

2、思いの性質は、形を決定する。

3、思いの確実さは、輪郭の明瞭さを決定する。*6

そして、オーラの状態がなぜ肉体に影響を与えうるかというと、「倫理、科学、哲学に関する質疑応答」という副題を持つ、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995・改版)の中で述べられたブラヴァツキーの次の言葉に尽きるのではないだろか。

神智学の教えは霊と物質の同一性を主張し、霊は潜在的な物質であり、物質は結晶した霊に過ぎないと言います。*7

ハートの一点から光を患部に送ろうと決意するとき、わたしの意識は頭頂にある。そこがなぜか涼しくなるのだ。患部がどこかを探るとき、意識は額に移っている。ここが患部だと思ったとき、意識はさらに喉に移っている。そして、思いを定めるとき、意識は自然に胸に移動して、そこから光を患部に向けて放つ。

果たして、ちゃんと読まなければと思いつつ、あまり読んでいなかった三浦関造『マニ光明ヨガ』(竜王文庫、1959・初版、1981・5版)を紐解くと、その中の一文が目に留まった。

もしかしたら、自分では忘れていても、以前に先生の本で読んだその記述がわたしの記憶にあり、痛みの中でその記憶が甦って実行したのかもしれない。あるいは、田中先生がご存命だったころに大会で学んだのかもしれない。あるいは、前世の自分が行っていたことなのかもしれない。

いずれにせよ、『マニ光明ヨガ』の次の一文がわたしの方法に合致するように思われるのだ。

頭の中心マニから光明エネルギーを発して、眉間から甲状腺を通り、心臓の中心に送り、今度は反対にそれを頭の中心に返へす。これを数度くりかへして最後に胸腺から全身に発散させることは、イエスが「全身光に満さる」といわれたことで、これで以て体内の欠点を正す。*8

マニとは何か、前掲書『マニ光明ヨガ』には次のように書かれている。 部分的に引用する。

解剖学者は、頭脳[づのう]のまん中に松果腺というものがあることを知つているが、松果腺がどういう働きをするのか、それは古代解剖学で説明してあるだけ。現代日本の解剖学者にはわかつていない。松果腺は、梵[ぼん]の座とも、一千の花びらを開く黄金の蓮の花とも、昔からヨガでいわれて来た。松果腺の中に、脳砂という小さな粒[つぶ]があつて、燐とオスミアムで出来ている。これをマニというのである。(略)マニは体内の神殿で、人体内のシャンバラである。(略)マニは宇宙の奥の院で、永遠無限なる実在がみづからを縮小して、この小さなマニの中に宿り給い、マニの光と共に大救世主として発現なさるのである。だからマニの中に、人類最高の聖典が秘せられている。マニ光がその大経典を意識の中に展開する。モハメッドのコウラム、イエス智慧と力、仏陀の大智慧はみんなマニから展開したのである。*9

中心マニとは、チャクラでいえばササスハラと説明されている。頭の中心と書かれている。

わたしは頭頂付近に微妙な点があることを感じるが、そこがむず痒かったり、涼しかったり、振り絞られるような気のすることがある。それがササスハラなのかどうかはわからない。

チャクラ Chakra 

サンスクリット語で輪を意味し,人間のエーテル複体の表面にある一連の車輪状の渦を指す。或いは脊柱に相応する管腔内に位置する。エネルギーの流入及び流出の焦点(中心)であり,力を貯える。主な中心が七つあり,肉体の内分泌腺に相応している。*10

眉間に位置するのはアジナー。喉に位置するのはカンサ(またはヴィシュダ)。心臓に位置するのはアナハタ。
他に、マニピュラ、スワジスターナ、ムラダーナといった全部で七つの主なチャクラがある。

わたしが自分の患部に送っていた光を全身に発散させれば、体内の欠点を正すことができると三浦先生はお書きになっている。

若いころは極めて健康だったわたしが病人になったきっかけは、心臓の不具合だった。ならば、その心臓にこそ、真っ先にハートの光を送るべきかもしれない。

しかしながら、わたしには心臓の不具合の原因がはっきりわかっており、自分ではその原因をどうすることもできないので、心臓に関しては目下医療に頼っている。

肉体器官である心臓は、始終ハートの清浄な光に浴しているはずなのに、なぜ病むのだろう。考えてみれば、不思議なことだ。逆にいえば、わたしの心臓は故障しているのに、ハートはそれを意に介さないようであるのはまことに不思議なことである。

ブラヴァツキーの病気と貧乏

心臓といえば、ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(神智学協会 ニッポンロッジ、1981)で、ブラヴァツキーが自分の心臓と肝臓の病気について書いた悲痛な文章を思い出す。

「私には二つの致命的な病気があります。心臓と肝臓の病気です」と彼女はシネットに書きました。「心臓はいつ破裂するかもしれませんし、肝臓は二、三日で私をあの世へ送ることでしょう。これはみな、この五年間、絶え間ない苦闘と心配と抑圧された情緒のためです。グラッドストーンのような偉い人だったら、詐欺師と言われても笑いとばすでしょうが、私にはどうしてもそういうことはできません」 *11

ブラヴァツキーが今なお誹謗中傷に晒されていることを思えば、何ともいえない気持ちにさせられる言葉だが、彼女が自分の貧乏について率直に語った言葉も、『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』には出てくる。

ブラヴァツキーの妹ヴェラは姉と同じ著述家だった。ヴェラは議論好きで、あるとき次のようにいった。

「ねえ、お姉さんがよく幻姿を見せているのを私は見て来ましたが、貴女が本当に物質的なものがつくれるとは信じていませんよ」

「いいですよ、貴女がそんな愚にもつかないことを信じようと信じまいと、私の知ったことではありません」

「愚にもつかないことではありません! もし、貴女に金や宝石をつくれるなら、私と貴女を金持ちにすることが出来ます。例えば、私達は安いアパートを探すことはないでしょう。私達は一番いいものだけを持つべきです」

 ヘレナは笑いました。「それは魔法、黒魔術でしょう。それは害があるだけですよ」

「充分なお金があって、何の害になるの?」

 ヘレナは煙草の籠のある所へ行き、きゃしゃな手で煙草を巻きはじめました。

「ヴェラ、この人生で貧乏なのは、貴女と私のカルマに過ぎませんよ。もし私達が金持になる為に、神聖な力を使ったなら、今生だけでなく、おそらく未来の何世紀も二人とも破滅するでしょう」

「では、もしそういうものが害となるなら、貴女が他の人達に与えたといわれている贈り物はどうなの?」

「ねえ、わからないの? 僅かなつまらぬものをつくっても、誰も金持ちにはしませんよ。でも、馬鹿な物質主義者に人間の中にひそむ神の意志の可能性を示すことは出来るでしょう」 *12

ここでのヴェラとのやりとりから、ブラヴァツキーが自分のカルマをどう考え、どう対処したか、また、オカルティックな実験をどのような意図で行ったかがわかる。

ブラヴァツキーを指導したアデプト(イニシエーションの段階に達し、秘教哲学という科学に精通されたかた)のお一人であったK・H大師は、ブラヴァツキーについてシネットに次のようにお書きになった。

わたしは君に誓うが、彼女は決して詐欺師ではなかったし、わざと嘘を言ったことはあったためしがない。また彼女は崇高な誓いをたてて誓ったので、度々困ったことはあるが、沢山のことを秘密にしてかくさねばならなかったのである。彼女は現象を起こすことが出来るし、実際に行った。それは彼女の生れつきの力に、長い年月の規則正しい訓練が加わったもので、彼女の現象は高い秘伝をうけた弟子達の或る者よりも、時にはすばらしく、ずっと完全である。*13

並外れた人物であったブラヴァツキーが、如何に雄々しく、また人間的に多くの困難に耐えたかが『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』を読むと、よくわかる。

ブラヴァツキーの教え

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995)によると、1888年、神智学協会の秘教部門が創立された。

ブラヴァツキーの死後、彼女が秘密厳守として部門に授けた教えを、ある弟子達が誓いを破って公開した。近年、「秘教部門の教え」は、同題の単行本として出版され、『ブラヴァツキー文集』の第12巻にも出ており、前掲書『実践的オカルティズム』の第三部「『秘教部門の教え』より」は、そのわずかな一部だそうだ。

秘教部門は前掲書によると、神智学協会を創立当時の線に戻すために、「勇敢な魂の持ち主達の選ばれたグループ、本当の霊的進歩と魂の智慧を渇望している信念の堅いわずかな男女」の間で「同胞愛的結合を増進することにより、神智学協会全体の未来の成長を正しい方向に向けるよう助ける」目的で、創立された。*14

この秘教部門の段階は、実践的オカルティズム即ちラージャ・ヨーガを学ぶための見習いの段階とある。ラージャ・ヨーガとは、「瞑想によって悟りの境地に入る修行法。パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』はこの根本聖典である。(略)」*15

「いくつかの例外的な場合以外は、学徒は物質化現象の起こし方を教えられることはなく、いかなる魔術的な能力を発達させることも許されない」。「秘教部門の本当の部門長はある大師である。H・P・ブラヴァツキーはこの部門のためのこの方の代弁者である」。*16

このような記述からすると、『実践的オカルティズム』で紹介された第三部「『秘教部門の教え』より」で述べられていることは、ある大師のお言葉と考えてよい。

必読書として、シークレット・ドクトリン、バガヴァッド・ギーター、道の光、パタンジャリのヨーガ哲学、三種類の雑誌が挙げられている。

21条からなる「秘教部門の規則」の中に、飲食に関する注意がある。

「あらゆる種類のワイン、酒、アルコール飲料、麻酔性または麻酔性の薬を飲むことは厳重に禁止」、それが守られなければ、全てが台無しになるという。このようなものはすべて、「脳と特に第三の目即ち松果腺に直接有害な作用をする」からだ。煙草は「あまり多量に吸わなければ禁じられていない」(乱用は当然ながら有害)とある。*17

食事については「肉食は禁じられてはいないが、野菜、魚で健康を維持できるなら、そのような食事を勧める」とある。その理由は「肉食は情欲性質を強め、所有欲を強める」ため、「低級性質との戦い」が一層難しくなるからである。*18

また、病気の治癒に関することで、次のように述べられている箇所がある(下線引用者)。

自分の仕事上の用務や社会的な関係の管理、人生の出来事についての命令や指導を願ってはならないし、自分のためであろうと、他人の場合であろうと、病気の治癒についての指示を願ってはならない。与えられた教えについての質問だけが受け入れられ、答えられる。 *19

心身を清浄に保つための心得が述べられているが、下線部分からすると、病気に関することはプライベートな問題として触れられていなかったようだ。

前出の『神智学の鍵』では、菜食主義について語られた箇所で、次のようなことが述べられている。

 もう一つ聞かせて下さい。秘教部門の会員達が病気になった時は、食べ物はどうしますか?

 もちろん、いちばんよい医者の忠告に従います。私達はけっしてこの点に厳格なルールを押しつけはしないことがまだお分かりになりませんか? このような問題については、私達は理性的な見方をしており、狂信的ではないことをしっかりと覚えておいて下さい。もし病気や長い習慣でどうしても肉がなければ生きられないというなら、どうして食べさせないなどということがありましょう? 肉食は罪ではありません。少し進歩を遅らせるだけです。なぜなら、結局、純粋に肉体的な作用や機能よりも、人間が考えたり感じたりすること、その人が心にいだいている望み、また心の中に根づき成長させているもののほうがずっと重要ですから。 *20

前掲書『実践的オカルティズム』の中で、ブラヴァツキーは無知な瞑想に対して、次のように警告している。

本当の瞑想についての表面的で歪められた知識しかもたずに「ヨーガのための座禅を組む」ことは、ほとんど例外なく悲惨な結果を生じる。十中八、九学徒は霊媒的な能力を開発させるか、時間を無駄にして瞑想とその理論が嫌いになるかどちらかである。 *21

近年流行しているらしい前世療法は催眠療法の一種のようだが、同書の中で、催眠術は黒魔術だとはっきり述べられている。

実際は、生体解剖者という温厚な紳士達や医学博士号をもつ催眠術師達も同じ黒魔術を行っているのだが、ヴードゥー教徒やドュグパ達は意識的黒魔術師であるのに対して、フランスの神経病学者のシャルコー氏やリシュ氏のような方々は無意識的な魔法使いである。どちらも、よかれあしかれ黒魔術での努力の実りを取り入れなければならないが、西洋の医師達が黒魔術から得られる利益や楽しみを受けず、罰や汚名だけを被るのは気の毒なことだ。このような学派で実行されている催眠術や生体解剖らはヴードゥー教やドュグパがもっているような知識はないが、全くの黒魔術なのである。*22

拙関連記事に、エッセー 77「前世療法は、ブラヴァツキーが危険性を警告した降霊術にすぎない」がある。

追記: 神智学協会ニッポン・ロッジの動画「チャクラ」

神智学協会ニッポン・ロッジ会報誌「テオソフィア」vol.39~41で、ジェフ・クラーク編「チャクラ」①~③が連載されました。秘教部門で教えられたものだけあって、非常に深遠な内容で、読みながら圧倒されました。

並行して、関東地区の勉強会では「チャクラ」についてのディスカッションが行われたようです。動画が一般公開されていますので、リンクを張っておきます。

the Theosophical Society in Japan神智学協会

チャクラ①
https://youtu.be/SZnS5fQX54I
チャクラ②
https://youtu.be/WzLEnrHEIzY
チャクラ③

https://youtu.be/QGZ5r7D2prQ

チャクラ④
https://youtu.be/h9XNUiWPHFo

*1:「整形外科受診 - 左の肩関節周囲炎(五十肩)」『マダムNの覚書』。2006年6月20日(金)、URL: http://elder.tea-nifty.com/blog/2006/06/post_8164.html

*2:「腰痛のその後、最強のオーラビーム?」『マダムNの覚書』。2017年12月18日(月)、URL: http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/12/post-1.html

*3:エッセー 34「枕許からのレポート」参照

*4:アグニ・ヨガ協会編(田中恵美子訳)『ハート』平成17年9月1日コピー本復刻、竜王文庫、2005、p.51

*5:ベサント&リードビーター,田中訳,1983,p.15

*6:ベサント&リードビーター,田中訳,1983,p.33

*7:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.42

*8:三浦,1981,p.34

*9:三浦,1981,pp.14-15

*10:竜王会東京青年部編『総合ヨガ用語解説集』竜王文庫、1980、p.40

*11:ブラヴァツキー,田中訳,1981,pp.293-294

*12:ブラヴァツキー,田中訳,1981,pp.335-336

*13:ブラヴァツキー,田中訳,1981,p.322

*14:ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.148

*15:ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,「用語解説」p.27

*16:ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,pp.145-146

*17:ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.156

*18:ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.157

*19:ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.156

*20:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.253

*21:ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.192

*22:ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.192