マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

113 ワイス博士の前世療法の問題点について、神秘主義的観点から考察する

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zanna-76によるPixabayからの画像

77 前世療法は、ブラヴァツキー夫人が危険性を警告した降霊術にすぎない
91 C・G・ユングの恣意的な方法論と伝統的な神秘主義
113 ワイス博士の前世療法の問題点について、神秘主義的観点から考察する

 

神秘主義心霊主義ではない

エッセー 77「前世療法は、ブラヴァツキー夫人が危険性を警告した降霊術にすぎない」をいずれ動画化したいと思っているが、加筆の必要があった。

というのも、前掲エッセーで米国の精神科医ブライアン・L・ワイスが前世療法の提唱者と書いたわたしは、ネットで情報蒐集したことからこの療法の危険性をほぼ確信していたのだが、肝心のワイス博士の著作を読んでいなかったからである。

行きつけの図書館で検索すると、残念ながらワイス博士の著作は、ブライアン・L・ワイス(山川紘矢・亜希子訳)『前世療法――米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘』(PHP研究所、1991)一冊しかヒットしなかった。

幸いなことに、1988年にサイモン・アンド・シャスター社から上梓されたこの著作は全米的なベストセラーとなったもので、代表的著作といってよい作品のようだ。

Amazonの商品説明から引用させていただく。

    商品の説明
    内容(「BOOK」データベースより)

    「私は18歳です…長いドレスを着ています…時代は紀元前1863年です…」催眠治療中の女性患者が、前世の記憶を鮮やかに語りはじめた。彼女を通して伝えられた精霊達のメッセージによって、精神科医は現代科学では説明できない輪廻転生の世界を徐々に理解していく。―神秘的とも言える治癒の記録を綴ったこの手記は、人間観・人生観の革命であり、生きる真の意味を教えてくれる。

2020年11月19日時点で、135個の評価、星5つ中の4.4である。レビューした人々の中には同業者もおられるようだ。神秘主義心霊主義と捉えている人が多い。驚いたことに、著作の内容からすると、ワイス博士もどうやらそのようである。

『前世療法――米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘』の「著者について」*1で、ワイス博士の略歴が紹介されている。

   1966年コロンビア大学を優等で卒業後、1970年エール大学医学部で医学博士号をとる。……(略)……現在、フロリダ州のマイアミビーチにあるシナイ山医療センターの精神科部長兼マイアミ大学医学部精神科の教授をつとめている。
   ワイス教授の専門分野は、うつ病と不安症、不眠症、薬物濫用による精神障害アルツハイマー症、脳化学等の研究及び治療である。

半分読んだところなので、全部読めば違った感想になるかもしれないが、おそらく自身の結論が覆ることはないだろう。わたしがワイス博士の前世療法には問題があると考えたことは正しかった――と、現時点では確信している。

そして、ワイス博士の著作を信奉して治療するピプノセラピストとその療法を受ける患者がどれくらいの数に上るのだろうと思い、すっかり怖くなってしまった。

ワイス博士の略歴を見ると、優秀な頭脳の持ち主と考えていいのだろう。

一方では、ワイス博士は神秘主義に関しては素人であり、主に心霊主義の著作を参考にしながら、時々神秘主義の著作のあちこちから恣意的に拾ってきて前世療法の理論構築に使っている。つまり、神秘主義的観点から見れば、子供の火遊びに等しいことをワイス博士は行っている。

そもそも、学者なのに、なぜワイス博士は、引用したり参考にしたりした箇所の情報をきちんと報告しないのだろう? 大衆向きに執筆したからだろうか? それならば、学者としての自身の身分を公言する必要もなかったのではないか。

『前世療法――米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘』を読んで戦慄したのは、前世療法の被験者キャサリンのゆっくりとしたささやくような声が、突然、大きなしゃがれた確信に満ちた声になった箇所*2である。

ワイス博士は、キャサリンがその声の持ち主を「マスター達、すなわち、現在は肉体に宿っていない非常に進化した精霊達」*3であると突きとめたと記す。

その少し前に起きた出来事として、キャサリンは全レース当たり馬券を買った(儲けのために賭け事をしたのではなく、父親に自分に起こっていることは本当だと証明するためだった)。

いずれにしても神秘主義的観点から見れば、ワイス博士は前世療法を施すことで、キャサリンを絵に描いたような霊媒にしてしまった。そのような霊媒に「マスター達」が出現するはずもない。出現したのは、マスターを騙るカーマ・ローカの幽霊に違いない。

キャサリンの悩みは消えたのかもしれない。だが、その悩みと一緒に彼女の繊細な感受性や明晰な知性もどの程度かは失われたのではないだろうか。いや、霊媒性質を強められたことで、いずれ深刻な事態が彼女を襲わないとは限らない。

環境や人間関係に不協和音を生じたために神経症や強迫観念が起きたと思われるキャサリンは、前世療法を受けたために、小難逃れて大難に陥ったと思えてならない。

また、次の箇所を読んで驚いた。わたしが自然に行うようになり、また三浦関造先生の著作で確認したヨガの技法に似たことが書かれていたからだ(エッセー 95「H・P・ブラヴァツキーの病気と貧乏、また瞑想についての貴重な警告」を参照されたい)。ワイス博士は、誰の何という著作を参考にしたのだろうか?

続いて、頭のてっぺんに、白くてまばゆい光をイメージするようにと指示した。それから、私がその光をゆっくりと体全体に拡げさせてゆくと、彼女の体全体、すべての筋肉、すべての神経、すべての器官が完全にリラックスし、彼女はますます深い安らぎと平和へと導かれていった。*4

わたしにいわせれば、自分でできるはずのこうした技法を教えるにとどめ、前世療法は実行するべきではなかった。子供の頃の父親によるセクハラと現在の恋愛問題がキャサリンを窮地に陥れていることを考えれば、改善できる余地は前世療法以外にありそうな気がする。

何より、ワイス博士には指南役にはふさわしくないところがあるように思われる。

催眠術自体が神秘主義では黒魔術であることに加え、ワイス博士は自分の好奇心を優先させて、施術を進めるときがあるからだ。

先週のセッションの興奮が続いていて、私は彼女をまた、中間生へ行かせたくてたまらなかった。すでに、彼女が召使いだった過去生のことに、九十分も費やしていた。私はヘッドカバーのかけ方、バターの作り方、樽のいぶし方などを微に入り細に入り聞かされていた。私はもっと霊的な話を聞きたかった。待ち切れなくて、私は、彼女を死の場面まで進ませた。*5

これが子供同士の火遊びでなくて、何だろう?

わたしは、エッセー77 で次のように書いた。

ある一連の動画では、はじめはごく普通に見えた女性がセラピストの退行催眠によって次第に異常体質を強めていき(霊性を弱められ)、霊媒になっていく過程をつぶさに確認できた。
退行催眠中に「あの世にいるマスター」が側に出現するようになり、彼女を通じて前世の細かな様子を語り、忠告などを行う。

この動画で視聴した日本での前世療法は書籍化もされていたので、それも借りた。

それにしても、前世療法の現場で決まって(?)出現する「マスター」と呼ばれる存在が気持ち悪すぎる。

マダムNの覚書、2020年11月19日 (木) 19:27

 

前世療法やオーラ診断が連想させる、眠れる予言者エドガー・ケーシー

ブライアン・L・ワイス(山川紘矢・亜希子訳)『前世療法――米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘』(PHP研究所、1991)を図書館から借りて読んでいたが、汚されていて、頁を捲るのにも支障を来したので、文庫版を購入した。

ブライアン・L・ワイス(山川紘矢・亜希子訳)『前世療法――米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘』(PHP文庫 - PHP研究所、1996)。文庫版を読了した感想は、前章「 神秘主義心霊主義ではない」で書いたことと変わらない。

被験者キャサリンは検査技師。彼女の父親は船乗りで家を留守にしがちであり、長年アルコール中毒患者だった。母親は鬱状態になり、精神科医にかかったりしたが、大事に至らずに済んだ。

 父親のアルコールの消費量が増えるにしたがって、母親とのいさかいが激しくなり、母親は次第に暗く、黙りがちになった。しかし、キャサリンは、これも一つの家庭のあり方だとして、受け入れていた。
 家の外では、ずっとうまくいっていた。高校に入学すると、彼女はデイトをし、友達にも溶け込み、ほとんどの友達とはその後もずっとつき合っていた。しかし、彼女はなかなか人を信頼できない自分に気かついた。特に自分の友達の小さなグループ以外の人は、どうも苦手だった。*6

こうしたことを、キャサリンはワイス博士のカウンセリングによって、自力で思い出している。

高校卒業後、2年間専門学校に通い、検査技師の職を得て自活するようになると、「自分の家のごたごたから逃げ出せたのがうれしかった」*7

ところが彼女が病院で働いていたときに知り合った小児科医スチュアートと知り合ってから、恐怖症や不安の発作が頻繁に起こるようになる。

その原因を探るために、ワイス博士はキャサリンに前世療法を行うに至る。前世療法を行わなければならないような症例だろうかと素人のわたしは疑問に思う。

なぜなら、キャサリンの精神的な異変はスチュアートとの出会いのときからで、彼女はそのスチュアートとは不倫関係に陥っていたからである。彼女の混乱の原因がこのこと以外にあるだろうか。

相思相愛で、家族にも友人達にも社会的にも祝福された、美しくあるべきはずの恋愛が不倫であったため、彼女には良心の呵責に耐えられないとか自己嫌悪といった精神的葛藤が起きただろうし、スチュアートに対する不信感も当然起きただろう。

ただ、彼女には父親から幼児期に性的悪戯を受けたトラウマがあった。

キャサリン神経症の原因として考えられるのは、第一にキャサリンが自ら惹き起こした不倫、第二に父親という他者から惹き起こされた性的トラウマなのだが、ワイス博士の考えは、この二つの区別を慎重につけることをしないまま、表面上現れた障害をとにかく除去できればいいというものに思える。

そもそも父親からの性的悪戯という忌まわしい出来事は、「癒える」性質のものなのだろうか。これは彼女個人の問題というより、人類の問題、社会の問題ともいえるものだ。

しかし、この問題は表面上は癒えていた。それが問題化したのは、やはり、スチュアートとの不倫が始まってからのことだった。

それで病気になったのであれば、不倫は病原菌か? 

不倫問題は、妻子の視点では、キャサリンはスチュアートと同罪の加害者である。

前世に遡って、それがカルマの結果であることがわかったというのなら、別の展開が期待できる気がするが、このキャサリンのケースを見る限りでは、現世で彼女に被害をもたらした相手は前世でもそのような人物なのである。

同じ事の繰り返しで、カルマは何の働きもしていないかのようだ。

堂々巡りのような前世から現世の出来事がわかったからといって、なぜ、神経症が癒えたのか、わたしにはわからない。わたしであれば、カルマは何の働きもしてくれないことがわかり、むしろ絶望感が深まるだろう。

そもそも、催眠下での彼女の語りが、本当に前世の体験談なのかどうかは不明のままである。

キャサリンが前世の体験らしきものを語り、やがてマスターらしき人物が現れると、彼女の口を通して教訓を垂れ、それをワイス博士が謹聴するその光景は、日本では馴染み深いイタコさんと依頼者そのものだ。

そして、神智学的観点から読めば、どう読んでもキャサリンは前世療法という催眠療法を受けて霊媒になってしまっている。

複数現れるマスター達は、カーマ・ローカ(ハデス、アメンティ、黄泉などと呼ばれる、主観的な半物質的世界)の幽霊だろう。

救いは、彼女自身が、マスターなどの媒体となることを嫌がって受診を終わりにしたがり、ワイス博士が――残念に思いながらも――それに同意したことである。彼女自身の健全な警戒心が働いたことで、完全に霊媒になってしまうことから免れられたのかもしれない。

前世ごっこ――霊媒ごっこ――をするより、もっと安全な、一般的な工夫で、彼女程度の症状であれば、緩和されたのではないかという気がしてしまう。

前世療法、そして巷で占いとして行われているオーラ診断といったものは、眠れる予言者といわれたエドガー・ケーシー(Edgar Cayce, 1877 - 1945)を連想させる。

エドガー・ケーシーが近代神智学の影響を受けているといわれれば、そうかもしれないと思うが、わたしはケーシーについて、かなり疑問に思っている。

ケーシーのリーディングは格調高く聴こえるが、所詮は霊媒の戯言ではなかったか。

それというのも、オーラがケーシーのリーディングでいわれるようなものにすぎないとはわたしにはとても思えないからである。

オーラに関するわたしの考察については、エッセー 29「わたしが観察したオーラと想念形体、そしてプライバシーに関わると考える他人のオーラ」及び 65「神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ①『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』を参照していただきたいが、後者にはオーラの考察としてまとまった部分があるので、以下に引用しておく。

オーラが見え始めたのは、大学時代だった。

わたしがいうオーラとは、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学ニッポン・ロッジ、竜王文庫、1995・改版)の「用語解説」にある、「人間、動物、その他の体から発散される精妙で目に見えないエッセンスまたは流体」*8を意味する。

人間が不死の部分と死すべき部分からできているということを知らなければ、オーラが何であるのかを理解することはできない。このことの詳細――人間が七つの構成要素からなるということを、わたしはH・P・ブラヴァツキーの神智学の論文を通して教わった。

すなわち、人間が不死の三つ組みと死すべき四つ組からなることを。七つの構成要素のそれぞれについて学ぶことはわたしには歓びだったが、一般の方々はどうであろうか。

わたしにとって、オーラの美しさに匹敵するものはこの世になく、オーラの美しさをいくらかでも連想させるものといえばオーロラくらいなので、ときどきしかオーラが見えないのはつまらないことに思っていた。

 ※オーラに関する補足がある。エッセー 117西方浄土という表現に関する私的発見。オーラに関する補足」を参照されたい。: エッセー 65「神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ①『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』」でわたしは、オーラの光を連想させるものはこの世ではオーロラしかないと書いたが、純白の雲を浸して柔らかに迸る神々しい光もまたオーラを連想させるものであることを補足しておかねばならない。

最近までずっとそう思っていたので、神智学徒だった高齢の女性のオーラがありありと見えた 20 年も前のことを毎日のように回想し、あのように美しい光にいつも浴していられればどんなに幸福なことだろうと思っていた。

しかし最近になって、オーラはたまに見えるくらいが丁度よいと思えるようになった。

尤も、強く意識し目を懲らせば、オーラというものは低い層のものなら容易く見ることができる。

物体の輪郭――例えば開いた手の輪郭に目を懲らしていると、指の輪郭を強調する、ぼんやりとした弱い光が、次いで夕日の残照のように射して見える色彩やきらめきなどが見えてくる。さらに目を懲らしていると、光はいよいよ豊富に見え出す。

だが、そんな風に意図的にオーラを見ようとする試みは疲労を誘うし、その水準のオーラを見ても、つまらないのである。自然に任せているのに、オーラが断片的に見えることはちょくちょくあるが、そのオーラがありありと見えることはわたしの場合はまれなのだ。

ありありと見えるオーラーーオーリックエッグと呼ばれるオーラの卵そのものは、観察される人の高級我が自ら開示してくれる場合にのみ、その許された範囲内において、観察可能なのではないかとわたしは考えている。

創作中は自身のハートから放射される白い光に自ら心地よく浴していることが普通の状態で、創作が生き甲斐となっているのもそれが理由なのかもしれない。

生者のオーラに関していえば、それが見えるとき、肉体から放射される光のように見えていて、肉体はその光が作り出す影のように見える。観察する側の感受性が高まれば高まるほど、その影は意識されなくなっていき、遂には光だけが意識されるようになる。

死者についていえば、死者を生きていたときのような肉体としての姿で見たことはまだない。死者が訪れ、近くに死者がいたときに、輪郭をなぞる点描のようなものとして見えたことがあった以外は、ほとんど何も見えなかった。いわゆる幽霊が見えたことは一度もないのだ。

それなのに、存在は感じられた。そして、たまたま死者の訪問時に死者のオーラが見えたこともあったが、そのとき、おそらくわたしは生者のオーラを見るときと同じように死者のオーラを見ていたのだと思われ、死者の肉体が存在しないせいか、光だけが見えたのであった。

たぶん、わたしの感受性がこの方向へ日常的に高まれば、物体は圧倒的な光の中に縮んだ、おぼろな影のようにしか見えなくなるだろう。オーラは人間にも動物にも植物にも物にすらあるので、留まっている光や行き交っている光のみ意識するようになるに違いない。世界は光の遊技場のように映ずるだろう。

そのとき、わたしはこの世にいながら、もうあの世の視点でしかこの世を見ることができなくなっているわけで、それは地上的には盲目に等しく、この世で生きて行くには不便極まりないに違いない。

以下の断章は、神智学徒だった高齢の女性のオーラを描写したものだ。

……(引用ここから)……頭を、いくらか暗い趣のあるブルーが円形に包み込んでいた。その色合いはわたしには意外で、先生の苦悩ないしは欠点を連想させた。全身から、美麗な白色の光が力強く楕円形に放射されていて、その白い楕円の周りをなぞるように、金色のリボンが、まるで舞踏のステップを踏むように軽やかにとり巻いていた。金色の優美さ、シックさ、朗らかさ。あのような美しい白色も、生き生きとした金色も、肉眼で見える世界には決してない。……(引用ここまで)……

そのときわたしはあの世の視点で他者のオーラを見ていたわけで、そのときのオーラは物質よりも遙かに存在感が勝っており、こういういい方は奇妙だが、光の方が物質よりも物質的に思えるほど重厚感があった。反面、女性の肉体は存在感のない影だった。

圧倒的な白色を、まるで保護するように取り巻いていた金色のリボンは何かの役割を帯びた組織なのだろうが、その組織の性質が作り出す形状は装飾的といってもよいぐらいだった。 ……(後略)……

マダムNの覚書、2021年1月25日 (月) 19:37

ヨガ行者パラマンサ・ヨガナンダと前世療法における「前世の記憶」の様態の決定的違い

エッセー 77「前世療法は、ブラヴァツキー夫人が危険性を警告した降霊術にすぎない」を執筆した時点では未読だった前世療法の代表的な提唱者ブライアン・L・ワイスの著作を読み、わたしなりの考察も済ませた。

が、まだ何か足りないものがある……このままではこのエッセーを脱稿したことにはならないという思いが高まっていた。

それが何だったかが、ふとパラマンサ・ヨガナンダ『ヨガ行者の一生』(関書院新社、初版1960、1979改訂第12版)に書かれている前世に関する記述を思い出したことから、はっきりした。

わたしは前世療法を否定していながら、自分にはほのかな前世の記憶があると臆面もなく書いてきた。

こうした記憶が、わたしにとっては微塵も不自然なところがないばかりか、ほのかでありながらも確固としたものだからだ。0「当ブログについて」より引用する。

わたしの一番古い記憶はこの世に降りてくる前のあの世での光の記憶です。

それは、えもいわれぬ柔らかな精妙な光でした。
幼いころ、この世の太陽の光のきめがあまりに粗くて皮膚に痛く、暗いこの世の光に気持ちまで暗くなって、絶望的な子供時代でした。誰に教わるでもなく、瞑想をする習慣もありました。前世は修行僧で老人になってから死んだ、という漠然とした記憶もありました。
子供のころの空想と思うには、57歳まで生きてきたわたしの人生は神秘主義的にすぎますし、自分を霊媒と考えるには主体的、自覚的にすぎます。脳は生まれ変わるたびに新しくなるので、霊的な記憶だろうと推測するしかありません。
一方では、塀とか木の上のような高いところの好きな普通の子供でもありました。そうした完全な二重生活をまわりの人達も皆送っていると中学生になるころまで、思い込んでいました。

前世の記憶を基礎として今世での新たな人生が展開している――との自覚が子供のころから、63歳になろうとしている今日に至るまで、通奏低音のように自分の中に存在しているから、書かずにはいられなかったことだといえる。

こうした記憶は少なくとも、他人に施された前世療法によって抽出ないしは付与されたものではない。前世の淡い記憶の中で、わたしの幼年時代は始まったのである。

それは、思い出す必要があったから思い出したまでのことだとわたしは考えており、思い出す必要もないのに、治療と銘打って催眠という手段を用いてまで前世に関わろうとする必要があるのか、甚だ疑問である。

ワイス博士の著作を読む限りでは、前世療法を用いなければならないだけの説得力に乏しいように思う。

わたしは『ヨガ行者の一生』を読んだ若かった頃に、ヨガナンダが前世について述べるくだりを何の違和感もなく読んだばかりか、その文章はわたしの前世の記憶に対する信頼感を高めてくれる気がした。ヨガナンダは述べている。

私のごく幼い頃の思い出は自分の前世のさまざまな場面を網羅していた。ヨガの行者として、ヒマラヤの雪の中にいた遠い昔のことを、わたしは子供心にはっきり想い出すことが出来た。かかる過去への瞥見は、ある超次元的連鎖によって未来に対する予見をも私にあたえてくれた。*9

ヨガナンダは過去の記憶――前世の記憶――について、次のような見解を述べる。

私の遠い過去の記憶は、別に独特なものではない。多くのヨガ行者たちは、生から死へ、また死から生への劇的変化によって、途切れることのない自己意識を保持しているといわれている。もし人間が、単に肉体だけの存在であるとするならば、その消滅は自己意識に終止符を打つわけであろう。だが、数千年来の予言者たちの言葉が真実であるとするならば、人間は本質的には霊的性格のものである。その人間個性の永続的核心が、此の世における暫くの期間、感覚的知覚と結びついたにすぎないのである。幼児の記憶をはっきり持っているということは、あながち稀なことではない。多くの国々を旅する間、私は幾多の誠実な男女の口から語られる幼い頃の思い出に、しばしば耳を傾けたものである。*10

しかし、ヨガナンダの前世の記憶は、前世療法を受けた人々に多く共通するところの、事細かに一部始終が明かされるといった冗長な、物語のような記憶とは異なる。ヨガナンダの前世の記憶は断片的な、前後のつながりを欠いて表れる閃きのようなものが主たるもので、恩師スリ・ユクテスワァに出逢ったときの前世の記憶の蘇りもそうであった。

道のはずれに黄褐色の僧衣をまとった、キリストのような一人の男がジッと立っている。その顔は昔から見慣れた顔のようでもあり、みた途端に親しさを覚えさせるような顔でもあった。私は一瞬、穴のあくほど彼を見つめた。すると、或る疑いが胸に沸いてきた。
「お前は此の托鉢僧を誰かと間違えているな。さあ、白昼夢なんか見ていないで、さっさと歩くんだ」私はこう考えた。*11

この後、ヨガナンダに貴い師の記憶が蘇った瞬間のことは、次のように感動的に描かれている。

沈黙の聖歌が雄弁に師の心から弟子の心に流れた。私は鋭い洞察力を以て、この聖者こそ神を知る人であり、私を神に導いてくれる永遠の師であることを直観した。この夢のような現実は、私の前世の記憶と渾然一体となっていた。何たる劇的な瞬間! 過去、現在、未来が一点にめぐり合った瞬間! 太陽がこの聖者の足許にひざまずく私を見たのは、これが始めてであったろうか。*12

自律精神がヨガナンダを特徴づけている。霊媒とは無縁の品格がその著作から伝わってくる。神秘主義で催眠術は黒魔術に属する。危険な催眠術を施されて霊媒性質を強められ、前世療法という科学的名目を掲げた降霊術の霊媒になってしまったら、元も子もない。

何も急いで前世を思い出す必要はない。必要なときにその記憶は自ずから蘇るはずである。

マダムNの覚書、2021年2月13日 (土) 22:45

降霊術のとりこだったユングの影響

ウィキペディアカール・グスタフユング*13によると、ユングはスイス、トゥールガウ州ボーデン湖畔のケスヴィルでプロテスタント(改革派)牧師の家(ドイツ系)に生まれ、チューリッヒ州のキュスナハト改革派教会に葬られた。

現代哲学・心理学が依拠しているといってよいウィリアム・ジェームズ(William James,1842 - 1910)は、自分には同じに見えるからという、ただそれだけの理由で、ラリっている薬物中毒者の幻覚も、霊媒の憑依現象も、神秘主義者のヴィジョンも、皆、同一の神秘主義的経験に一緒くたに分類してしまうという大きな過ちを犯した。

神秘主義心霊主義は見分けがつかないものとなって、その結果、全体が胡散臭いものと見做されるようになってしまったのである。

ジェームズの神秘主義へのアプローチはW・ジェイムズ、桝田啓三郎訳『宗教的経験の諸相(下)〔全2冊〕』(岩波文庫 -岩波書店、2015)で述べられた、次のようなものである。

神秘的状態に関する私の論じ方が光を投げるか、それとも暗〔かげ〕を投ずることになるのか、私は知らない。というのは、私自身の性質として、神秘な状態を享楽することが私には全然できないといっていいくらいなのであって、私としてはその状態についてはただ間接的にしか語れないからである。しかし、たとえ問題をこうして外面的に眺めるほかないにしても、私はできるだけ客観的また受容的であるつもりである。*14

神秘な状態を享楽? 前置きであるにも関わらず、早くもジェームズは「神秘的状態」とは「享楽」する性質のものであるかのように唐突に断定し、その口吻からはそうすることで彼が自らを神秘主義者たちより上位に置き、自分こそ洗練されたストイックな、そして誠実な論じ方をする人物であると印象づけるための心理操作を行っている。

カール・グスタフユング(Carl Gustav Jung,1875 - 1961)はジェームズより33年遅く生まれたが、ジェームズの影響は免れ得なかっただろう。ウィキペディアの以下の記述を見ると、やはりそのようである。

精神科医であったユングは、ピエール・ジャネやウィリアム・ジェームズらの理論を元にした心理理論を模索していた。*15

ユングについては、エッセー 91「C・G・ユングの恣意的な方法論と伝統的な神秘主義」でざっと見た。

C・G・ユング(ヤッフェ編、河合隼雄&藤縄昭&出井淑子訳) 『ユング自伝 2 ―思い出・夢・思想―』(みすず書房 、1973)で、ユングは次のように書いている。

批判的な合理性は、死後の世界についての考えを多くの他の神秘的な考えと共に、除去してしまったようである。これは現代では殆どの人が、自分を意識と同一視し、自分について自ら知っていることのみが自分であると考えているためにこそ生じたことである。しかし、このような知識がいかに限定されたものであるかは、心理学を生かじりしたものでさえ明らかなことである。*16

ユングは「批判的な合理精神」に一見、批判的なようでありながら、その批判的合理精神に除去されてしまった「死後の世界についての考え」と「多くの他の神秘的な考え」を除去される以前の状態に戻して精査してみようとはせず、独自のアプローチを図った。

われわれの時空の概念は、単に近似的な近似的な妥当性をもつだけで、従ってそこには大なり小なりの歪みのある領域が存在する。これらすべての点を考え直して、私は心の不思議な神話に注意深く耳を傾けることにした*17

そして、ユングが次のように書くとき、彼は――彼のいうところの――神秘的な人ではなく、また科学的な人でもないことがわかる。彼は「神話のこころみ」を行うが、それは「癒やすものであり、価値ある行為」、「それなしではすまされない不思議な魅力を与えてくれる」であるゆえに行うというのである。

われわれは、全く異なった法則によって統制されている他の世界を心に描き出すことはできない。それはわれわれが、われわれの心を形づくり、基本的な心の状態を確立するのを助けるような特殊な世界に住んでいるからである。われわれは、自分の内的な構造のために著しく限定されており、従って、われわれの全存在と思考によって、このわれわれの世界に縛られているのだ。神秘的な人は、「そのすべてを超えてゆく」ことを疑いもなく主張する。しかし科学的な人はそれを許すことはできない。知性にとって、私の神話のこころみはすべて不毛な思弁にすぎない。*18

僭越ながら、わたしは自身を神秘主義者であるという風に自覚してきた。幼い頃から「異なった法則によって統制されている他の世界」のことを始終心に描き出してきたし、常にその「他の世界」の観点でこの世界を見てきたのである。わたしには「他の世界」のほうがこの世の上位にある。その世界がこの世より精妙な、よりよき世界に思えるからだ。

神秘主義は、神聖科学(あるいは秘教科学)に基づいた体系を持ち、それはブラヴァツキー夫人の言葉にあるように科学中の科学に他ならない。少なくとも、神秘主義者はそのように認識しているのである。

ユングはウィリアム・ジェームズ同様、「多くの他の神秘的な考え」を精査することなく、神秘主義を科学の対極にある非科学的なものであるかの如くに扱う。

つまり、ユング神秘主義者ではない。批判的合理精神に与する人であり、その批判的合理精神が出てきたキリスト教という一神教の残照に染まって見える。

前掲ウィキペディア*19に、次のような記述がある。

精神分析の運動から離れ一人研究を進め、1916年には石油王ジョン・ロックフェラーの四女イーディス・ロックフェラー・マコーミック(en, 1872年 - 1932年)の助力で「心理学クラブ」を設立して、分析心理学の確立に努める。このクラブには、ヘルマン・ヘッセも訪れている。このマコーミック夫人の縁でジェイムス・ジョイスを知り、『ユリシーズ』の批評も書いている。

ユングジェイムズ・ジョイスとも知り合いだったとは。エッセー 96ジェイムズ・ジョイス (1)『ユリシーズ』に描かれた、ブラヴァツキー夫人を含む神智学関係者5名」を書いたことを思い出した。ロックフェラー家の助力で「心理学クラブ」を設立とは、どんなクラブだったのだろう?

鈴木大拙ミルチャ・エリアーデ、ハーバート・リードらと親交を結ぶ」とある。鈴木大拙は神智学徒だったが、禅の研究で著名である。ユングが神智学や禅を理解していたようにはとても思えない。

「母方のプライスヴェルク家が霊能者の家系として著名だった」ともあるが、この霊能者とは霊媒のことだろう。神秘主義者は個々人の体験的獲得によって神秘主義者になるのであって、個別的なものであるから、「家系」的に連なることはありえないのだ。

ユングがその霊媒の家系に連なる人であるかどうかはわからないが、ユングを――夢、あるいは幻視・幻聴の形で――訪れた夥しいまでのイメージは、神智学的観点から解釈すれば、カーマ・ローカ(主観的で目に見えない半物質的世界。黄泉の国)のアストラル幻影ではないだろうか。

ユング自伝』全体がアストラル幻影に満ちているようにわたしには思われる。

死後の世界といっても、カーマ・ローカという死後の世界の前庭しか知らないユングだからこそ、次のように回りくどく書かねばならないのである。それを誠実さと勘違いしてはいけない。

私は、死後の世界について明白な形でのべたことはない。それはつまり、そのときには私の個人的な考えをのべねばならなくなるだろうし、私としてはそのようなくせは全く持ち合わせていないからである。それはともかくとして、今、私は自分の考えをのべようと思う。

 今になっても、私はお話を物語る――神話として話す――以上のことはできない。この点について自由に語るためには、多分、死に近づいていることが必要であろう。死後の生活を私が望んでいるということはない。実のところ、そのような考えを育てたくはないと思っている。それでも、現実に対して公平であるために、私は、そのようなことを欲したのでもなく、それについて何かをしたのでもないのに、このような考えが私の心の中に動いていると言わねばならない。*20

リチャード・ノル(老松克博訳)『ユングという名の「神」―秘められた生と教義』 (新曜社、1999)には、驚くべきことが書かれている。

ユングは若い頃から降霊術に熱中しており、生涯にわたって、降霊術に出現する死者の国の霊や神々に相談し、それを他人にも相談するよう教えたというのである。*21

自伝から霊媒臭がするとは思っていたけれど、まさか、そこまで愚かな人だったとは!

道理で、ワイス博士のような人物が出てくるはずだ。何ということだろう、開いた口がふさがらない。ユングについては、後日また、考察を深めて書きたいと考えている。

マダムNの覚書、2021年7月 7日 (水) 17:36 

2021年11月25日における追記: 心理クラブの影響を受けたヘッセ、神智学及び人智学の影響を受けたカロッサ

ヘルマン・ヘッセ高橋健二訳)『デミアン』(新潮文庫 - 新潮社、2007改版)の訳者解説によると、1919に発表された『デミアン』がドイツの若者に如何に大きな影響を与えたかが窺える。

デミアン』は力作であると同時に問題の作である。大戦直後、発表された当時、シュペングラーの『西洋の没落』と並んで、迷えるドイツ青年層に大きな衝撃を与えたばかりでなく、ヘッセ自身にとっても人間的にも芸術的にも一転機を画した作である。成功した作であるか、失敗した作であるかは別として、『デミアン』はヘッセが必死になって自我と取り組んだ力作であり、よかれあしかれ彼の代表作であることは衆評の一致しているところである。*22

ヘッセによると、デミアンとはデーモン(悪霊にとりつかれたもの)から出ているとか。

デミアン』執筆の背景として、第一次世界大戦の衝撃、ラングという精神分析に詳しい医師と知り合いになったことから精神分析に強い興味をそそられ、読心術、夢の解釈などをはじめとする精神分析的要素が随所にとり入れられたことが挙げられている。

ロックフェラー家の助力でユングの「心理学クラブ」が設立されたのは1916年。そこを訪れたというヘッセの『デミアン』にはクラブの大きな影響が――作風を一変させるほどに――あったというわけだ。

神的なものと悪魔的なものとに引き裂かれそうになったヘッセは、この作品を書くことで、二つの概念の止揚を試みたのではないだろうか? 

悪魔的なものの中には性欲も入っており、性欲の扱いに困っている青年の姿が生々しく描かれているのだが、それを主人公が頭の中で誇大妄想的に、理想とする生身のエヴァ夫人の幻像を世界観に溶かし込む様子に読者として不安にさせられた。エヴァ夫人と息子のデミアンは主人公の指南役として、過剰なまでに大きな役割を果たす。

若者受けを狙ったのかどうかはわからないが、この作品の発表当時のヘッセが 42 歳だったことを思えば、大人の視点を完全に欠いたまま無理に脱稿したような作風にわたしは奇異な感じを受けざるをえなかった。何歳での発表だったか確認するまでは、20 代前半での発表と思っていたほどだ。

心理学クラブの影響を受けたヘッセ(1877 - 1962)と、神智学及び人智学の影響を受けたカロッサ(1878 - 1956)は同世代である。

デミアン』の後半部はあまりに夢幻的、抽象的、観念的であり、世界と自己の陥っている限界感を解決するものとして、ヘッセは次のような結論を主人公にもたらす。

巨大な鳥が卵から出ようと戦っていた。卵は世界だった。世界は崩壊しなければならなかった。*23

これは革命思想である。

崩壊後の具体的なヴィジョンのないところは、イルミナティ教団を創設したアダム・ヴァイスハウプトと同じである。カバール(悪魔崇拝主義)といわれる国際金融資本ロスチャイルド家がヴァイスハウプトとマルクスを支援し、ロックフェラー家がユングを支援していたとは。

一方、カロッサの作品では、神智学の影響が次のような言葉となっている。

空疎な唯物論は、さいわいにして、ようやく没落し、今では神智学という立派な信頼すべき学問が存在している。そしてその学問のおかげで、私たちが現世の肉体のほかにもう一つの肉体、エーテルの肉体を持っていることが、決定的に証明された。この肉体は宇宙のあらゆる永遠の生命力とつながっていて不滅であり、幾度も浄化され、いくつも星をへめぐったのちにおいて、ふたたび自分の血縁者たちと出会うだろう。*24

カロッサについてはエッセー 58「神智学をさりげなく受容した知識人たち――カロッサ、ハッチ判事 ハンス・カロッサ(追記)」を参照していただきたい。

マダムNの覚書、2021年11月25日 (木) 04:30

2021年11月30日における追記:  ヘッセの代表作『デミアン』に登場するアプラクサスとイルミナティの神、そしてユングの神々

ワイス博士の前世療法には分析心理学を創始したユングの影響が当然あるはずで、そのユングが降霊術のとりこだったことは、前述したように、リチャード・ノル(老松克博訳)『ユングという名の「神」―秘められた生と教義』 (新曜社、1999)で知った。

ユングは若い頃から降霊術に熱中しており、生涯にわたって、降霊術に出現する死者の国の霊や神々に相談し、それを他人にも相談するよう教えたというのである。*25

ユングがロックフェラー家の助力で設立した心理学クラブを訪れていたヘッセ。

わたしは前記事で採り上げたヘッセの代表作「デミアン」に出てくるアプラクサスが気になった。「神的なものと悪魔的なものを結合する象徴的な使命を持つ」神として、アプラクサスは登場する。

家にあるジョン・R・ヒネルズ編(佐藤正英監訳)『世界宗教事典』(青土社、1991)にアプラクサスの項目はなかった。あれこれ調べたが、家にあるものからは出て来なかった。コトバンクに解説があった。

ヘレニズム時代に,アレクサンドリアを中心にして,一部の人たちが最高神を呼ぶときに使った名称。しばしば鶏の頭をもち,右手に盾,左手にむちをかざし,両足が蛇で,4頭立ての馬車に乗った姿であらわされている。鶏は予見と用心深さを意味する鳥であり,盾は知恵,むちは力を意味し,2匹の蛇であるヌースとロゴス,すなわち霊性と理解とに支えられ,宇宙の四つの方向をめぐって支配する神とされる。ABRAXASの7文字は,七つの光,または数理的に365を意味し,紀元2世紀のアレクサンドリアに在住したグノーシス派のバシレイデスBasileidēsによれば,この宇宙は365の層をなす天によって構成され,その最下層の神がアブラクサスであって,地球や人類を創りだし,七つの属性によってこの世を支配している。*26

ウィキペディアには次のようなことが書かれている(出典が書かれていない)。

アブラクサスはエジプト神話においてイシスの眷属だったらしく、さらにペルシア起源のミトラ神信仰とも関係があったが、この宗教はローマにおいて、はじめの400年間、キリスト教の最大の対抗勢力であった。……(略)……アブラクサスは物質界を創造し、悪魔的な性質を持つ旧約聖書の神(実際は創造された存在で、高位のアイオーンであるソフィアの息子)に同化していった。
中世には、アブラクサスは正統派のキリスト教によってデーモンとみなされ、崇拝者は異端とされた。*27

関連項目

イルミナティ アブラクサス」で検索すると、「バーバリアン・イルミナティ: イルミナティに罪をなすりつけてきた黒魔術団」という記事がヒットした。

バヴァリアン・イルミナティ(Bavarian Illuminati)の7位階の人々によって運営されている、正真正銘のイルミナティの啓蒙サイト「啓明:「秘密の宗教-神になるには(Illumination: the Secret Religion - How to become God)」から、翻訳紹介した文章のある「バーバリアン・イルミナティ: イルミナティに罪をなすりつけてきた黒魔術団」という記事だった。

その記事に「アブラクサス」という記述があったのである。「プロローグ全文翻訳」からその箇所を引用させていただく。

私たちはイルミナティです。

私たちは、真の神のメッセンジャーです。

私たちの神聖な任務は、人類と神の神々しい本質との間には、もはや少しの差異もない、という本当の神との全体的合一の中に、人類を導くことです。

どのようにして、このことが達成できるのかは、アインシュタイン相対性理論量子力学の理論を使うことによって、はっきり見ることができるのです。
もう、人類は、しっかり目を見開いて、この神聖な光を見るべき時なのです。

私たちの宗教は、イルミネーション(Illumination=啓明)と呼ばれています。
私たちは、この無知で開かれていない世界に、真の神、アブラクサス(Abraxas)の光を当てるために影の世界から出てきた者です。
すべての人たちに、啓明の光、覚醒の光をもたらすために。*28

アブラクサスが「真の神」と呼ばれている。そして、イルミナティのグランド・マスターだったアダム・ヴァイスハウプト(Adam Weishaupt)の紹介の後に、以下のユングの言葉が引用されているのである。 

「私が15歳のとき、聖杯伝説を読んで以来、それは私にとって、もっとも重要なことになったのである。聖杯伝説の背後には、大いなる秘密が隠されていることを感じ取ったからである」  カール・ユング*29

前掲「プロローグ全文翻訳」にはグランド・マスターの名前も挙げられている。

イルミナティのもっとも有力なグランド・マスターは以下のとおりです。

以上の10人です。*30

アダム・ヴァイスハウプト(1748 - 1830)以降のゲーテ(1749 - 1832)、ヘーゲル(1770 - 1831)はイルミナティだったのだろう。

イルミナティのサイトに引用されているユングも、イルミナティだったのだろうか? ユングの影響を受けたヘッセは「デミアン」で主人公シンクレールをアプラクサスに捧げるという行為を創作上の行為とはいえ、やってのけているのだから、イルミナティだった可能性もある。

薔薇十字団、フリーメーソンフリーメーソンを侵食したイルミナティキリスト教の弾圧を怖れて地下に潜り、秘密結社となった。その弾圧がなくなった現代、秘密結社は地上に出てきたのだろうか? 前掲記事で紹介されているイルミナティのサイトは真正なものなのだろうか?

冒頭で引用したリチャード・ノルの文章にユングが「降霊術に出現する死者の国の霊や神々に相談」したとあるのが気にかかる。もし神々を招喚する魔術を行っていたのだとすれば、ユングは精神医学者の仮面を被った黒魔術師ではないか。あるいは、降霊会に神の名を騙るカーマ・ローカの幽霊たちが出現した、それを「神々」と呼んでいるだけなのかもしれないが。

いずれにせよ、もしノルの記述が本当だとしたら、それは精神医学を中世の闇に引き戻した、信じられない所業である。

マダムNの覚書、2021年11月28日 (日) 15:03 

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*1:p.266

*2:ワイス,山川紘矢・亜希子訳,1991,p.48

*3:ワイス,山川紘矢・亜希子訳,1991,p.48

*4:ワイス,山川紘矢・亜希子訳,1991,p.22

*5:ワイス,山川紘矢・亜希子訳,1991,p.53

*6:ワイス,山川紘矢・亜希子訳,1996,P.13

*7:ワイス、山川紘矢・亜希子訳、1996,P.14

*8:ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説「オーラ(Aura,希/羅)」p.22

*9:ヨガナンダ,1979,p.1

*10:ヨガナンダ,1979,pp.1-2

*11:ヨガナンダ,1979,p.77

*12:ヨガナンダ,1979,pp.78

*13:ウィキペディアの執筆者. “カール・グスタフユング”. ウィキペディア日本語版. 2021-02-09. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0&oldid=81749853, (参照 2021-07-06).

*14:ジェイムズ,桝田訳,2015,p.182

*15:ウィキペディアの執筆者. “カール・グスタフユング”. ウィキペディア日本語版. 2021-02-09. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0&oldid=81749853, (参照 2021-11-22).

*16:ユング,河合・藤縄・出井訳,1973,p.138

*17:ユング,河合・藤縄・出井訳,1973,p.138

*18:ユング,河合・藤縄・出井訳,p.139

*19:ウィキペディアの執筆者. “カール・グスタフユング”. ウィキペディア日本語版. 2021-02-09. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0&oldid=81749853, (参照 2021-11-22).

*20:ユング,河合・藤縄・出井訳,1973,pp.137-138

*21:ノル,老松訳、1999,p.37

*22:ヘッセ,高橋訳,2007,解説 p.247

*23:ヘッセ,高橋訳,2007,p.242

*24:カロッサ(国松孝二訳)『指導と信徒』(岩波文庫 - 岩波書店、2012、p.40)

*25:ノル,老松訳、1999,p.37

*26:平凡社. “世界大百科事典 第2版「アブラクサス」の解説: アブラクサス【Abraxas[ギリシア]】”. コトバンク. https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%82%B9-1143525, (参照 2021-11-27).

*27:ウィキペディアの執筆者. “アブラクサス”. ウィキペディア日本語版. 2021-03-18. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%82%B9&oldid=82510531, (参照 2021-11-28).

*28:大谷弘仁. “バーバリアン・イルミナティ: イルミナティに罪をなすりつけてきた黒魔術団”. 備忘録ノート. http://bibourokunote.blogspot.com/2011/06/blog-post_14.html, (参照 2021-11-26).

*29:大谷弘仁. “バーバリアン・イルミナティ: イルミナティに罪をなすりつけてきた黒魔術団”. 備忘録ノート. http://bibourokunote.blogspot.com/2011/06/blog-post_14.html, (参照 2021-11-26).

*30:大谷弘仁. “バーバリアン・イルミナティ: イルミナティに罪をなすりつけてきた黒魔術団”. 備忘録ノート. http://bibourokunote.blogspot.com/2011/06/blog-post_14.html, (参照 2021-11-26).