マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

0 当ブログについて

当ブログは、神秘主義的観点から執筆したエッセーをセレクトしたものです。

文学に傾倒してきたので、文学に触れたエッセーが多いのですが、当ブログのエッセーは神秘主義的考察に主眼を置いているため、文学的観点からのアプローチとは作風が異なっているかと思います。

そのほとんどが基幹ブログ「マダムNの覚書」で公開したものですが、当ブログで公開するにあたり、加筆、訂正しました。

総タイトルを記事インデックスで御覧になることができます。サイドバーにカテゴリー「記事インデックス」を設置しております。

カテゴリー「初出:b覚書,2006」というのは、初めて作品を公開したのが2006年、ブログ(b)「マダムNの覚書」(覚書)においてであったという意味です。

 

プロローグ

わたしの一番古い記憶はこの世に降りてくる前のあの世での光の記憶です。

それは、えもいわれぬ柔らかな精妙な光でした。
幼いころ、この世の太陽の光のきめがあまりに粗くて皮膚に痛く、暗いこの世の光に気持ちまで暗くなって、絶望的な子供時代でした。誰に教わるでもなく、瞑想をする習慣もありました。前世は修行僧で老人になってから死んだ、という漠然とした記憶もありました。
子供のころの空想と思うには、57歳まで生きてきたわたしの人生は神秘主義的にすぎますし、自分を霊媒と考えるには主体的、自覚的にすぎます。脳は生まれ変わるたびに新しくなるので、霊的な記憶だろうと想像するしかありません。
一方では、塀とか木の上のような高いところの好きな普通の子供でもありました。そうした完全な二重生活をまわりの人達も皆送っていると中学生になるころまで、思い込んでいました。
ここにご紹介するのは、こうしたこの世的には風変わりな、神秘主義者的な視点から綴ったエッセーです。 

2015年12月9日における追記

わたしが神秘主義者と自称する根拠は1981年10月10日発行の文芸同人誌「VIE」に発表した「枕許からのレポート」という手記に潜んでます。当ブログにも収録しました。

mysterious-essays.hatenablog.jp

2017年6月29日、2018年10月16日における追記

神智学がいうように、人間が七つの本質からなり、オーラの卵と呼ばれる色彩を帯びた卵形の光の中に生きている存在だとすれば、わたしが時々見るオーラと呼ばれる色彩を帯びた放射物を、今はまだ見ることができない人々もいずれは全員が見るようになるはずだと思うのです。

そのオーラが見え始めたのは大学生のころからで、それが比類なく美しいために、物書きの本能として、わたしは描写せずにはいられませんでした。他の神秘主義的な体験についても、自己肥大や商売っ毛からそうしてきたわけではありません。

自分の体験を特別視していないからこそ、描写し、記録し、神智学などの神秘主義関係の書籍と照らし合わせて研究したくなるのです。

わたしが文学に目覚め、初めて小説らしきものを書いたのは中学1年のときでした。

世に出たいと思って賞狙いに熱くなった年月がありましたが、神秘主義者ですので、世に知られることがないままに終わったとしても、創作を通して、きよらかな、澄んだ思いを発散させることだけでも、意義のあることだと思っています。

神秘主義者としてもう一つわかっていることは、文学、つまり芸術は、宗教的修行と同じ求道の道だということです。

その道を歩きながら神秘主義的ないくらかの霊的能力はわたしに目覚めてきたものであって、それは決して霊媒的な低級能力、先祖返りの能力ではないと感じています。その道をしっかり歩いている限りにおいては、安全性の高い道であると確信します。

ただ、霊媒的な低級能力、いわゆる左手の道へと逸れてしまう危険性は宗教的修行の場合と同じく芸術活動にもあるはずです。否、普通に生きているつもりの人々にもその危険性は人間である限りつき纏うものでしょう。その危険性をわたしが現実のものとして感じたのは賞狙いに没頭していたときでした。

近代神智学運動の母ブラヴァツキー夫人の周囲には、能力の高い低いの違いはあったでしょうが、神秘主義的能力に目覚めた人々がかなりいたようです。

その当時、わたしがそれらの人々の中に混じっていたとしたとしたら、今感じている疎外感や欠乏感、違和感に悩まされることも、時に蔑視されているように感じることもなかったかもしれません。

彼らは、ブラヴァツキーの論文を部分的にでも自分で検証することができたからこそ、ブラヴァツキーの論文の正当性が骨身に滲みてわかり、その輝かしい価値を確信できたのだと思うのです。

神秘主義的感性は誰にでも存在するもので、それが曇りなく発揮されるかそうでないかの違いがあるだけだと思いますが、わたしの感性はブラヴァツキーのような清澄な人々と曇っている人々との中間域にあると感じています。

主にその中間域にあって迷いや悩みを抱えている人々とブラヴァツキーのような優れた人々によって著された書物との間の架け橋をつくりたいと思い、稚拙ながらこれまでブログや電子書籍などで語りかけてきました。今後も、命のある限り、そうしたいと思っています。