マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

117 「西方浄土」という表現に関する私的発見。オーラに関する補足。

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太陽の沈む方向にある、光を帯びた雲をうっとりと眺めていたわたしは、ふと、エッセー 116祐徳稲荷神社参詣記 (17)新作能「祐徳院」創作ノート ②2014年1月、2021年11月、2022年1月」で書いたことを思い出した。 

……謡曲『羽衣』を読むと、神社でのお仕事を終えてお帰りになる萬子媛御一行が、「萬子媛~!」というわたしの心の中での呼びかけに応えて、雲の中から光を投げて寄越された情景を思い出す。どこへお帰りになるのかはわからなかったが、上のほう、雲の彼方のどこかだろう。よほどの上空に、肉眼では決して見えない高級世界が重なるように存在するのだろうか。

前にこのときのことを書いたエッセーでは、ここまでは書かなかった。

確か、ありふれた景色がえもいわれぬ美しい景色に感じられたのは、お帰りになる萬子媛のオーラが日の光に混じっていたからではないか――と書いた。

本当のことをいえば、『羽衣』さながらの情景がわたし――の心の鏡――にははっきりと見えていた。『羽衣』や『かぐや姫』を書いた人は、わたしのような神秘主義者だったのではないだろうか?……*1

なぜ浄土のことを西方浄土というのだろう、とわたしはずっと不思議に思ってきた。浄土は日の昇ってくる東の方角にあるとしたほうが清浄感が出る気がするのだけれど……あくまで象徴的な表現だと考えていたので、このような批評(?)が自分の中から出てきたのだった。

コトバンク」では西方浄土について、次のように解説されている。

精選版 日本国語大辞典西方浄土」の解説
さいほう‐じょうど サイハウジャウド【西方浄土
〘名〙 仏語。阿彌陀仏の浄土。この娑婆世界から西方に十万億の仏土を隔てたかなたにあるという安楽の世界。極楽浄土。西方極楽。西方安楽国。西方安養世界。西方世界。西方。……(以下略)……*2

萬子媛御一行は、前掲エッセーでも書いたように、沈みかけた太陽の光に溶け込むように昇天された――つまり、一日のお務めを終えられた高貴な方々は、西の方角の遠い彼方にある世界へ行かれたように思われたのだった。

そのことから、今頃になって突然、合点がいった。ああそういうことか、と思った。科学的に、地理学的に、事実がそうだからなのだろう。たぶん。

ああそれから、エッセー 65「神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ①『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』」でわたしは、オーラの光を連想させるものはこの世ではオーロラしかないと書いたが、純白の雲を浸して柔らかに迸る神々しい光もまたオーラを連想させるものであることを補足しておかねばならない。


マダムNの覚書、2022年6月 1日 (水) 20:03

*1:目次4.謡曲『羽衣』の核となる一文(2022年1月)

*2:西方浄土(読み)さいほうじょうど」『コトバンク』。2022年6月01日(水) 10:18 UTC、URL: https://kotobank.jp/word/%E8%A5%BF%E6%96%B9%E6%B5%84%E5%9C%9F-508462