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マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

24 ルネ・ゲノンからシモーヌ・ヴェイユがどんな影響を受けたかを調べる必要あり

初出:b覚書,2015

このところ、シモーヌ・ヴェイユのことが頭を離れなかった。

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Simone Weil (1909–1943) – a French philosopher, Christian mystic and political activist of Jewish origin.
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

東洋思想に関心がありながら、なぜあのような考えになるのだろうと思えるところがあり、また死に方についても、戦争中の過酷な状況、拒食症、あるいはカタリ派に対する関心など原因を探ってみても、どうも納得いかないものがあった。

シモーヌ・ヴェイユはブラヴァツキーの神智学には近づかなかったのだろうか、気づくこともなかったのか。
このことについては今後も考えていくことになると思うが、(橋本一明ほか訳)『シモーヌ・ヴェーユ著作集 Ⅱ ある文明の苦悶―後期評論集―』(春秋社、1968年) を再読していたとき、「解説2」の156頁に、シモーヌルネ・ドーマルを通してインド思想に触れたことが書かれている箇所に目がとまった。

ウィキペディアルネ・ドーマル*1を閲覧すると、「3人の友人たちとシュルレアリスムダダイスムに対抗して文芸雑誌「Le Grand Jeu」を設立した」「ドーマルは独学でサンスクリットを学び、仏教の三蔵をフランス語に翻訳した。また、日本の禅学者、鈴木大拙の本も訳している」とあった。

鈴木大拙*2は神智学協会の会員だったので、ルネ・ドーマルもそうだったのだろうか、と思って調べていると、ルネ・ドーマルはルネ・ゲノンの影響を受けているらしいことがわかった。 

ルネ・ゲノン*3についてウィキペディアを閲覧すると、いろいろと気になることが書かれていた。

「ルネ・ジャン・マリー・ジョゼフ・ゲノン(René Jean Marie Joseph Guénon, 1886年11月15日 - 1951年1月7日)」
1886年にブロワに生まれる。若い頃に「グノーシス教会」などの数々のオカルティズムのグループと交流を持っていたが、後にオカルティズムを断罪した。1916年、ソルボンヌで哲学修士号を得た後、教職に就いていたが、職を離れて、1921年に最初の著作ヒンドゥー教義研究のための一般的序説』を発表した。その後、ブラヴァツキーらの神智学や心霊術について批判的な著作を発表した(『神智主義:ある疑似宗教の歴史』『心霊術の誤り』)。ゲノンはこれらの運動を物質主義的な観点から出てきた擬似的な精神主義であるとみなしていた
「ゲノンは今日に至るまで形而上学・エゾテリスム研究の分野で大きな影響を及ぼし続けており、「伝統主義学派」と呼ばれる一群の思想家・知識人達の代表者と見なされている」
「宗教学の泰斗ミルチャ・エリアーデ著作において何度かルネ・ゲノンに言及しているが、彼の学問的アイデアの多くはゲノンからの影響を受けていたことが近年の複数の研究によって指摘されている」
シモーヌ・ヴェイユは、学友ルネ・ドーマルとともにゲノンの著作の愛読者であった
特に気になる箇所を赤字にさせて貰った。
プラグマティズムのウィリアム・ジェームズ(William James, 1842年 - 1910年)だけではなかったか……ジェームズのあとにゲノンが現れてブラヴァツキー糾弾の急先鋒に立った?

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French philisopher Réne Guénon in 1925
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

シモーヌルネ・ドーマルと共にブラヴァツキーの神智学について知っていた可能性はあると思う。だが、彼女は神智学には深入りしなかったのだろう。シモーヌには、エッセー23で書いたような一面があるとわたしは見ているからである。

キリスト教というブランドが絶対的な価値と殺傷力を持つ世界では、表立って証言することが許されなかったので、古代からプラトニズムを継承し、プラトニズムに徹底して生きてきた西洋の神秘主義者は、地下に潜るしかなかったのだ。
そして、表立って証言する勇気を持ち得たブラヴァツキーのような人物は、著作を読む能力すら持ち合わせない人々の不当な攻撃に晒され、辱められてきた。
シモーヌ・ヴェイユは、おそらく母親の偏愛――シモーヌ・ヴェイユが理想とする愛とはあまりにもかけ離れたものを含む現象――を感じ、その呪縛性を知りつつも、それをそっとしておき、恭順の意さえ示している。キリスト教に対する態度も同じだったように思える。
彼女はキリスト教というブランドを非難しつつも、それに屈し、媚びてさえいる。その恭順の姿勢ゆえに、シモーヌ・ヴェイユという優等生は西洋キリスト教社会では一種聖女扱いされてきたということがいえると思う。

ゲノンは日本での影響もあるようなので、慎重に調べる必要があるが、検索したところ、図書館には『世界の終末』があった。それしかない。
ミルチャ・エリアーデの影響を受けたと自ら語った平野啓一郎は『日蝕』で神学僧の神秘体験を描いて芥川賞を受賞したが、あの小説は神秘主義についての悪意をこめた戯画化――というより内容の程度の低さから悪ふざけ――だとわたしは思ったのだが、真面目に書かれたものなのだろうか。
何にしてもエリアーデもゲノンの影響を受けたらしい。

あれほど心霊主義の危険性を警告したブラヴァツキーの神智学が、心霊主義の同義語のような扱いを受けることをおかしな現象だと思ってきたのだが、その原因にはジェームズやマルクス主義だけではなく、ゲノン、この人も含まれるのだろうか。
ブラヴァツキーが登場するのは次の著作だろうか。

Le Théosophisme, histoire d'une pseudo-religion, Paris, Nouvelle Librairie Nationale, 1921.
(「神智主義:ある疑似宗教の歴史」)

しかし、この著作が書かれたのは、ゲノンの諸宗教研究の出発点に近い地点ではないか。最初の著作が書かれた1921年と同年に発表されているのだから。
著作を読んでみなければあれこれいえないが、ウィキペディアにはゲノンがブラヴァツキーの神智学や心霊術を批判した理由として「これらの運動を物質主義的な観点から出てき た擬似的な精神主義であるとみなしていた」とある。
ブラヴァツキーが心霊主義の解明と解説のために、心霊的な実験を行ったことは確かだが、インドの大師に見守られて『シークレット・ドクトリン』などの執筆を行ったことまで一緒くたにされているに違いない。
あれを独りで書いたと見做す人々はブラヴァツキーが剽窃しただの内容が出鱈目だのといい、そうでない人々は霊媒だという。ブラヴァツキーの論文に対して、高飛車で見下した見方をするのが名誉だとでも思っているかのような異様な雰囲気がある。
そして、彼らの偉そうな様子にも拘わらず、『シークレット・ドクトリン』そのものを曲解せずにきちんと批判できた人はいないという事実がある。
「物質主義的な観点から出てきた擬似的な精神主義」とは何だろう?
『シークレット・ドクトリン』において、物質に関する説明は単純ではない。邦訳版「宇宙発生論」の上巻の索引には「物質  Matter」の項目に39頁示されていて、注として「質料」「プラクリティ」「プロタイル」の項も参照とあるのだ。ちなみに「質料 Substance,Matter」は60頁示されている。「プラクリティ Prakriti」は10頁。「プロタイル(均質の質料)  Protyle,Homogeneneus matter」は2頁。
1頁に当たるだけでも時間がかかり、わたしの脳味噌では理解に難儀する。ゲノンは脳味噌の上半分が欠けていそうに見える頭の格好だが、きちんと理解した上で批判しているのだろうか。
ブラヴァツキーと同じモリヤ大師の指導を受けたといわれるレーリヒ夫人の『新時代の共同体 一九二六』(日本アグニ・ヨガ協会、平成5年)の用語解説から「唯物論」「物質」について引用しておく。

唯物論 近代の唯物論は精神的な現象を二次的なものと見なし肉体感覚の対象以外の存在をすべて否定する傾向があるが、それに対して古代思想につながる「霊的な意味での唯物論」(本書123)は、宇宙の根本物質には様々な等級があることを認め、肉体感覚で認識できない精妙な物質の法則と現象を研究する。近代の唯物論は、紛れもない物質現象を偏見のために否定するので、「幼稚な唯物論」(121)と呼ばれる。「物質」の項参照。*4 

 

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物質 質料、プラクリティ、宇宙の素材。「宇宙の母即ちあらゆる存在の大物質がなければ、生命もなく、霊の表現もあり得ない。霊と物質を正反対のものと見なすことにより、物質は劣等なものという狂信的な考え方が無知な者たちの意識に根づいてきた。だが本当は、霊と物質は一体である。物質のない霊は存在しないし、物質は霊の結晶化にしかすぎない。顕現宇宙は目に見えるものも、見えないものも、最高のものから最低のものまで、輝かしい物質の無限の面をわたしたちに示してくれる。物質がなければ、生命もない」(『手紙Ⅰ』373頁)。*5

ルネ・ゲノンの影響力は大きいようだから、著作に触れたあとでまた書くつもりだが、歴史小説もすすめなければならないので、少しあとになるかもしれない。
国立情報学研究所のサービスCiNiiに、ルネ・ゲノンに関する以下の論文がある。

ルネ・ゲノンと現代世界の危機
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009459735
田中 義廣
収録刊行物
フランス文学論集   [巻号一覧]
フランス文学論集 (21), 34-46, 1986-11-29  [この号の目次]
日本フランス語フランス文学



マダムNの覚書、2015年9月10日 (木) 21:39


〔追記〕
ルネ・ドーマル巖谷國士訳)『空虚人[うつろびと]と苦薔薇[にがばら]の物語』(風濤社、2014年)を読んだ。
「あとがき」によると、ルネ・ドーマルの絶筆となった未完の小説『類推の山』に挟まれるいくつかの「話中話」の一話で、小説ではどこかの高山の伝説として紹介されているそうだ。人気の高い小話らしい。
しかしわたしの読後感としては、これだけでは何ともいえない感じだ。作中作として十全に機能している小話もあることを考えれば、読者任せにすぎる小話なのではあるまいか。
象徴的な道具が複数使われているわりには、それらが何の機能も果たしていず、ただ装飾として利用されているという残念な印象を受けた。無意味に技巧の凝らされた(シュルレアリスムはそんなものではあるが)、思わせぶりな掌編という感想しか持てなかった。
道具に寄りかかりすぎではないだろうか。これを読んで読者が勝手に楽しむのは自由だが、果たして作中作としてはどうか。この小話を包み込む『類推の山』自体への関心も薄れてしまった。

*1:ウィキペディアの執筆者,2015,「ルネ・ドーマル」『ウィキペディア日本語版』,(2015年9月15日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%AB&oldid=56027786).
ルネ・ドーマル(René Daumal、1908年3月16日 - 1944年5月21日)は、フランスの著作家、哲学者、詩人。

*2:ウィキペディアの執筆者,2015,「鈴木大拙」『ウィキペディア日本語版』,(2015年9月15日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%A4%A7%E6%8B%99&oldid=56574619).

鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎(ていたろう)、英: D. T. Suzuki (Daisetz Teitaro Suzuki)、1870年11月11日(明治3年10月18日) - 1966年(昭和41年)7月12日)は、禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教者」。1949年に文化勲章日本学士院会員。(略)
釈宗演の元をしばしば訪れて禅について研究していた神智学徒のベアトリス・レインと出会う(後に結婚)。ベアトリスの影響もあり後年、自身もインドのチェンナイにある神智学協会の支部にて神智学徒となる。また釈宗演より大拙の居士号を受ける(「大巧は拙なるに似たり」)。

*3:ウィキペディアの執筆者,2015,「ルネ・ゲノン」『ウィキペディア日本語版』,(2015年9月15日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%8E%E3%83%B3&oldid=55061391).

*4:日本アグニ・ヨガ協会、平成5『新時代の共同体 一九二六』「用語解説」pp.275-276

*5:日本アグニ・ヨガ協会、平成5『新時代の共同体 一九二六』「用語解説」p.275