マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

12 恩師の命日に

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出典:Pixabay

窓を開けていると、気持ちのよい風が室内に入ってくる。

4月9日は、亡き神智学の先生のお誕生日で、11日の今日は命日である。先生のお棺はマーガレットでいっぱいだった。

今日は大好きだった先生のことばかり考えている。もっとも、そうでなくても毎日のように、先生の知的でチャーミングな雰囲気、美しかったオーラの色合いを、思い出さずにいられない。亡くなったのは1995年だったから、もう12年にもなるのに。

先生という人は、わたしにとって、気高いものへのあこがれをそそってくれる貴重な存在であると同時に、オーラや想念形体を見る自身の能力に信頼感をもたらしてくれるあかしのような、欺瞞とは無縁の確かな存在でもある。

神秘主義的自身の生きかたに、ゆらぐことのない新しい感覚をもたらしていただいたような気がしている。先生の希望と確信に満ちた美しいまなざしは、まさに燈台の光だった。

先生の死後も、段階的変化を伴って、先生との内面的絆は保たれているという実感がある。相手が亡くなったからといって、神秘主義者にとっては大した違いはないともいえる。

肉体を持った存在としての相手を見る喜びがなくなった物足りなさは否めないが、その代わりに今では別の楽しさがある。違う世界に生きる者として思いを伝え合う楽しさというものは、格別なものなのだ。

49歳ともなると、亡くなった知り合いも増えた。しかし、そんなことが可能なのは、わたしの場合は先生とだけだ。

相手の死後、初七日までの間に限れば、内的に交流できた人がもう1人だけ別にいた。その人のことも、そのうち書くことがあるかもしれない。

先生は、この世から遠ざかって長くなるごとに尻尾を出さなくなってしまわれ、先生の油断から出た予知的情報をわたしがキャッチすることはなくなった。

あの世からはこの世で起きることが、先のことまで見えやすいのだろう。そして、人間は死んだからといって、そう簡単に変るものではないようである。また、あの世には、この世のことには軽々しく干渉すべきではないという鉄則があるようにわたしは感じられる。

先生が亡くなって年月が浅い頃は、先生の現実的な気遣いが頻繁に感じられた。

ある鋭い警告の言葉が感じられたり(耳に音声として聴こえるのではない。相手の心の中のつぶやきを共有し合うといった感じの伝わりかただ)、相手の微笑や戸惑いが雰囲気としてダイレクトに伝わってくることもあった。

今では、そんな生々しい感じを覚えることはなくなったが、空間に見える光の点のうち、これは先生からの通信に違いないと感じられることは依然としてある。

空間は、わたしのようなごく未熟な神秘主義者にとっても、掲示板のような一面があるのだ。

 

マダムNの覚書 2007411 () 16:54