マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

14 嫌悪感と病気の関係、そして光の贈り物

〔2007年10月24日〕

春、夫にあるハプニングをもたらされてから、彼に対する信頼度がますます低下した。 

とはいえ、それではやっていけないから、そこのところは普段は思い出さないようにしている。思い出しさえしなければ、愉快なパートナーでもあるので、わたしも普段は案外楽しく暮している。

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前癌病変と診断された昔のことを思い出せば、あのとき、夫はわたしに初めての深刻なハプニングをもたらしてくれた。あまりの嫌悪感に、数日後には前癌病変の症状が子宮に起きた。

これは恐ろしいぐらいの強烈な反応だ。人間は、一瞬にして癌になることが可能だと思う。勿論、治療を受けたことが幸いしたのだろうが、わたしもそのままではいけないと思い、充分に考え、方向転換を図った。そうでなければ、そのまま癌になっていたと思う。

まあべつに夫とふたり暮らしであれば癌になって死んでもよかったのだが、子供たちが小さかったから、絶対に死ねないと思った。

ところが、今回の婦人病の件は長年のものと思われるから、この春に夫が惹き起こしたハプニングが原因とはいいきれない。

ハプニングの度合いは、前癌病変を惹き起こした昔の出来事より更に深刻なものだったにも拘わらず、わたしの側に耐性が備わったのか、昔ほど彼を思っていないからか、こたえなかったのだ。

でも、わからない。あのときにダークなことを思い、それがいつかは体に出てくると思った。それは、今というわけではないかもしれないが――。

誤解がないように断っておくと、これはあくまでわたしに限ったケースである。

夫が原因で起きるネガティブな感情は、わたしの場合、婦人科的病気を惹き起こしやすいようなのだ。他人の病気のことは知らない。原因はさまざまだろう。

子供たちが成人したとはいえ、今自分に何かあっては困ると思うことに違いはない。息子がきちんと就職し、娘にいい人が見つかるまでは死ねない。できれば、それぞれの孫の顔を見てから死にたい。

母と死別してから気丈にやっていたのに、再婚後にむしろ変になった父のことは、遠巻きに見守るしかなく、もう福祉に任せる他ないかもしれないと思っているが、妹にはまだわたしが必要な気がする。

わたしはひどい心配性であるため、身内のことを考えるときは極端から極端に走る傾向がある。自分のことでもそうで、たかが卵巣の腫れで婦人科を受診するくらいでも極端から極端に考えが走るのだ。

最悪の場合を考えたかと思うと、次の瞬間には脳天気となって、考えることすら馬鹿らしくなったりする。要するに、受診が嫌で、情緒不安定になっているのだろう。いい年をして恥ずかしい。

ところで、わたしは神秘主義者であるから、過去に何度か自分の体の危機を自分で救ったことがあった。お金がなくて、入院できないと思ったときだった。お金がないということは、時に底力を発揮させる。

その方法はといえば、白い気高い光を想像して、それを患部に想像の力で放射するのだ。試しに、何でもないときに鏡に向かって自分のオーラを見ながらそれをやってみると、オーラが輝きとなめらかさを増すのがわかる。

それは、多かれ少なかれ肉体に反映する。高いところから低いところに水が流れるように。外科的な処置が必要なことに、より効果があると思う。

きよらかな精神状態でないとこれはできないことだから、自分のことでこれをやるのは、案外難しい。そこまで自分のことに無私になるのは。他人のためにやるほうが、圧倒的にやさしい。

これをやるより、如何に億劫とはいえ、婦人科を受診して他人に身を委ねるほうが易しいのだ。とりあえず、そうしたい。

でも、婦人病関係のサイトを閲覧していると、病院が気に入らなかったり、ドクハラドクターハラスメント)を受けたりして、病院を替わる人は多いようだ。デリケートな部分を治療して貰うだけに、より信頼感が必要となってくるのかもしれない。わたしも、その場合は、病院を替わる勇気を持とう。

行く前からこんなことを考えるなんて、やはりわたしは相当に動揺しているようだ。これもホルモンのバランスが悪いからだろうか。ああ行きたくない! もう明後日に近づいてしまった!

ところで、午後うたたねをして、息子がインスタントラーメンをなまで齧っている姿を夢に見、心配していた。そして、これは現実のことだが、昨日娘に息子からメールがあり、スーパーで小松菜を買ったときのエピソードが書かれていたという。

レジで、「この野菜の種類は何でしょう」と訊かれ、野菜の種類に無知な息子は「葉っぱ」と答えようとも思ったらしいが、小松菜というと、「小松菜」とレジの人はつぶやきながら、小松菜のキーボードを探して押したそうだ。息子が「ほうれん草」といえば、小松菜はほうれん草になれた。

小松菜を使って料理しているぐらいだから、まさかラーメンをなまで齧ったりはしていないだろうと思うが、マスター1年の息子は金沢である学会での発表を控えて、ストレスが募っているのかもしれない。

夫のことを考えるとわたしは惑乱するが、息子のことを考えると、冷静になれる。きちんと婦人科で診察を受け、治療が必要なら治療して貰って、息子には救援物資でも送ろう。

 

マダムNの覚書、2007年10月24日 (水) 21:03

  

〔3日後の2007年10月27日〕

現在、夜中の4時。おなかがしくしく痛み、いくらか熱もあるようだ。痛みのために、目が覚めてしまった。

この痛みの原因は、昨日の子宮体癌の検査で細胞を採取するためについた微々たる傷だと思う。ネットで調べてみると、先生によって、人によって、あるいは先生は同じでもそのときによって、子宮体癌の検査の痛みというのは違うようだ。

中には、1週間も痛み続ける人があるという。となると、特にわたしが過敏というわけではないようだ。そして、今回の検査の件で動揺している間にも、心臓の調子がよくなかったり、軽い喘息の発作が起きたりと、持病のほうは相変わらずで、このうえ手術の負担が加わることを想像するとぞっとする。

ところが、一方ではこの婦人科的疾患でわたしの不調の全てに説明がつき、もしそれが改善すれば全ての不調が片づくかもしれない、などと虫のいいことを想像したりもしていた。

このところ悩まされている繰り返し起きる膀胱炎、腹部の張り、膨満感、めまい、アレルギー症状、体力のなさ、といったものが婦人科疾患から起きるとあるサイトで閲覧して、ああこれだと勝手に納得していたのだった。

古くからの頻脈さえもがもしかしたら潜在していた婦人科的疾患によるもので、それが治療で消えれば頻脈も跡形もなく消え去るかもしれない……などとわたしの空想はとどまるところを知らなかった。

でも、まだ癌の検査の結果はわからないとはいえ、婦人科的なことがそれほどの悪さをしているとは考えられない。

そして、どうやら平穏な日常が戻って来そうで、そうなればなったで、終わりのないマラソンを続けなければならないような徒労感を覚えてしまう自分がいる。いつ何を仕出かすかわからない夫との暮しはまるで地雷を抱えているようで、夫婦和合とか琴瑟相和すといったことからは程遠いものがある。

母ブログが子沢山になったように、最初に起きた頻脈という異常がさまざまな疾患を呼んで子沢山となり、今いくつの科にかかっているかというと5つだ。循環器科、呼吸器科、整形外科、泌尿器科、婦人科。もう一つ増えれば、ブログの数と同じになる。

こんな「平穏」には、いささか疲れてしまった。31日の泌尿器科の受診については、抗生剤で尿が綺麗になっていれば、一応縁が切れるのではないかと予測している。

でも、繰り返し起きる膀胱炎の原因がわかったわけではないので、これは今後も続くと思われ、ちょっと泣きたい気分。

婦人科の先生に、手で摘まめる腹部のやわらかい部分は間違いなく脂肪だから、現実から目を逸らさないように……とユーモラスながら鋭い警告の含まれる口調で諭され、ダイエットの必要性も痛感している。

ただこのことにしたって、心臓の負担を抑えるために薬で体の機能を低下させていることが根本原因だ、とあくまで責任逃れしたいわたしには思われるのだ。

とはいえ、何にしても、創作の日々が戻ってきたことは喜ばしいことだ。これはこれで茨の道だが、贅沢なことだと感謝している。わたしの生活を支えてくれている夫や子供たち、そして見えざる加護に。

そういえば、婦人科を受診する前日の夜のことだった――炊事していたわたしの体が純白の炎とも表現すべき美しい光に包まれたのだ。

これは自分由来のものではなく、天からのものでもなくて、ブログをご訪問くださっているどなたかが、24日の出来事をブログで読み、白い光を贈ってくださったのだと感じた。

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これを書くと宗教ブログみたいになってしまうと思い、書かずにおこうかとも思ったのだ。しかし、書かずにはいられなかった。わたしがこうしていられるのも、光の贈り物のお蔭かもしれない。感謝の気持ちでいっぱいだ。

無私の見えざる――わたしには見えることがあるが、肉眼では見えない性質の――贈り物は、自然さを装って作用するのが特徴的だとわたしはこれまでの経験から感じている。

 

マダムNの覚書、2007年10月27日 (土) 05:14