マダムNの神秘主義的エッセー

神秘主義的なエッセーをセレクトしました。

14 重厚な通奏低音が聴こえてくる、ブッツァーティ『タタール人の砂漠』

f:id:madame-nn:20120711092042j:plain

出典:Pixabay

タタール人の砂漠』は20世紀イタリア文学を代表する作家の一人ディーノ・ブッツァーティトラヴェルソ(Dino Buzzati-Traverso,1906 - 1972)を一躍有名にした作品である。

タタール人の砂漠
ブッツァーティ (著), 脇 功 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2013/4/17)
ISBN-10: 4003271912
ISBN-13: 978-4003271919

長編小説だが、長いとは少しも感じられなかった。内容はどこか不思議なところがあるが、読みやすい小説だ。

作品の舞台にイメージを与えたとされるドロミテ・アルプス。

訳者解説によると、イタリアの作家ディーノ・ブッツァーティが愛したといわれる故郷ベッルーノから見えるその山並みの向こうは、もうオーストリアとの国境だそうだ。19世紀前半、ベッルーノはオーストリア支配下にあり、第一次大戦中には一時オーストリア軍に占領されたのだとか。

ブッツァーティはイタリアのカフカと称されることがあるそうだ。なるほど、不条理、幻想的といった作風の共通点はある。しかし、わたしにはカフカとは本質的に異なっているように思える。

カフカより奥深いものを感じさせ、描写も繊細である。

ブッツァーティの短編集を読んだことがあって、2008年9月14日に次のような感想を書いている。

入院前に読んだディーノ・ブッツァーティの代表傑作選(関口英子訳)『神を見た犬』(光文社、2007)の中に収められていた「七階」という作品には、ぞっとさせられた。病院を舞台とした幻想風の作品だ。
わたしの場合、深刻な入院というわけではなく、頭蓋骨にできた腫瘤の生検を含む検査入院にすぎなかったのだが、主人公だってどちらかというとお気楽な気分で入院患者となったわけだから、物語の淀みのない展開とムードとに、よけいに凄味があったというわけだ。
主人公の入院した病院は特異なシステムをとっていて、重い患者ほど下の階へ収容される決まりとなっていた。主人公はいわばお客気分で最上階の入院患者となる。
ところが、何やかやと大した理由もなく、ちょっとした都合(と見せかけられて)、どんどん下の階へと移されていくのだった。主人公はそうして、(下りの)エスカレーター式に最下階へと到達……すなわち死へと赴くことになる。
この世に生きている限りは、いつかは自分も主人公のようなことになるのだ……と思わされる。そればかりか、小説の中の場景描写はまことに映像的で、その光景には既視感があると錯覚させられるほどだ。
わたしの入院した病院では、4階のがん病棟と、どの階の病棟にもあるスタッフステーション近くの個室が入院患者たちの何とはなしの畏怖の対象だった。
ああ、病院から無事に帰れてよかった。だが、次の入院、そのまた次の入院ではどうなりますかね――と作者は警告していよう。

確か娘のイタリア人のペンフレンドが読んでいらしたことからブッツァーティを知り、読んだ。これは短編だったということもあって、もっと作者の内面や思想に分け入ってみたいという隔靴掻痒の感を残していた。

タタール人の砂漠』は――翻訳のすばらしさもあるのだろうが――文章の美しさは勿論のこと、職人技を感じさせる完璧な作品だった。

短編「七階」に通じるところのある作品で、「七階」で形式的に描かれたテーマに本格的に挑んだ作品といえるかもしれない。

文学作品を読む間、わたしはストーリー展開を追う一方で、作者の意識を追っている。

その意識は冴えているのか、澱みがあるのか。その意識で、どのような世界を構築しているのか。どのような考えを盛ろうとしているのか。どのような終局を目指しているのか。このような一個の世界を創り上げたのは、どういった動機からか、何のためなのか。

住んでいる時代も場所も異なる登場人物の生活習慣を追体験し、作者によって造られた空間を眺め、その中に立ち現れる情景や登場人物の心の綾に浸りたい――そうしたわたしの思いに応えてくれる作品は、そう多くはない。

タタール人の砂漠』には冒頭の数行でたちまち魅了された。ストーリー展開や作者の意識を追いながら、わたしは自身のこれまでの人生を追っていた。そのような作品構成になっているのだ。

タタール人の砂漠』に描かれているのはジョヴァンニ・ドローゴという名の軍人の一生だが、人間の一生が象徴的に描かれたものとして読めるため、どのような境遇の人間にも明瞭に語りかけてくる物語なのである。

不条理というテーマに人間を釘づけにしただけで終わるような、無意味な作品ではない。

タタール人の来襲という幻想にすがらずには日々を送れないほどに単調な、軍人として名をあげる機会を奪われた国境守備隊の一員としての砦での勤務。そんな日々が連綿と続く。

小説を読んでいて退屈になると、つい最後のページを読んでしまった挙句に本を放り出す……ということがわたしにはある。もったいなくて、この本にはそんなことはできなかった。

表面的には宗教色は全くない。しかし、作品から聴こえてくる荘重な通奏低音を宗教的といわずに何といおう? 

 

マダムNの覚書、2016年7月26日 (火) 16:51